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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.06.01

私の体験が「人類全体の体験」と感じられる時

新型コロナウイルスとの関わりは、長丁場になることでしょう。このウイルスの正体がよくわかっていないのが気になります。かなり素早く変異を起こすようですし、感染後に子どもの場合川崎病のような症状が見られるとか、成人では肺炎だけでなく多臓器不全を起こすとか。新しい論文が出るたびに知らせてくれる友人がいるのはありがたいのですが、薬の効き方、抗体のでき方などについてもまだ不確定なところが多いのがもどかしいです。

ちょうど外出せずにいられる状況にあるので、静かに過ごしています。そして「人間」について考えています。前回書きましたように身近なことから考えることしかできませんが、最後には「人間が生きものであること」を基本に、現代文明社会(帝国主義、資本主義、科学技術)を見直す。心の底にはそんな大それた気持ちもあってのことです。人間についてはさまざまな分野の人が考えてきた歴史があり、教えられる本がたくさんありますので、ここでも少しずつとりあげていきます。

先回取り上げた渡辺一夫先生の『ヒューマニズム考―人間であること』は1973年の本です。それ以前、生命科学は人間について考えなければいけないと思い始めて最初に読んだ本を、本棚の奥の方からとり出しました。1966年、J・ブロノフスキー著『人間の発見と創造』(講談社現代新書)です。読んだのは30代。半世紀も前に書かれたものですからもう古いかなと思って奥にしまってあったのです。

著者は1908年ポーランド生まれ。ケンブリッジ大学での数学専攻ですが、科学史、哲学、文学にも造詣が深く、この方もまさに碩学です。

この本は1953年に行われた、MITでの講義の記録です。著者が人間について考えようとしたきっかけは、1945年9月に被爆直後の長崎を訪れたことでした。無残に破壊された長崎の街を歩いている時に、港に停泊している船からダンス音楽が聞こえてきたその瞬間に、「これは人類全体の経験なのだ」という思いが湧き上がったのだそうです。その音楽は「おまえは生きているのか? それとももう死んでしまったのか? かわいいわが子よ…」という歌詞だったとあります。曲名はわかりませんが、この時の著者の気持ちはわかります。コロナウイルス感染も、自分の経験であると同時に「人類全体の経験なのだ」と思わないではいられません。私は著者より一世代下ですが、今現代文明を考え直すとすれば、出発点はやはり広島、長崎の原子爆弾投下、それによる被爆になります。「人類の運命に無関心ではいられない」という言葉からこの本は始まります。

全体を紹介する余裕はありませんが、現在の科学が「これ」をやった場合には「あれ」をやった場合よりも大きな成果があがるというところだけに関心を向けているのは間違っていると言います。

それは歴史的な事実を見ていない、つまり多くの思想家たちが考えてきたことは哲学であると同時に科学でもあるので、それらのうえに総合的に考えることが大事、つまり科学を狭く捉えてはいけないという見方を示しているのです。科学は創造的な道筋をたどるものなのに、機械的な世界では創造が落ちてしまい、何とも面白味がないとも言います。科学にも思想や詩と同じものが必要だということです。

そのような創造的な思考から生まれる知が生み出すものについて、こう書きます。「わたしたちが生きていくのに拠りどころとする人間像や倫理は、正しい行動とか間違っている行動とかを即座に決めるルールではなく、『その光に照らされて正しいものと不正なもの、善と悪、手段と目的が、おどろくような鋭い輪郭をもって見えてくるような、奥ふかい、明るく照らし出す精神の光』である」

私が生命誌の言葉で書くと少し違ってくるなと思いながらも、基本姿勢は同じ、被爆地を歩いて人類のこれからを考えたことで生まれたすばらしい言葉だと思います。鋭い感覚とやさしさとが感じられ、私もこうでありたいと思います。

1940年代の原爆の次に人類全体の運命を考えさせたのは1960年代の水俣病、次が東日本大震災、そしてコロナと続く、私の中にそんな流れがあります。

どれも科学が関連しますが、科学だけでことを解決しようとするのではなく、だからと言って科学を否定的に見るのでもなく、ブロノフスキーの指摘するように、詩や思想と並べて考えていこうと思っています。

ブロノフスキーには、1965年、ニューヨークのアメリカ博物館での講演をまとめた「人間とは何か」(1969年、みすず科学ライブラリー)があり、ここでも科学と芸術を同じ目で見ています。これも私にとって思い出深い本の一つです。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶