表現スタッフ日記
2025.03.18
「生命誌オペラー蟲愛づるー」にようこそ
エントランス展示「生命誌オペラ –蟲愛づる–」はご覧いただきましたでしょうか。生命誌では、小さな生きものを時間をかけて観察し、生きもののなかにある歴史を読み解き、生きものの本質を探ることを「愛づる」と考え、大切にしています。そして研究館は「科学のコンサートホール」。原点に立ち返って、制作に臨みました。コロナ禍以来、美しさ楽しさよりも制限優先の雰囲気を払拭したい思いもありました。
これまで「愛づる」の展示といえば「堤中納言物語」の蟲愛づる姫君でした。「これが、成らむさまを見む」と虫を集てめては観察し、「よろづのことどもをたづねて、すゑをみればこそ、ことはゆゑあれ。かはむしのてふとはなるなり。」と毛虫が実際にチョウになる様子をお見せになったとあります。日本では平安時代の姫君が昆虫の変態のありさまを語っていらしたのです。
その心を受け継いだかのような人を17世紀の西洋に見つけました。それがマリア・ズィビイラ・メーリアンです。ドイツの印刷工房に育った画家であり、昆虫学者です。昆虫が卵から孵り、幼虫が蛹を経て成虫になることを実際に観察し、美しく描くことで証明しました。ちょうどイタリアでフィランチェスコ・レディが、蓋をしない瓶と蓋をした瓶に肉片を入れ、蓋をした瓶にはハエが発生しないことを示し、自然発生説の否定を試みた時代です。
少女時代から幼虫をあつめて、その食草を与え、チョウに育つ様子を観察したそうです。チョウではなく寄生バチが出てくる様子も記録していました。50代になってから、南米の植民地に由来する美しいチョウの標本を目にして、幼虫の様子、生きている姿を知りたいと、南米スリナムに赴き、創作に挑みました。その集大成が画集「スリナム産昆虫変態図譜」です。一枚の絵にチョウが生まれる過程と植物の花と実りの時の流れを収めた異時同図の絵巻の手法で描いており、生命誌と通じるのです。
しかし、決定打となったのは、2024年4月に英国のサンガーセンターから発表された鱗翅目のゲノムを研究した論文です*。210種のチョウやガの仲間のゲノムを比較して、鱗翅目の共通祖先の染色体から伝わってきた遺伝子のグループ(連鎖グループ)を決めています。そのグループを鱗翅目学者であり植物画家であったメーリアンに因んでメーリアンエレメントと呼ぶというのです。チョウやガのゲノムは、32のメーリアンエレメントの組み合わせでできています。実在の人物として、数々の素晴らしい絵を残したばかりでなく、現在のゲノム研究にも生かされていることに大いに勇気づけられ、新しい「愛づる」人としてメーリアンに登場をお願いしました。
展示は、コンサートホールでもある研究館の日常が、オペラの舞台で繰り広げられる様子を思い浮かべて名づけました。私の大好きなオペラも17世紀に起源があります。舞台装置のミニュチュアを研究館に見立てたつくりで、中央には生命誌の階段が見えます。美しい映像とともにどうぞお楽しみください。
*参考文献
Wright CJ, Stevens L, Mackintosh A, Lawniczak M, Blaxter M.
Comparative genomics reveals the dynamics of chromosome evolution in Lepidoptera.
Nat Ecol Evol. 2024 Apr;8(4):777-790
これまで「愛づる」の展示といえば「堤中納言物語」の蟲愛づる姫君でした。「これが、成らむさまを見む」と虫を集てめては観察し、「よろづのことどもをたづねて、すゑをみればこそ、ことはゆゑあれ。かはむしのてふとはなるなり。」と毛虫が実際にチョウになる様子をお見せになったとあります。日本では平安時代の姫君が昆虫の変態のありさまを語っていらしたのです。
その心を受け継いだかのような人を17世紀の西洋に見つけました。それがマリア・ズィビイラ・メーリアンです。ドイツの印刷工房に育った画家であり、昆虫学者です。昆虫が卵から孵り、幼虫が蛹を経て成虫になることを実際に観察し、美しく描くことで証明しました。ちょうどイタリアでフィランチェスコ・レディが、蓋をしない瓶と蓋をした瓶に肉片を入れ、蓋をした瓶にはハエが発生しないことを示し、自然発生説の否定を試みた時代です。
少女時代から幼虫をあつめて、その食草を与え、チョウに育つ様子を観察したそうです。チョウではなく寄生バチが出てくる様子も記録していました。50代になってから、南米の植民地に由来する美しいチョウの標本を目にして、幼虫の様子、生きている姿を知りたいと、南米スリナムに赴き、創作に挑みました。その集大成が画集「スリナム産昆虫変態図譜」です。一枚の絵にチョウが生まれる過程と植物の花と実りの時の流れを収めた異時同図の絵巻の手法で描いており、生命誌と通じるのです。
しかし、決定打となったのは、2024年4月に英国のサンガーセンターから発表された鱗翅目のゲノムを研究した論文です*。210種のチョウやガの仲間のゲノムを比較して、鱗翅目の共通祖先の染色体から伝わってきた遺伝子のグループ(連鎖グループ)を決めています。そのグループを鱗翅目学者であり植物画家であったメーリアンに因んでメーリアンエレメントと呼ぶというのです。チョウやガのゲノムは、32のメーリアンエレメントの組み合わせでできています。実在の人物として、数々の素晴らしい絵を残したばかりでなく、現在のゲノム研究にも生かされていることに大いに勇気づけられ、新しい「愛づる」人としてメーリアンに登場をお願いしました。
展示は、コンサートホールでもある研究館の日常が、オペラの舞台で繰り広げられる様子を思い浮かべて名づけました。私の大好きなオペラも17世紀に起源があります。舞台装置のミニュチュアを研究館に見立てたつくりで、中央には生命誌の階段が見えます。美しい映像とともにどうぞお楽しみください。
*参考文献
Wright CJ, Stevens L, Mackintosh A, Lawniczak M, Blaxter M.
Comparative genomics reveals the dynamics of chromosome evolution in Lepidoptera.
Nat Ecol Evol. 2024 Apr;8(4):777-790
平川美夏 (チーフ)
表現を通して生きものを考えるセクター