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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【自然は難しい】

2005.1.15 

中村桂子館長
 先回書いたランビル行き。本当に素晴らしい自然を体験してよい気分になって帰ってきたら、その直後に訪れた所のすぐ近くで、自然が猛威をふるったのですから、とても複雑な気持になりました。自然という言葉を使う時、私たちはまず花鳥風月を思い浮かべます。もちろん、日本でも地震や台風や噴火を日常のこととして体験しているのですが、それはそれ、これはこれとなんとなく分けています。美しい方にだけ眼を向け、恐ろしい方はなんとかやり過ごし、しばらくすると忘れてしまったり、誰かが対策を立ててくれることを期待したりして暮らしているところがあります。今回、それはダメだよと言われたような気がします。自然は、美しいところも、恐いところも、役に立つところも、面倒なところも・・・さまざまな面をもつ複雑なものなのです。その自然にそのまま向き合わなければ本当の自然を知ることにはなりません。複雑なものに複雑なまま向き合うこと。これが現代人は苦手なようです。科学はその典型で、“Simple is beautiful ”という言葉がそれを象徴しています。一方、シェークスピアは、“きれいはきたない、きたないはきれい”と言っています。もちろん科学は魅力的な知ですが、自然の中から法則化、数量化できるところだけを取り出してbeautifulと言っているだけでは「知」としては不完全ということは認識しておかなければいけないでしょう。思いがけない津波に対応できなかったのは、計測ネットワークができていなかったからということは確かです。地震が起きれば、必ず津波警報が出るのをあたりまえと受け止め、“この地震での津波の心配はありません”という報道を聞くたびに、小さな地震でいちいち言うのはうるさいなあなどと思っていたことを反省しています。科学技術はこういうところにこそ生かして、世界中どこでも警報が出せるようにすることは、是非やる必要があります。でも、なんだかそれをやれば、自然に対処できるように思ってしまうのは間違いでしょう。今度の例でも、“潮が引いたら高台に逃げるように”という昔からの言い伝えのあった村は全員避難したと言われています。私が小学生の頃、国語で“稲むらの火”という話を習いました。稲むら(イネの刈りとって乾燥させ積み重ねたもの)に火をつけて、人々に津波を知らせたというのです。潮が引いたら危ないということを知っていたこと、緊急の時に大事なイネに火をつけてでも皆に知らせたということ。こういうのを知恵というのだという話だったと思います。
 今も、警報システムだけでなく、本当に自然を知っている人の知恵が必要であることに変りはないと思います。複雑なものには複雑なまま向き合おうという考え方は、「ゲノムが語る生命」(集英社新書)でも一章をそれに使いました。「耐える」というところです。面倒がらずにちょっと我慢することも大事ということです。
 
 
 【中村桂子】


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