中村桂子のちょっと一言
2019.12.02
噴石は軽自動車くらい
宮沢賢治はふしぎな人です。生命誌を考える中でお仕事が気になる方、つまりそこから学びたいことをやっていらっしゃる方が賢治への関心を示されるのです。今回は文化人類学者の今福龍太さん。中南米を中心のフィールドワークを基盤にした独自のお仕事は多くの方が御存知でしょう。
話は、2014年9月27日の木曽御嶽山での水蒸気爆発による大噴火から始まります。戦後最悪の噴火災害の報道の中で、命からがら下山してきた登山者の一人が「空から落ちてきた噴石のなかには軽自動車くらいのものまであった」と言います。この言葉に、今福さんはひっかかります。実際500キロを越える噴石があったとのことなので、この比喩はあたっているのですけれど。
ここで、今福さんは宮沢賢治を思い出します。「グスコーブドリの伝記」で、サンムトリ海岸にある火山の動きを示す器機を見ながら、老技師が語ります。「もう噴火が近い。爆発すれば牛や卓子(テーブル)くらいの岩が落ちてくる」と。ここで牛になぞらえられた噴石は、人間にとっての異物や他者ではないと今福さんは指摘します。だから違和感はありません(テーブルに突っ込みが入りそうですが、それはスルーしています。木でできた身近なものなので感覚的には牛に近いかなと。そんなことグダグダ言うなというのが本音でしょう)。軽自動車と牛とを巡るその後の論考はとても興味深いのですが、それは著書「宮沢賢治デクノボーの叡智」に譲ります。
ここで、2011年3月11日の東日本大震災の時、なぜか宮沢賢治が頭に浮んだことを思い出します。あの時は「セロ弾きのゴーシュ」に入って行ったのでしたが、その中で、人間は自然の一つであるという感覚を得てホッとしたものでした。噴石は異物や他者ではないという指摘は、人間が自然の一つであるということです。賢治が教えてくれることはどうもこれに尽きるように思うのです。
話は、2014年9月27日の木曽御嶽山での水蒸気爆発による大噴火から始まります。戦後最悪の噴火災害の報道の中で、命からがら下山してきた登山者の一人が「空から落ちてきた噴石のなかには軽自動車くらいのものまであった」と言います。この言葉に、今福さんはひっかかります。実際500キロを越える噴石があったとのことなので、この比喩はあたっているのですけれど。
ここで、今福さんは宮沢賢治を思い出します。「グスコーブドリの伝記」で、サンムトリ海岸にある火山の動きを示す器機を見ながら、老技師が語ります。「もう噴火が近い。爆発すれば牛や卓子(テーブル)くらいの岩が落ちてくる」と。ここで牛になぞらえられた噴石は、人間にとっての異物や他者ではないと今福さんは指摘します。だから違和感はありません(テーブルに突っ込みが入りそうですが、それはスルーしています。木でできた身近なものなので感覚的には牛に近いかなと。そんなことグダグダ言うなというのが本音でしょう)。軽自動車と牛とを巡るその後の論考はとても興味深いのですが、それは著書「宮沢賢治デクノボーの叡智」に譲ります。
ここで、2011年3月11日の東日本大震災の時、なぜか宮沢賢治が頭に浮んだことを思い出します。あの時は「セロ弾きのゴーシュ」に入って行ったのでしたが、その中で、人間は自然の一つであるという感覚を得てホッとしたものでした。噴石は異物や他者ではないという指摘は、人間が自然の一つであるということです。賢治が教えてくれることはどうもこれに尽きるように思うのです。
中村桂子 (名誉館長)
名誉館長よりご挨拶