Special Story
バクテリアから生きものの基本を探る
1996年、O157で死者が出た時は、大騒ぎになりました。大腸菌というなじみの菌の仲間になぜそんな恐ろしいものがあるのだろう。研究室で使われているK-12株と比べた結果、大腸菌ゲノムとしての共通の基本骨格(410万塩基対)があり、それに外からの遺伝子を取り込んで、さまざまな株になっていくことがわかりました。それはどこからどうやって入ってくるのか。ゲノムの中にたくさん存在する、どう見てもファージ(ウイルス)としか見えないDNAが怪しい・・・・・・ゲノムの進化と多様性のダイナミズムの基本が見えてきます。
おなじみの大腸菌も、じつは多様な菌株の集団なのだ。通常の大腸菌は動物や鳥類などの腸管に棲息する常在菌であり、ヒトに対する病原性はない。遺伝子組換え実験などに広く利用されているK-12株はその代表である。しかし安心してはいけない。腸管病原性大腸菌や尿路病原性大腸菌、新生児の髄膜炎を起こす菌などさまざまな病原性大腸菌もいる。そのうち、腸管出血性大腸菌と呼ばれるタイプは、出血性大腸炎(出血性の下痢と激しい腹痛)を起こし、その代表がO157だ。このタイプがとくに恐ろしいのは、感染力が強く、溶血性尿毒症症候群や脳症など生死に関わる疾患を合併することである。O157による感染症は新興感染症の一つで、1980年代以降にその存在が認識されるようになり、なぜか先進国でのみ大きな問題となっている。
O157と非病原性大腸菌K-12株の走査電子顕微鏡写真。
O157とK-12(枠内)は、構造的には区別がつかないが、その病原性は大きく異なる。
(写真提供=山本達夫/新潟大学医学部細菌学教室教授)
なぜ同じ大腸菌でありながら、それぞれの菌株の性格がこうも異なるのか。どのようにしてO157が生まれてきたのか、あるいはO157は本当に大腸菌といえるのか。この問いを解くために、O157の全ゲノム配列を決定し、K-12の配列と比較した。
大腸菌群のゲノムサイズは440万塩基対から560万塩基対とバラエティーに富んでおり、O157はゲノムサイズのもっとも大きな大腸菌の一つで、約550万塩基対、約5400個の遺伝子が存在する。K-12(約460万塩基対)と比較すると、O157のほうが約20%大きいが、約410万塩基対の領域は両方の菌でほとんど同じ配列だ。O157とK-12は、大腸菌の中で系統遺伝学的にもっとも遠い関係にあるグループに属しているので、410万塩基対の共通配列は大腸菌ゲノムの基本骨格といってよかろう。
基本骨格以外の領域は、相互にまったく異なり、基本骨格のいたるところに、さまざまな大きさのブロックとして挿入されている。O157の場合、総計140万塩基対の挿入領域に約1650個の遺伝子がある。
これらの遺伝子の構造を調べてみると、その多くは別の菌種から取り込まれた外来性遺伝子だった。胃潰瘍の原因となるということで最近話題のピロリ菌などは全ゲノムが160万塩基対だが、O157はこれとほとんど同じくらいの数の遺伝子を外から取り込んだことになる。外来性遺伝子の中から、すでに知られていたベロ毒素の遺伝子のほかに、腸管への付着や細胞内侵入に関わる遺伝子や新しい毒素遺伝子など、多数の病原遺伝子が発見された。今後、これらの遺伝子の機能解析により、O157が病気を引き起こすメカニズムが明らかになるだろうが、予想以上に多種多様な病原遺伝子の存在は、O157の病原性のメカニズムがかなり複雑である可能性を示唆している。一方、K-12に特有の53万塩基対の配列の多くも外来性遺伝子と考えられるが、その中には明らかな病原遺伝子は含まれていない。
これらの解析結果から、多様な大腸菌が生まれるメカニズム、つまり進化の機構は、次のように推測できる。すべての大腸菌株のゲノムは、約410万塩基対の共通な基本骨格をもち、そこにコードされる遺伝子セットによって大腸菌に共通の性質、つまり種としてのアイデンティティが規定され、一方、各株の性質の違い(菌株の「個性」)は、獲得した外来性遺伝子によって規定されているというものだ。新たに生じる疑問は、このような大量の外来性遺伝子をどうやって獲得したかだ。
O157のゲノムを詳しく調べると、24種類ものファージ(バクテリアのウイルス)あるいはファージ様の遺伝因子が存在していた。O157に特異的な配列の約3分の2をファージあるいはファージ様遺伝因子が占めていることになる。驚くべきことに、同様に、K-12にも11種類のファージあるいはファージ様因子が存在する。ファージにはそもそもバクテリアのゲノムの中に入り込んで、あたかもその一部のように増えていく性質があるので、大腸菌が大量の外来性遺伝子を獲得して進化する過程には、ファージが非常に大きな役割を果たしていると見てよさそうだ。
O157とK-12株のゲノム構造の比較
O157とK-12のそれぞれに特有な配列の分布。中央横軸に基本骨格を書き、O157にしかない配列を上にはみ出させ、同様にK-12特有の配列を下にはみ出させて書いてある。はみ出している部分の長さはブロックの大きさを示している(単位は千塩基対)。O157のほうがたくさんはみ出している。赤色はその配列がファージあるいはファージ様遺伝因子であることを示しており、非常に多いことがわかる。
O157のゲノムに入ったファージの配列を細かく比較してみると、とてもよく似た配列をもつものが13あった。もともとは4種類くらいのファージだったものが組換え、再感染、配列変化などを繰り返して数を増やしてきた結果とみられる。つまり、ファージの側から考えると、O157は新しいファージが次々と作り出される一種の「ファージ製造工場」のような場所だといってよいわけだ。ファージとO157(おそらく他の大腸菌も)は、深く関係しあって、共に進化してきたに違いない。
このようにO157のゲノム解析によって、大腸菌群の遺伝的多様性の実感やダイナミックな進化のメカニズムが明らかになってきた。今後別のタイプの大腸菌や近縁種であるサルモネラなどのゲノム配列を解析し、大腸菌の遺伝的多様性の全貌や進化の機構をさらにはっきりさせるだけでなく、各タイプの病原性大腸菌の病原性を規定している全遺伝子セットを特定することもできるだろう。病原細菌を用いて、進化と多様性という生物の基本性質を整理した形で考えられるのは面白い。
O157とK-12のゲノム進化のメカニズム
O157とK-12は、共通の祖先から分かれ、それぞれ特有な外来性遺伝子を大量に獲得することによって、病原菌あるいは非病原菌として進化してきたと考えられる。
大腸菌の進化系統樹
mdh遺伝子の配列を用いて描いた大腸菌株の系統樹を模式化したもの(Pupo,G.M.et al. 1997より改変)。腸内常在菌のK-12とO157は、500~600万年前に分かれた。
ヒトが類人猿から分かれたのとほぼ同時期である。
林 哲也(はやし・てつや)
1958年生まれ。宮崎医科大学微生物学教室教授。信州大学医学部卒業。同大学細菌学講座助手・講師・助教授を経て2000年10月より現職。専門は、病原細菌のゲノム解析。ゲノム生物学的な手法を用いた細菌の病原性機構や遺伝的多様化の機構の解析を行っている。