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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【水俣の美しい風景】

2007.3.1 

中村桂子館長
 先日、水俣へ行きました。初めてです。静かな海、緑の島。朝日の中で小高い丘から眺めた風景の美しさはとびきりです。今回の訪問は、「みなまた曼荼羅茶話会 未来への提言−創生紀を迎えた水俣−」に参加するためでした。
 課題は水俣病です。風景のあまりの静けさと美しさに、ここに水俣病という、現代社会に生きる私たちにつきつけられた悲惨な事実があったということが信じられない気持になってしまいます。自然ってふしぎなものです。とても厳しいのに、その厳しさゆえにすべてを包み込んでしまう優しさを見せるわけですから。
 海中に有機水銀を流せば、プランクトンから魚へ、魚から人間へと濃縮していくのは自然の流れであり、生物濃縮という過程は、生態系の中では昔から行なわれてきたことです。ただ人間が海中の生きものにまで思いがいたらず、ただの水と見たところが間違いで、濃縮されてはならないものが濃縮されてしまいました。自然は複雑で、そのすべてを知っているわけではない人間が、賢しらげに行うことがとんでもないことにつながるという一つの例です。しかも、そんなことがあっても自然は自分の力で続いていき、美しさを見せるのですから、ある意味では恐いものです。畏れを感じます。人間は少しも懲りずに、今では「地球環境問題」が登場するまでになってしまいましたが、それでも自然は自分らしく続いていき、悲惨を味わうのは人間でしょう。今回参加した会では、水俣の方からたくさんのことを教えられたので、それを書きたかったのですが、風景を見ながら思ったことを書いているうちに長くなってしまいました。会については次にします。
 一つだけ。基調講演で、緒方正人さんが「生国(しょうごく)」とおっしゃったのが印象的でした(緒方さんとそのお話の紹介は次に)。国には二つある。「制度」としての国と「生命の故郷」としての国。後者を緒方さんは「生国」と呼び、これを愛したいとおっしゃったのです。制度としての国が生命の故郷としての国を壊していき、制度の方を愛しなさいと言われてもそれは困るという気持は同じです。


 【中村桂子】


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