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研究館より

表現スタッフ日記

2022.02.14

映画というものは。

 今年の夏休みから、東京を皮切りに、関西、そして、全国各地の映画館で、生命誌の新しい映画を上映していただきます。お世話になる劇場は、ミニシアターと呼ばれるタイプの小さな劇場です。どこも、映画鑑賞の場でありながら、小さな組織だからこそできるユニークな催しなどを企画し、それぞれの地域で文化を育む拠点です。今それぞれの劇場と、映画鑑賞とあわせて、どんな風に生命誌の面白さを味わってもらうイベントが可能かと企画中です。土地が違えば、歴史も、町も人も違うし、そしてミニシアターは個性的(支配人も、スタッフも、お客さんも)、求めるもの、こだわるものがそれぞれ違って面白い。そして本気! だから上映作品は同じでも、どう盛り上げようかという案は千差万別、どんな上映になるか、場づくりになるか……。春以降、上映に向けて、季刊誌やホームページ、SNSなどで、随時、紹介して参ります。

さて、その映画の内容ですが、これは、生命誌研究館という場で起こる出来事を、普通に見てもらえるものにしたいと思ってつくりました。スクリーンに投影される出来事は、研究館の人々にとっては、普通の毎日、そんなに特別な人も出てこない。でも彼らが日常やっていることを丁寧に紡いでいくと、案外、面白い、大事なことをやる珍しいところだということが見えてくるのではないかと、それを、そんな風に伝えたかった……その実験であり、実践です。

私は、すぐれた記録映画とは、「日常を自然に描くもの」であり、かつ記録映画の魅力とは、「私(視聴者)を知らない世界に連れて行ってくれること」だと思っています。「生命誌研究館の日常」には両者を満たす可能性があります。生命誌研究館に流れている日常の空気を、ごく自然に描くことができれば……それは、私が研究館の中の人間だから可能な映画ということでもあります。食草園の毎日をコツコツ撮れるし、村田は、毎日、撮影している人なのねと、皆が慣れてくれれば、人々の表情をカメラで掬いとることもできる。草花や、虫たちの様子は、日々変わります。ほんとうに、ごく些細な変化で、まさに映画の中で、地べたに這いつくばって観察する中井さんのように、しばらくじっと見ていると、だんだんと見えてきます。撮影は、対象が草花か虫か人間かによらず、極力、等しく、対象に寄り添うように行いました。そのようにしてカメラに収めた映像に写っているのは、被写体でなく、被写体と撮影者の関係だという風に思います。
撮影した映像を見直すと、しばしば、思いがけず、撮れてしまった(いただいた)映像があります。そして、そんな映像たちが、予想外のつながりを求めてくる。編集とは、映像自体が求める声に耳を傾けながら、同時に、一段うえの構造を具体化する。そのプロセスで、思いもよらぬ展開が生まれる。そんな時、ああ、映画ってすごいなあと思う。それは、作り手としても、観手としても、思います。

こう書いて、思い出した記事を最後にご案内します。ちょうど6年前に、ここで書いた、今日のお話に通づる考えです。「目をあわせること、聞くこと」2016年2月1日(映画「ハッピーアワー」公式HP掲載評)