TALK
物理の時間・生命の時間
1.ひも理論って何?
永田
来年、JT生命誌研究館が設立30周年を迎えるにあたって、今年から「時間」をテーマに掲げています。そこでまず「時間」の基本となる物理的な時間を考えようとして、まず橋本さんが思い浮かびました。まずは専門の「超ひも理論」から、一般の方々に分かりやすくお話しいただくとありがたいです。
橋本
現代科学で、例えば物や宇宙が何からできているのかという問いに対してどこまで答えられるかというと、今は、細かく裁断する、実験の技術が大変進んでいますから、どんどん分けることができて、最終的には、素粒子と呼ばれる粒でできているということが分かりました。驚くべきことに全ての物質、地球上といわず宇宙全体の全ての物質やそこに作用する力が、全部素粒子で成り立っていて、その素粒子が17種類しかないということです。
永田
それは17種類しか見つかってないのか、17種類しかあり得ないのか、ここは分かっているのですか。
橋本
まず、なぜ17種類なのか答えた物理学者はいないので、分かればノーベル賞です。18種類目があるのではないか、という実験的な証拠も見つかりつつあって、ひょっとしたら100種類とかもっと多いのかもしれないです。明日にでも新しい実験で18種類目が見つかるかもしれません。
永田
あくまで観測で、理論から17と決まっているのではないのですね?
橋本
そうですね。では超ひも理論の話に移りましょう。素粒子というのは、人間が今のところそれ以上分けることができてないので構造がないと考えている「点」です。点であると考えると、先ほど言いましたようになぜ17種類かということが説明できない。一方、超ひも理論というのは、点である粒子が小さいひもであるという仮説です。科学者としては、分からない素粒子を加えていくという現象学ももちろん大事ですが、なぜそういう成り立ちになっているのかという、もうちょっと深いレベルで理解したいわけです。
永田
素粒子がヒモであるとして、17種類の素粒子の違いは何によって決まるのですか。ひもそのものの性質ではなく、周波数とか波長みたいなもので決まるのですか。
橋本
はい。例えば光は光子でできていますが、光子は電子などと違って偏光という性質を持っています。点ならば構造がないはずですから、なぜそういう方向を持てるのか非常に不思議です。そこでその点がもし小さな小さなひもだったとすると、ひもというのは点と違って振動することができるので、飛んでいく方向に垂直に振動もできる。このバイブレーションが偏光を生んでいるというイメージが湧きます。物理はもちろん実証科学ですから、それを計算式にしてその式をきちんと解くことで、光の性質がひもの運動の方程式から再現できるということをチェックします。実際にそれができるというのが面白いところです。ひもの運動からスタートして、方程式を立ててそれをうまく変形していくと、100年以上前から知られている光の波動方程式であるマクスウェル方程式を再現することができます。
永田
学生時代に苦労させられた記憶があります。
橋本
学部の授業では電磁波の方程式は、マクスウェルがまとめた式として習いますが、当時は現象的に非常にうまくいく理論として確立しました。今はその光子がひもであるという仮説から出発するとその方程式自身を導くことができますし、現実の世界の電磁波、Wi-Fiとか光とかそういうものも扱うことができるのです。
永田
ひも理論を使うと、従来の難しかったことの何が解決されたのでしょうか。
橋本
大事な質問ですね。この対談のテーマの「時間」にも関係しますが、物理学には宇宙が始まったときどうなっていたのかという、グランドクエスチョンがあります。そこで時間が始まったと考えられるかもしれないですが、残念ながら時空をつかさどるアインシュタインの一般相対性理論は、宇宙の本当の始まりのところ、これを特異点と呼んでいますが、そこでは法則が破綻してしまって、その方程式を追ってさかのぼることができなくなります。
永田
限りなく小さい点だったとしたらね?
橋本
そうです。そこで素粒子の理論をひも理論に置き換えたとしますと、最初の大きさというのがおおよそひもの大きさになりますので、それよりも小さい空間というのはそもそも考えることができない。そんなふうに理論に制限がつくと、宇宙の始まりというのが特異点ではなくきちんとした理論で記述できるのではないかと考えられています。このメリットを使うと宇宙の歴史をもっとさかのぼることができて、宇宙の始まりはすごく小さい宇宙だったと考えられていますが、さらに過去に行くとまた大きくなるという説もあります。
永田
何回目の宇宙って言われる説ですね。何回聞いてもごまかされたような気がする(笑)。
橋本
仮説の段階ですから。そういった証拠が将来の観測で見つかってくれば、時間の始まりについてもより面白い考察ができる可能性はありますね。
2.わたしの時間 宇宙の時間
永田
今日のタイトルは「物理の時間、生物の時間」としました。何か授業の時間割みたいですが(笑)、やっぱり時間ということを考えると物理的な時間というのはどうなっているのか、とても興味があります。ひも理論における時間はどういうふうに定義されますか。
橋本
宇宙の中に自分がいるとして、自分が感じている時間と宇宙の絶対的な時間という2つの時間が、超ひも理論にはそのまま実装されているとも解釈できます。そして、ひも1個の感じている時間と、宇宙全体の中で流れている時間は、同じものであるとすることができます。できるというのは、対称性などを利用してそう考えられる数学的な説明があるということです。
永田
もうちょっと、ひもが感じている時間というのを教えていただけますか?
橋本
黒板は使っていいですか。
永田
お願いします。ぜいたくな講義をしていただいて(笑)。
橋本
宇宙の研究者は、座標に空間を横軸にx、y、zで書いて、時間をtと縦軸に書きます。この座標に、素粒子が運動している状態を、ある時間に素粒子はここにいました、と時間と空間の交点の軌跡としてグラフで書くわけです。この形を決めるのが物理学で、例えばこの辺にいる粒子がニュートンの運動の法則に従っていると決めると、その法則の結果として未来が予測できます。関数としてx(t)やt(x)を与えて、方程式を立てて解くわけです。でも実はアインシュタインが、時間と空間を同じ立場で考える「時空」ということを100年前に導きましたので、時間の関数として空間の位置を考えるのは、不便です。そこで素粒子が感じている時間を別に導入することにします。グラフにタウτという目盛りを書きまして、タウの関数としてx(τ)、t(τ)に導入する。そうするとxとtがあたかも宇宙の時間のようになって、時空として入れ替えたりすることが簡単にできます。ここからタウを消去するとx(t)、t(x)が出てくるという仕組みです。こうして、素粒子の時間、タウと、それが入っている箱、宇宙の時間tの2つが導入されます。ところが、2つの時間を導入すると、次のような問題が起きます。タウは1つでないと自分の時間を刻めないので、素粒子が崩壊して2つになると、タウをどうすれば良いのかがわからなくなります。一方、素粒子がもしひもだったとすると、ひもには大きさがあるので、軌跡は膜みたいなものです。そこで、ひもが途中で分かれたとしても、ひも理論では膜は続いているので、高度な数学になるのですが、この膜の上にタウとシグマという2次元の座標を入れると実は全部うまくいくのです。
永田
お話しを聞いていて、吉本隆明の『固有時との対話』を思い出しました。
橋本
対話ですか、いいですね。タウは「固有時」とも呼ばれるものになっています。
永田
今までの考え方だと、固有時タウは常に宇宙の時間tと同じであるということになりますね。
橋本
タウは常にtと同じにも取れるということです。実は自分の時間タウというのは非常に自由に選ぶことができまして、その時間を宇宙の時間に一致させるように目盛りを決めてもいいし、そうしなくてもいい。タウは自由自在に変形できて、かなり自由が利く時間を使い、たくさんの素粒子が宇宙の時間を共有できるという理論になっています。
永田
なるほど。ひもにはそれぞれ自分だけの固有時があるということですね。
橋本
一般に人々がいう時間というのは宇宙の時間で、今日10時にここで対談を始めましょうっていうときの時間はこれですね。面白いのは、物理学者は大体自分が素粒子だと考えると思いますが、素粒子は、自分の時間と宇宙の時間というのは別個であると考えています。例えば自分が寝ている間は宇宙の時間は進んでいるはずですが、自分の時間は途切れています。そういった日常的な考えを素粒子に適用して、それで理論ができているのではないかと思います。
3.こぼれたコーヒーをカップに戻す
永田
時空という考え方からお聞きしたいのですが、時間の逆行というのは、橋本さんの理論ではどうなりますか。座標的にはマイナス方向への時間はあってもいいけれど、現実にはあり得ないですか。
橋本
そうですね。体験として時間を逆行するっていうことは、もちろん非常に難しいように聞こえます。物理学では、初期状態を用意して、どういう結果になるかを計算で予測して、実験で証明することで学問が発展するわけですから、時間がそのように流れるということにまず基づいて全部の理論がつくられています。その意味では、時間を逆行する、逆向きにさかのぼる、ということに理論的な不具合があるわけではない。ただ人間の感覚が入ってくるからだと思いますけど、逆行しているという言葉が物理学では非常に曖昧です。一般には時間が進んでいると感じるのは、エントロピー増大の法則ですね。
永田
それが唯一時間の方向性を決めていると習ってきたし、実感としてそれしか方向性を決める要素はないような気がしますが。
橋本
例えばコーヒーをこぼしたときに、これは元に戻らない、エントロピーの増大が見て取れたと思います。ただ、人間の技術ではできないですが、コーヒーがコップの中に戻るというふうな現象を再現することは可能です。起こるけれど可能性が非常に低い。時間が戻るように見える現象を禁止しているわけではないのに、エントロピー増大の法則があるから、人間は絶対に時間が逆向きに進まないと考えているのだと思います。
永田
僕が分からないのは、時間は全てエントロピー増大の方向へ行くとして、エントロピーが減少の方向に進むと、宇宙の一番の成り立ち、ビッグバンのところに行く。そのときの宇宙は大きさも限りなく小さくて、しかもそこは最も秩序立っていたことになりますよね。
橋本
それは面白い問題です。宇宙全体のエントロピーという問題は非常に難しいと思います。宇宙の始めは素粒子が全部スープみたいになって、秩序がありません。一方、今の宇宙を見ると非常に秩序立って見えます。それでエントロピーが増えているというのはどういうことだということですよね?
永田
その通り、全く実感がわかないです。
橋本
それは基本的には重力が引力であり、電磁気力は引力にも斥力にもなるという、この違いが表れているということです。
永田
なんだか禅問答のようですが、もう少し説明をお願いします。
橋本
重力というのは引力なので、必ず不安定性を増強するのです。近くにあると絶対寄せ合って、構造をつくろうとします。一方、電磁気力というのは、プラスのものとマイナスのものが幸い宇宙には同じ量あって、プラスマイナスは引き合いますがプラスプラスは反発するという性質なのでスープ状態が可能なのだと思います。宇宙の話においては、アインシュタインの重力の方程式を解くと宇宙が膨張したりといった帰結になるので、重力のことをきちんと考慮する必要があります。そのときに、構造ができているかどうか秩序立っているかどうかをうまく言い表すのは、とても直感に反する話になります。宇宙だけを外からしか見てない人がいたら、だんだんと構造が出来上がって秩序立ってくるように見えますので、時間が逆行しているように見えるのではないかと思います。
4.日常はとっても多次元
永田
物理学者であっても日常の時間を過ごしておられる橋本さんにとって、物理的な根源的な時間の認識と日常的な時間感覚とは全然別のものですか?
橋本
もちろん全然別なものとして自分では扱っていますけども、理論をつくるときに結局大事なのは、経験的な感覚だということが最近よく分かってきました。つまり例えば物理学者が、ああ、分かったというのはどういうときかというと、その考えている物理システムが、例えば、単にばねの振動で、記述できるということが数式上判明した場合。つまり、複雑な現象を簡単なものに落とし込む作業をしているのです。固有時について考えるときも、数学的に学ぶときは非常に技巧的だと思いますが、実は時間がとても早く過ぎるように思うときもあれば、ものすごく長く感じるときもあるという、人間の時間感覚をそのまま素粒子に導入したにすぎない。そういった考えが固有時の目盛りがどうであってもいいという話につながって、分かったとなるのだと思います。
永田
なるほど。それは大事なポイントであるように私には思えます。どんな理論であっても、それが現実の人間の思考の中で、腑に落ちるということでないと正しいとは考えられない。その時に、分かるという感覚は同じですか。
橋本
分かったと思うものをつくるのが物理学者だと思うので、そこに時間とか空間とか基本的な作業の感覚があらわに反映されているのを日々感じています。
永田
超ひも理論の専門家として見る時間の中で、橋本さんが人間としてあるいは生命として、時間というのはどんなふうに感じておられるか。そこで、本当にたまげたというか感激したのは、ご著書の「物理学者のすごい思考法」にある四角形の小説です。
橋本
最初つくったとき『時間2次元小説』と名付けました。
永田
僕は定型詩、短歌というのをつくっている人間なので、ある音数律の中で自分の思いを表現するということをもう50年以上やってきて、言葉については専門家だというある種の自負があります。ところが、橋本さんのこの「2次元小説」は、考えつかなかった。20字掛ける20字のマスに文字が並んでいて、それが文章を作っている。途中に縦横に分岐点があって、その分岐点でどちらに曲って文字を辿って行っても、どんなふうにも読んでいけて、どういう読まれ方をしても、一応文意が通っている。超絶技巧というか。これは要するに時間自身も分岐点があり、チョイスができるという発想ですね。どちらの時間も独立に進んでいく。意味深ですよね(笑)。
橋本
時間というのは何時何分というふうにみんな決まっていると思っているけれど、実はそれぞれの観測者が固有時を持っている。アインシュタインが導入したのですが、その考え方に物理学者はすごく慣れ親しんでいます。もう一つの発展型として、例えば空間は3次元だけどなぜ3次元なのか、時間は1次元だけどなぜ1次元なのかという問題があります。永田さんの時間と僕の時間がお会いしてお話しすることで交換され、僕と永田さんの時間を組み合わせれば時間が2次元になったりするのかと、そういう考えがひょっとしたら物理学に実装できるのではないかというふうに思っています。
永田
それはタウの時間がということですね?
橋本
そうです。例えば小説を読んでいるときに、時間が1次元だと感じるのは本のせいだと思ったのです。そこで、空間だと縦と横がありますから、時間的じゃなくて空間的にしてみようと、初めは字をむちゃくちゃに並べてみました。それをぱっと見て意味が取れるかというと、全然取れない。やっぱり小説や文章は、自分の時間に合わせて文字を一個一個見ていくという作業で、自分の中の固有時と同期されるということです。そこで全部をばんと見せるのではなく、分岐型にしました。そうすると、さまざまな体験が一つのビジュアル、一つの作品に収まりました。もともとの動機は、固有時を、自分の感じる時間を2次元にしたいということで、それが日常の体験になれば、ひょっとしたら時間は1次元だと思っていること自体が幻であるような、そういう物理理論にたどり着くのではないかと思ったのです。
永田
われわれが物を書いたり読んだりするときに、今おっしゃったように一直線に読む、これに慣らされているけれど、物にはいろんな読み方があるということです。つまりどこか常に別のことを考えながら別の想像力を働かせながら読むことも可能だと。橋本さんが時間も何とか2次元化したい、多次元時間みたいなのを考えたいという動機はよく分かります。物を読んでいるということは一体何だろうかということを非常に考えさせられた。
橋本
僕がそれで目指していたことが一つあります。それをつくっているとき、自分の過去に感じていたたくさんの経験があって、それを取捨選択して入れていきました。そこに時間の非局所性といいますか、自分の経験、頭の中にストアされたものを次の時間に紡ぐのですが、今日書くのと次の日書くのでも内容が違ってきます。だから自分を正確により具体的に読者に伝えたいというときに、それを同時に表現したいと思ったのです。
永田
自分はこう感じているというのは本当にそう感じているのか。つまり、文字に書くと一つのことに収斂してしまうけれど、書く前の自分というのを考えるとそこにいろんな、あるいはある場合は反するような思いもあって、一つの言葉を選ぶと、ほかのことは全部捨象してしまう。一つのことを記述すると、それに付随したほかのもの全てがその表現からなくなってしまう。これを気付かせてくれましたね。
橋本
そこまで成功できていないと思っていたので、そう言っていただけてうれしいです。
5.生きものの時間
永田
生命の時間というのは、また今の物理の時間と全然違って、われわれは時間に縛られた存在であって、例えば、寿命という問題がある。こういう寿命という限られた時間の中で、橋本さんの固有時タウは、一般の世界の時間tとは必ずしも合わない状態で生活しているはずですね。日々どこかでタウをtと参照しつつ、位置関係をはかりながらでないと、自分の生活ができないのではないですか。
橋本
寿命といっても、普段は自分がいつか死ぬということは、忘れていることが多いと思います。でも、本当はそれを意識して生きているはずですよね。例えば「ご飯食べないかん」と思うのも、お腹が空くという直感に支えられているだけかもしれませんが、生きないといけないということが、体にエンコードされていると思います。今日は永田さんと、人間を含む一般の生命体の時間の捉え方というのはどうなっているのかをお話しできるのがすごく楽しみでした。
永田
生物には生物時計とか概日リズムと言われるリズムがあって、24時間周期のメカニズムがわかっています。例えば、ピリオドという遺伝子が発現してピリオドタンパク質がつくられますが、ピリオドの発現を促す役目のタンパク質があり、ピリオドはその発現を負に制御します。そこで、ピリオドがどんどんつくられると、やがてつくられる自身の量が減ってくる。そうすると、止めるものが減るので、またピリオドをつくり始める。このフィードバックレギュレーションが24時間周期で回っています。
橋本
面白いですね。前から疑問がありました。化学反応にかかる時間というのはとても短いのに、それをどうやって重力がつくっている1年とか1日とかいう長さに合わせているのか。
永田
これは細胞の中での周期ですが、多くの遺伝子が周期性をもつことがわかっています。宇宙の時間とは全然違うけれど、生命というのは時間を離れては存在できなくて、その基本はやっぱり昼と夜の違い、1年という時間の違いですね。これは単純に地球上の生物が、地球の自転と公転の周期に支配されているということの裏返しですが、この時間性は生命活動の一つの根幹をなしており、生命の進化もこれを利用する、あるいはそれに反しないような方向に進化してきたと考えられます。
橋本
人間の寿命、生命体の寿命も、遺伝子で説明できるのですか。
永田
寿命について言えば、1個の細胞にも寿命があって、これはヘイフリックという人が見つけたのでヘイフリック限界といいますが、われわれの細胞を培養して細胞分裂を繰り返すと、たかだか50回でもうそれ以上分裂できなくなる。細胞寿命と言います。これは、DNAを合成するときに、DNAはひもなので、末端にあるテロメアという構造が分裂のたびに短くなるからです。末端が複製できないので、短くなる。テロメアは分裂の回数券みたいなもので、使い切るともうそれ以上細胞は分裂できない。それを逸脱したのががん細胞で、テロメラーゼという酵素が削られた部分をもう一回複製するので、がん細胞だけは無限に分裂できる。
橋本
ひも理論には閉じたひももありますが、閉じたひもにしておくと大丈夫ですか。
永田
ああ、まさにそのとおりです。バクテリアはDNAが環状です。末端がない。末端にあるテロメアという構造もなく、何度でも分裂できるので、寿命がないのです。ハイデッガーが、われわれには死という絶対消滅点があるから現在の生が充実するのだということを言っています。バクテリアのように消滅することがないのであれば、今という瞬間を充実した時間として生きることはできない。今を生きるということでいうと、自分がいかに今面白いと感じているかということをみんなに知ってほしいという気持ちは絶対ありますよね?
橋本
それはありますね。
永田
若い人に伝えたいということを意識して執筆活動をなさっていると思いますが、物理学に来てほしいというメッセージなのか、「こんなおもろいこと考えられるんやで」ということを言いたいのか。
橋本
両方です。大学に勤務するようになって、いかに大学院生が柔軟な思考を持って自分を驚かせてくれるか、毎日体験します。自分が面白いことを考えて、それを話すと学生が驚いた顔をするのも喜びですが、次の日になって学生がそれを超えるようなイメージを持ってきて「面白いでしょ」と言われて、ああ、面白いなと思う。こういう経験をしたいためだけに物理をやっているような気がします。それから大学院生にどうして物理学者を目指すのかと聞く機会があります。そうすると大抵の人が、アインシュタインの伝記を読んだとか高校や中学時代の思い出を話します。こんな人たちが増えるためには、「この面白さを言っとかんとあかん」とずっと考えています。例えば『Newton』のような雑誌に登場して面白おかしく物理を語ると、それを読んで大学に入って研究室に来てくれた子がいます。実際に10年ぐらい活動すると本当にそういう子が生まれてきて、その子が僕を驚かしてくれるようになる。すごく長い時間はかかりますが、これはうれしいですね。
6.うけつがれる時間 〜湯川記念館にて〜
橋本
この奥に湯川さんが実際使っていた部屋がのこっていまして、記念室として、つい先月から湯川さんが使っていた本の現物を展示しています。
永田
本棚がそのままで、これは多くの人にみてもらいたいですね。
橋本
湯川さんの短歌がこちらに。科学者と和歌というものは、永田さんの中ではすごく自然なものとして捉えてらっしゃいますよね。
永田
湯川さんは教養というか趣味でやっておられたのでね。しかし、なぜかエッセイで全集が出るくらいの人は、物理の人が多いですね。
橋本
湯川もそうですけど朝永とか寺田寅彦もたくさん書いていましたね。
永田
朝永さんは文章もある種磊落なところがあって、自分の駄目なところもきちんと書ける人だけど、湯川さんはどちらかいうとそこは書けない人ですね。
橋本
そうですね。初めからああやってスターダムにのし上がった人なので、書けなかったのではないかと、今お話ししていて気がつきました。
永田
エッセーとしては、僕は朝永さんの方が好きですけど。
橋本
僕もです。
永田
橋本さんは湯川さんから数えて何番目の教授ですか。
橋本
7番目です。
永田
僕は湯川先生が退官された年に1971年に入学したので、最後の学生でした。
橋本
晩年に、素領域理論を発表していますが、結局成功しなかったです。そこから超ひも理論につながったので、着想は良かったのですが、それを理論立てることが当時できなかった。
永田
数学はまだできてなかったということですか。
橋本
そうですね。ヴェネツィアーノという人が1960年代にそれを実現する公式を一つ発見して、それが契機になって、南部さんとサスキントやニールセンがひも理論をつくりました。そこまで醸成していなかったということです。
永田
僕らが卒業する辺りで素領域という言葉は聞きました。残念ながらよくわかりませんでしたが。
橋本
湯川さんは講義でも、今の研究で考えていることを話してらしたのですか?
永田
いや、僕が聞いたのは物理学通論という講義で、古典力学から量子力学、統計力学もあり流体力学もあって、まさに「通論」でした。湯川さん以降、「物理学通論」という講義が無くなったそうで、やはり「通論」として語れる人がいなかったということなのでしょうね。湯川さん、孫たちにしゃべっているようなもので、しかも最後の年だったので、リラックスしていました。面白かったです。
橋本
いいな。聞いてみたいですね。
永田
あのときに、「君らな、今役に立つものって30年たったら何の役にも立たへんで」と言っておられたな。
橋本
ご自分の何らかの経験からおっしゃっていたのでしょうか。
永田
そうでしょうね。基礎研究が大事だっていうことを言いたかったのだと思います。
橋本
なるほど。いい言葉ですね。
永田
本当にその通りで。今役に立つことは30年たったらもう廃れてなくなっている。だけど、30年先に役に立つことって今は何も分からない。結局、役に立つことをやるというのは自己矛盾だと僕は思っている。
橋本
長い目で見る視点を考えると、宇宙はユニバーサルな視点を与えてくれていいと思いますが、でも逆に人間の人生に比べると宇宙は長すぎます。30年ってちょうどいいですね。
写真:大西成明
対談を終えて
永田 和宏
宇宙と日常を行き交う豊かな「時間」
「生物の時間」「生命の時間」を考えたとき、もっとも遠いところにあるのが「物理の時間」ではないかと考え、最初に思い出したのが橋本幸士さんだった。初対面だったのだが、不思議なことに旧知の友人のよ うな対談となった。橋本さんはいつもTシャツ、ジーンズであり、それにもシンパシーを感じるのである。おまけにTシャツの胸には{SORIUSHI}の字とともに、手を後ろで繋いで反っくりかえっている牛が! こういう遊び心が、自在な発想のもとに「超ひも理論」という物理学の難題へのモチベーションになっているに違いない。
橋本 幸士
時間の次元を「個の時間」の交差に探して
時間という概念は身近すぎるので、物理学でも捉えどころがない。あると仮定しておけば、物理学の記述 は進む。だから、疑いたくない。永田和宏さんとの対談では、時間を疑う姿勢が前提だったのが、楽しい議論の幕開けを誘った。物理学においてどこまで時間の概念を拡張できるか、という議論では、時間には宇宙の時間と個の時間があり、物理学ではそれらを区別できるということを説明し始めたが、その時僕の中に、拡張が足りないという感触が漂い始めた。永田さんがハイデガーの時間論に言及した時、ちらりと見えた可能性が、頭にこびりついている。
橋本幸士(はしもと・こうじ)
1973年生まれ、大阪育ち。京都大学大学院理学研究科教授。専門は理論物理学、超ひも理論、素粒子論。 1995年京都大学理学部卒業、2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。東京大学、理化学研究所、大阪大学などを経て現職。著書に『超ひも理論をパパに習ってみた』『物理学者のすごい思考法』など多数。