館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
バックナンバー
ひさしぶりで会った友人が、開口一番言いました。「最近の生命科学研究はすごいわね。なんでも遺伝子でわかっちゃうんでしょ」。文科省の委員会でお会いした数学者の藤原正彦さんも「生命倫理の議論に参加する必要があって生命科学の本を読んでみたらこんなにわかっているのかと思って恐ろしくなりましたよ」と言われました。恐ろしくなりましたよというのは、科学の成果を踏まえたさまざまな技術が生まれていることをさしてのことでしょう。ゲノム解析の方法が確立した後、そのスピードがあがり、自動化され、解析情報がどんどん蓄積するようになったこの数年は、そこで得た遺伝子に関する情報の医療への活用をめざしたプロジェクトが次々と動き活発です。外から見てもたいへんなことが起きているように見えるに違いありません。でも、ものごとは逆から見ることもできます。受精卵から体ができていく発生過程、脳のはたらきなど複雑な現象は言うに及ばず、一個の細胞のはたらきすらわからないことだらけです。ここでわかるとはどういうことかということが大事になります。がんの遺伝子の例で、たとえば乳がんの患者さんのどれだけが、がん遺伝子をもっているかを調べると、ある集団で10%という値が出るというのが実態です。がん遺伝子の発見は重要ですし、そこからわかることはたくさんあります。けれども、それでがんという病気がわかったと言えるかというとそうではない。科学でいう「わかる」ということと日常使う「わかる」という言葉とのずれがここにあります。
生きもの、とくに人間に関わる研究の場合、このずれに気をつけることが大事であり、研究館はこの間をつなぐことを意識して活動をしているつもりです。現在進行中の展示はやっと全体でそのような活動の一例としてまとまってきたかなと思っています。先回は新しく始まった脳の展示の紹介をしましたが、オサムシ、骨と形、光合成と合わせて全体としてのメッセージを受け止めていただきたいと思います。是非いらして、御意見をお聞かせ下さい。
|
中村桂子の「ちょっと一言」最新号へ