PERSPECTIVE
個体が刻む一生の時間
両親からもらったゲノムを読み解き、もてるだけの栄養をつかって個体となる準備をするのが「生まれるまでの時間」とすれば、「生まれてからの時間」は環境の中で生きものとして生きていく時間です。私たちの暮らす地球は、太陽系の惑星の一つであり、衛星である月とともにあります。丸い地球は、太陽との関わりで、砂漠や森林、寒冷地など、さまざまな環境をつくり、気候や季節の変動をもたらします。一方で、1日の日長は季節や地域で異なるものの、地球の自転周期は24時間でめぐります。多くの生きものは、暮らす環境を巧みに利用し、栄養をとりこみ、成長し、次の世代の子孫を残し、自らは死んでいきます。
ここでは、「生まれる」「育つ」「暮らす」「老いる」「死ぬ(寿命)」のライフステージの時間に注目して「生まれてからの時間」をたどりましょう。
(図1) ライフステージ
1.生まれる時間
生まれたてのヒトの子どもは1日の70パーセントほどを眠って過ごし、昼夜を問わず約4時間間隔で眠りますが、1歳頃には1日の周期にあわせて夜眠る習慣が身につきます。個体として生きていくには、周囲の様子を感じ取り、うまくあわせなければなりません。体内時計は細胞のはたらきで自ら24時間のリズムを刻みますが、環境に同期することで、生活を予測して体を準備することができます。生まれる前には母親にあわせていた時計は、誕生後、さまざまな刺激を受けながら3ヶ月から6ヶ月くらいで発達します。
脳にある体内時計の中枢は、朝の光を目に受けて時計をあわせます。時計は朝の訪れを予測して、すでに活動を高めるホルモン(コルチゾール)をつくり、1日に備えています。コルチゾールは肝臓にはたらきかけて、活動を支える糖やタンパク質などをつくらせます。肝臓は食事からの栄養補給を調節する役目をしており、食事にあわせる時計の役目もあります。中枢の時計と、肝臓などの臓器にある時計(中枢に対して末梢時計ともいいます)が、調和すると健康な体内時計が育ちます。夜の眠りを促すホルモン(メラトニン)もまた、体内時計によって調節され、覚醒と睡眠のリズムができていきます。
体内時計
地球の自転は24時間、生きものの細胞の中にも1日の時間を刻む「体内時計」があります。「体内時計」は、「時計遺伝子」と呼ばれる遺伝子がはたらいて、24時間でひとめぐりするしかけをつくります。同じゲノムのDNAをもつ全身の細胞が時計遺伝子をもっており※、時計となることができます。
※核をもたない赤血球はここでいう「時計遺伝子」とはまた別な24時間の時計をもっています。
(図2) ホルモンと体内時計
脳の中のホルモンの中枢は、視床下部にあります。視床下部はホルモンをつくる命令を出すホルモンを脳下垂体に放出します。脳下垂体は、離れた臓器に向かってホルモンを出す指示となるホルモンを分泌します。副腎皮質は、朝を告げる中枢時計にあわせてコルチゾールをつくります。メラトニンは、光によって合成が停止し、夜に向けて再び増加します。メラトニンは、脳の松果体で合成、分泌されます。 私たちの体は体内時計に従って24時間周期で調節され、ホルモンの分泌、器官のはたらきが、昼間は活動し、夜は休み翌日に備えるようにできています。
Nat Rev Endocrinol. 10(8): 466–475 (2014)
2.育つ時間
ヒトは最初の1年で体重がおよそ3倍にも増えますが、その後は緩やかに成長します。脳は、2歳までに3倍の大きさになると言われますが、そこではニューロン(神経細胞)が発達しています。脊椎動物のニューロンの軸索には、グリア細胞(オリゴデンドロサイト)が巻きついてミエリン鞘をつくります。ミエリン鞘のおかげで、神経の伝達速度は劇的に上がります。生まれたての脳には、このミエリン鞘がまだなく、誕生後にオリゴデンドロサイトが増え、ミエリン鞘形成が起きるのです。ヒトではミエリン鞘の形成は、成人の始めまで続き、ヒト特有の社会適応や学習や認知と関わるとされています。
同じく大人に向けて、急速に発達するのが免疫系です。生まれてから5歳頃までのDNAのゲノムを調べると、活性化されている箇所が、免疫の遺伝子に関わるとわかりました。体内に入ってきた異物を処理して、危険な感染症に強く抵抗し、食べ物など無害なものは受け入れる、生きるために大切な段階です。免疫を担う細胞が教育をうける胸腺のはたらきは、10代頃にピークを迎えます。リンパ球のT細胞のTは、胸腺(Thymus)からきています。
成長期の終盤、思春期になると体は、次世代をつなぐ準備「二次性徴」が始まります。このきっかけとなるのは性ホルモンで、卵巣、精巣からのホルモンに曝されることで、体に変化が起こり、生殖が可能になります。ホルモンの影響で見られる現象に体内時計の遅れがあります。夜更かしや朝寝坊をすると生活態度を叱られますが、体の変化の過程なのです。成長スパートと呼ばれる、身長の急成長が起きるのもこの時期です。サイズの成長は思春期とともに終わりますが、「人間」としての成長は続きます。
ヒトのミエリン鞘形成
脊椎動物のニューロンの軸索にはミエリン鞘という絶縁性の脂質が巻きついており、神経の信号は、その間を飛び飛びに移動することで速く伝わります。誕生後の脳では、グリア細胞の1つであるオリゴデンドロサイトが増加し、ミエリン鞘をつくり始めます。ヒトとチンパンジーの脳のミエリン化を比較すると、チンパンジーでは成人までにミエリン化がほぼ終了するのに対して、ヒトでは成人をすぎても30歳頃まで続くことがわかりました。増加せず平坦な時期は、シナプスの接続や選択が盛んに行われています。ゆっくりした脳の発達がヒトの知能の特徴を表すと考えられています。
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鳥のさえずりは、大人にむけての大切な学習です。人にもつながる学習の過程には脳の変化が起きています。
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(図3)骨の年齢
子どもの骨の端は軟骨で、成長期には軟骨細胞が増殖して分解を上回るので骨が長軸方向に伸びていきます。これには、脳下垂体から分泌される成長ホルモンの助けがあります。成長期が終わり、軟骨の骨端線が骨に置き換わると成長は止まります。軟骨部分の骨化の割合で年齢を推定できるので、骨年齢といいます。
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成長は量の変化、成熟は質の変化ですが、体重とホルモンのバランスが成熟のきっかけになります。
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3.暮らす時間
成人として社会を支えるのが「人間」としての「暮らす時間」ですが、生きものの一生のなかでは生殖が一大事です。野生の動物にとって子が育つのに適した時期に子どもをもうけることが生存に欠かせません。ヒトでは思春期に迎える成長の一過程ですが、多くの生きものには繁殖期があり、季節にあわせて生殖できる体を準備するのです。季節を知るには、体内時計を用います。中枢時計の視交叉上核は、目の網膜から光信号を受け、光周期の変動から季節を感知します。それが性ホルモン軸に伝わり、生殖の季節にあわせて体を変えます。パートナーの獲得のための争いや出産、子育てなど一年分の力を使い果たすので、季節に応じてくり返すことがむしろ効率がよいのでしょう。時期が終わると生殖機能を退化させて、翌年に備えるのです。植物でも多年草や樹木では、四季折々に花を楽しませてくれますが、周到に準備された繁殖の機会ということです。実は、ヒトの性ホルモンも季節変動があることが知られていますが、生殖には影響がないようです。
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季節にあわせて繁殖することは、次世代をつなぐ生きものの重要な知恵です。
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ホルモン系の関係
ホルモンの量は、一日、一年、一生と時間と共に変化しながら、体をめぐり、はたらきや成長に影響を与えます。ホルモンの中枢は、視床下部—脳下垂体ですが、標的となる器官はホルモンごとに異なります。二次性徴の開始に分泌される性ホルモンは、視床下部—脳下垂体—卵巣・精巣(HPG系)で分泌され、女性の妊娠を可能にし、男性の精子形成を調整します。甲状腺ホルモンは概日リズムを刻み、体の代謝に関わりますが、季節繁殖のシグナルでもあります。これらのホルモンの分泌は、季節にあわせて変化します。内分泌系は体内の調節を担うしくみですが、環境とも関わっているのです。
体内時計は日周、日長による体の調節に関わり、ホルモンの分泌も制御しています。いずれの系でも一日、一年、一生のうちで変化しますが、影響に違いがあります。
4.老いる時間
歳をとり、死を迎えるのは、「細胞の増殖に限界があり、衰えた組織を修復できなくなるためである」と19世紀の進化学者ワイズマンは考えました。細胞分裂に限界があることを示したのはヘイフリックで、分裂回数を数えてヒトの分裂限界、ヘイフリック数を50としました。この細胞の寿命は、ゲノムDNAの染色体の末端にあるテロメアという配列が、分裂のたびにすり減っていくことで決まります。老化した組織では、幹細胞のテロメアが短くなり分裂が限られることで、新しい細胞の供給がおいつかなくなるようです。細胞の死は日々の新陳代謝としても起きているので、うまく片付けられれば問題は起こりません。ところが、炎症を起こしたり、周囲の細胞に異常なシグナルを送ったり、過剰な細胞死を引き起こしたりする「老化細胞」が組織や器官を損傷することがわかってきました。老化すると害を及ぼすような呼び名ですが、実際は、がん細胞を抑えたり、傷を直したり良いこともしているので、「老化」も細胞の役割といえます。衰えるだけではない、生きものとして十分に生きてきてこその「老いる」時間です。
テロメアの短縮
真核生物のゲノムDNAは、ヒモ状で両端をもつ染色体にわかれています。そこで末端にはテロメアという短い配列のくり返し(5′—TTAGGG—3′)があり、このテロメアがキャップのように末端を保護しています。複製のたびに短くなり、終いになくなったり、長くても変異を修復できなかったりすると、細胞が増殖できなくなり、細胞老化や細胞死となります。
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老化の原因には、正しいタンパク質合成ができなくなり、悪いものが増えることがあります。うまく片付けることが大切です。
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5.一生の時間
加齢によって体が変化し、老化によって病気が増える、その過程がゲノムに刻まれていることがわかってきました。ゲノムDNAのメチル化を調べると年齢がわかるというのです。DNAメチル化は、ゲノムとその遺伝子のはたらきを調節する目印であり、同じゲノムをもつ個体の細胞にさまざまな役割を与えるエピジェネティック修飾の1つです。年齢と関わるシトシンメチル化は、胚でもっとも多く、加齢によって減っていきます。メチル化の位置は、臓器や組織で異なり、老化と関わる位置はしばしば病気の原因にもなります。個人の間でも違いがあり変化もしますが、同じ年齢の人同士ではより似ている、加齢に関わる箇所が見つかりました。まっさらなゲノムから始まり、そこに生きている時が刻まれるのが「一生の時間」なのかもしれません。
年齢を知るエピジェネティック修飾
さまざまな年齢の人々のゲノムを調べ、比較することで年齢と関わるエピジェネティックな変化が見つかってきました。子どもから若者では、免疫の発達や遺伝子の発現に関わる箇所が多く、老化では、逆に免疫の衰えを示す箇所もあります。統計的に発見されたので実際の影響はまだ研究が進められています。老化ゲノムでは、遺伝子発現を制御するプロモータがメチル化されはたらきが弱まり、転移因子が活性化して正常な機能のじゃまをしていると考えられています。
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断食によって誘導されたストレス応答遺伝子が、環境からのストレスに抵抗力を与えて寿命を伸ばします。このエピジェネティック情報が遺伝するのです。
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6.寿命と生きものの時間
生きものの寿命をみるとさまざまです。大きな生きものは寿命が長く、小さな生きものは寿命が短いという法則があります。大きな生きものは育つにも時間がかかるので、当然にも思えますが、実際に大きな生きものは、心臓の鼓動や呼吸もゆっくり、小さな生きものは食べるのも増えるのも大急ぎであることを「ゾウの時間とネズミの時間」の本川達雄さんは見つけました。しかし比べてみると、一生のうちの心臓の心拍数は同じくらい、体重あたりの食べる量も同じくらいなのです。小さな生きものの一生は短いですが、早く子どもを生み、次世代につなげるので、大災害などで急速に個体が減った時に生存の可能性が高いと考えられます。さまざまな生きものがいることが、生きものの強さと言えます。
分裂して同じコピーをつくる細菌には、寿命はないとされてきましたが、研究により機能的な寿命はあるとわかってきました。有性生殖によってゲノムを分配し、べつなゲノムと融合することでしか増えない生きものは唯一無二であり、死とともにそのゲノムをもつ個体は消えます。それぞれの生きものがライフステージを精一杯生きて、次に譲ることで、生態系は成り立っています。ゲノムを受け継いで生きものが続いているのですから、すべての生きものの時間には、38億年が刻まれているのです。
生きものの寿命
ここに挙げたのはデータベースに記載された生きものの寿命(最長寿命)の一部です。野生生物の寿命は外因によるもので、老化はしないという考えもあります。興味のある人は、調べてみてください。
AnAge: 動物の加齢と寿命のデータベース (英語)
文責:平川美夏
JT生命誌研究館 表現を通して生きものを考えるセクター
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