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研究館より

表現スタッフ日記

2025.03.04

幻の大衆食堂

冬のある日、知らない街で簡素なトタン造りの食堂に入りました。カウンター席のみで、調理場を入れても六畳くらいしかない古いお店です。半世紀は使われてきたであろうコンロの前に、割烹着姿の高齢のおかみさんが一人で立ち、笑顔で迎えてくれました。そこで頂いたブリの煮付けが、皮はパリッと、身はふっくらとして、それはそれは美味だったのです。思わず「美味しい、美味しい!」と連呼すると、おかみさんは「そんなに美味しいって言うてくれて、嬉しいわあ」と目を細めました。店内を見回すと、古いガラス戸から差し込む光、ぴかぴかのご飯、熱々の味噌汁の湯気、おかみさんの立ち働く姿の全てが美しく、次の日、昨日の体験は夢だったのではないかと思ったほどです。(お店は実在します)

私の感じた温かさは何だったのか、今も考えます。彼女の料理の腕は一流でしたが、思えばあの食事は、お客の舌を唸らせてやるぞ、という気合の入った味付けではなく、日々の食事としての穏やかな味付けがされていました。何十年もの間、おかみさんは毎日おかずを一から手作りし、お米を炊き、凛と立ってお客さんを迎えてこられたのでしょう。

どう見ても儲けは多くないのに、形に残らず評価もされにくいのに、心を込めて働いている方に出会うと、「私はこういう人がいる社会を生きていたい!」と思います。お金や評価を得ることが悪いと言いたいのではありません。互いに支えるという社会の基本を、私は当たり前すぎて見失っていたのだと思います。自分のためと誰かのため、両方の行動が自然な形で共存しているおかみさんに、働く人の原点と美しさをみました。

社会をつくる生物は、集団として生きる手段を進化させています。個が関わり合う方法は生物によってさまざまですが、脊椎動物では脳に備わった社会性が重要な役割をはたします。例えば同種の他個体の情報を個別に脳に記憶し、自分に有益な相手や競争相手を区別すること。私たちヒトの脳の海馬という場所には、他人の情報を個別に記憶する領域がつくられているそうです。

程度の差はあれ、私たちは生まれながらに他者の情報を集める生物のようです。でもヒトの脳がどんなにたくさんの記憶を蓄えられても、それはあくまで情報としての他者でしかありません。私は自分の中の他者は認めつつ、本物の相手も自分も、今ここにしかいないことを忘れたくないと思います。あなたが生きていて、話ができて、一緒に時間を過ごすことができる、それ以上に大切なことはないのだと思えるほどに、全力で目の前の生を感じたいと思うのです。

今年の季刊「生命誌」は、生きものを社会という切り口からとらえてみたいと思います。まずは生きものが他者を認識するしくみを、神経細胞(ニューロン)から考えます。今月に公開予定ですのでお楽しみに。