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研究館より

表現スタッフ日記

2022.08.18

山あいに光が射す時に

9月17日に行われる、今森光彦先生の講演・対談の会「昆虫4億年」を、スタッフもとても楽しみにしています。子どもの頃の私にとって「生物の宝庫」といえば、熱帯雨林やサバンナなどの遠い場所というイメージでしたが、日本の「里山」という、暮らしのすぐ近くにある生きものの宝庫とその美しさを知ることになったのは、今森先生の作品がきっかけだったと記憶しています。

今でこそ「里山」は世界中に知られる言葉となりましたが、その場所を築き上げてきた先人は、どんな思いで暮らしていたのか気になります。昔から人々は豊かな自然を楽しんでいたのでしょうか。それとも日々の暮らしに精一杯で、景色も生きものも省みる余裕などなかったでしょうか。

思い出すのが、宮本常一の「忘れられた日本人」にある「名倉談義」という聞き書きです。60年ほど前の記録ですので現代の感覚に近いとは思いますが、こんな話があります。ある山村に暮らす人が朝早くに目を覚ますと、隣家(と言っても間に広大な田んぼがあります)に後光が差し、ガラス障子が金のように輝いていることに気づいたそうです。他の家はまだ暗闇に包まれている時間に、地形の具合で隣家にいち早く朝日が射していただけのことだったのですが、見事だったので隣家の住人にその話をしたところ、その住人がわざわざ日の出前にやってきました。そして光に包まれた我が家に、しばらく声も出ない様子で見とれていたというものです。家に朝日が射すというただそれだけのことに言葉を失う、2人の人間の姿に衝撃を受け、涙が浮かびました。何気ない話なのに最も印象に残っている一節です。

同書は昭和初期から戦後にかけ、さまざまな地域・職業の古老に聞き取りをした記録です。山村には生きものがたくさんいて楽しいとか、景色が素晴らしいといった言葉はあまり聞かれないように思います。彼らは「里山」をきれいだと感じる現代の私の感覚とは少しちがった見方をしていたのかもしれません。けれど上のエピソードのように、自然は厳しい暮らしの中にも心を打つ瞬間を与えてくれるものであり、人々の繊細でするどい感性を育むものであったことは間違いありません。自然との関わり方・見方がどんなに時代とともに変わっても、まいにち朝日が射すことはこれからもずっと変わらないでしょう。何気ない生きものの姿や景色に心を動かせる感性はもち続けたいと感じます。

参考文献:『忘れられた日本人』宮本常一著(岩波文庫・1984年)