1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」21号
  4. Special Story DNAで古代の作物を追う

Special Story

縄文人は何を食べていたか
— 新しい科学が明らかにする日常

DNAで古代の作物を追う:佐藤洋一郎

縄文稲作の想像図。手前にはイネやアワが雑然と植えられた「畑」がある。畔も水路もない「田」は,原野を焼くなどして拓かれたものと考えられるが,考古学的な証明はまだなされていない。
(伊藤美穂画)

DNAを用いて恐竜を再現する映画『ジュラシック・パーク』は,大人気を博した。1億年前の恐竜はともかくとしても,考古遺跡から出土する動植物の遺体はせいぜい1万年前のものなので,比較的良好な状態のDNAを回収できる。それは,書物のない時代の人々の生活や,人をとりまく生態系の様子を知らせてくれるすばらしい記録であり,多くのことを語ってくれる。遺物からDNAを抽出する方法は,現生の生物からの抽出の方法とたいして変わらない。ただ,残っているごく微量のDNAを逃さないことと,埋蔵中や掘り出し作業中に付いた微生物などのDNAを誤って採らないようにするのにとても神経を使うけれど。

クリが栽培されていた

1994年,500人規模と推定される縄文遺跡,青森・三内丸山(さんないまるやま)遺跡から,多量のクリが出土した。クリに強く依存した生活だったと考えられるが,それほど多量のクリをどのようにして手に入れていたのだろうという疑問が出てきた。野生のクリを集めていたのか。それともクリを栽培していたのか。この問題は,たんにクリの生産形態だけでなく,当時の人々の文化レベルや,自然改造の程度,さらには生態系への影響度などを推定するのにも重要な要素である。

農耕の有無や栽培の事実を出土遺物から証明するのは容易ではない。そこで私は,植物そのものに着目し,「集団における遺伝的多様性」を手がかりとして,野生クリか栽培クリかを知ろうと考えて研究を開始した。森から集めた野生のクリの実は,見た目に均質でも,DNAを分析すると,遺伝的形質は多様であることがわかる。この多様性は,気候変動や洪水で多くの個体が死滅するなど,集団の個体数を大きく減らすような何らかの力が集団に加わった場合や,ある決まった系統のみを栽培して増やしていった場合に消えていく。

そこで多様性の検討から,栽培がどの程度進んでいたかを知ることができると考えた。遺跡から出土したクリの実と,現存の野生のクリの実からDNAの断片を取り出して,4つの部分でその多様性を比較したのだが,いずれも,出土したクリの遺伝的多様性は,野生のものよりはるかに小さかった。こうして三内丸山遺跡出土のクリの実の集団がかなり強い選抜を受けていたことがわかり,私たちは,おそらくそれが栽培によるものであろうと考えたのだ。

稲作の起源をDNAで追う

クリも興味深いが,縄文の農耕を語るうえで無視できないのが,稲作があったかどうかという問題である。縄文時代のものとみられる米粒(あるいは籾)は以前から報告があり,そのたびに縄文稲作の可能性が語られてきた。ところがそれはその都度否定され,結局,縄文稲作論は日の目をみることがなかった。その理由は,当時の水田が見つからないためだった。稲があるのに水田はない。この一見矛盾した二つの事実を同時に満たす答えは「陸稲」である。樹木や草を焼き,その灰を肥料にして穀物を栽培する焼畑などが典型である。

陸稲には熱帯japonicaという稲が適している。縄文稲作があったのなら,栽培されていたのは熱帯japonicaではないだろうか。現在日本の水田で栽培されているのは温帯japonicaで,同じjaponicaに属してはいるが,種子や葉の形態のほか,DNAもわずかながら違っている。私たちは,これらの違いを手がかりに,縄文時代の稲の性質を調べてみた。その結果,縄文遺跡から出土した数点の炭化米(真っ黒に変色した米粒。ただし燃えているわけではない)が熱帯japonicaであることがわかった。

ところで,稲はそもそもどこから来たのだろうか。最近では,その起源地の一つとして,長江(揚子江)の中・下流域が考えられている。最近,そのあたりにある7000年~6000年前の遺跡から出土した40粒の炭化米からDNAを取り出して,22粒を分析したところ,すべてがjaponicaであり,そのうち4粒が熱帯japonicaだった。長江下流域で生まれたこの熱帯japonicaが,日本の縄文の稲作の起源なのだろうか。そうだとすると,どのような経緯で日本に入ってきたのだろう。さらに,現代の水田稲作の稲 — 温帯japonicaは,いつ,どこで生まれどのようにして日本に入ったのだろう。縄文の生活から現代まで,食物を通して日本人の日常を追う研究はまだまだ続く。

 

三内丸山遺跡出土のクリ(上)と周辺の野生クリの集団(下)のDNAのパターン。出土したクリの実は,野生のものに比べて一様であることがわかる。

左)縄文遺跡(2000年前)から出土した炭化米。同じ場所から出た炭化米のDNAを解析したところ,熱帯japonicaであることがわかった。
右)焼畑の熱帯japonica。ラオス・ルアンナムタ。
(写真はいずれも佐藤洋一郎)

佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

1952年和歌山県生まれ。京都大学大学院農学研究科農学専攻修士課程修了。国立遺伝学研究所助手を経て,現在静岡大学農学部助教授。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

季刊「生命誌」をもっとみる

オンライン開催 催しのご案内

レクチャー

12/14(土)14:00-15:30

季節に応じて植物が花を咲かせるしくみ