館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【人間について考えていた頃を思い出しながら】
2002.6. 1
そこで、人間という文字を眺め、ここへどう入りこんで行こうかと考えているうちに思い出しました。実は生命誌への入り口は人間だったのです。1980年、天から降ってきたテーマが「人間と科学技術」でした。1985年につくば研究学園都市で開かれた科学技術博覧会のテーマが「人間・居住・環境と科学技術」だったのを記憶している方はあまり多くはないかもしれませんが、とにかくそうだったのです。そこで、「人間と科学技術」、「居住と科学技術」、「環境と科学技術」というテーマを考えるグループが作られ、最初の人間というテーマの責任者がなぜか私になったのです。5年間かけて考えなさい。もちろん誰の知恵を借りてもよいわけですが、自分の考えがなければ誰に相談したらよいかさえわかりません。そこで、とにかく考えました。40代半ばのことです。当時「クローン人間」が話題になっていました。もちろんまだヒツジのドリーも生まれておらず、哺乳類のクローンが技術的に可能かどうかさえわかっていない時です。でもそれだからこそよけいに想像がふくらんで、ヒトラーのクローンという本が書かれたりしていたのです。ですから「科学技術と人間を対立させて倫理の重要性を強調する」というのが優等生の答だということはわかっていました。ところが私の中で最初にはっきり決まったのはそういう答だけは出すまいということでした。ではどんな答なんだと言われれば「わからないというのが答」という情けないところから始まっての5年間。迷路をさまよう日々でした。 つまり「人間」は私にとっては迷いの始まりのテーマ。一人で勝手になら迷路をさまようのも許されますが、プロジェクトとしてまかされ、5年で答を出せと言われているのですから他人の眼があります。それでも「科学技術と人間」を対立させることだけはやりたくなかった。いい加減なようで頑固なところもあるのです。なんだか当時を思い出したら疲れてきたので今回はここで終わります。私なりに探した答については次回に。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |