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ハエとエビの進化を探る
-節足動物の多様性に迫る遺伝子研究
ナナフシ、チョウ、バッタから、エビやクモに至るまで、節足動物の多様性は他に例を見ないほど豊かです。分子生物学の手法を使い、節足動物の進化に迫ろうという新しいb動きが世界各地で始まっています。
1.節足動物とはなにか
昆虫類やクモ類、エビやカニ(甲殻類)、あまり人には好かれないゲジゲジやムカデ(多足類)などは、すべて「節足動物」という仲間(専門用語で節足動物門)に属します。その特徴は、体がたくさんの節でできていることと、その節に、間接をいくつももった脚が生えていることです。
節足動物は、地球上に現存する多様な生物の中で、その種類の多さにおいて、もっとも成功した仲間だといわれています。今までに分類学で名前を記載されている生物は約300万種。なんとその半分以上が節足動物で、なかでも昆虫類は100万種を超える最大のグループです。クモ類も約6万種います。同じ分類単位の哺乳類や鳥類が、それぞれ約4500種、9000種なのに比べると、いかに多いかがわかります。
節足動物の形態は実に多様です。1mmにも満たないノミやプランクトンから、日本海にすむタカアシガ二(節足動物としては世界最大)のように体長4mに達するものまであります。また、チョウのように美しい模様をもつものもあり、多くの人たちがその多様な世界に魅了されてきました。
2. 節足動物の系統
これほど多様な節足動物はたちは、いったいどのように進化してきたのでしょうか。
生物の進化を知るには、化石の研究がもっとも重要な方法でした。節足動物についても、いくつかの化石が見つかっています。それによると、古生代(約5億5000万年前から2億5000万年前までの時期)には現在とかなり近い形態を今から6500万年前以降の新生代に多様化した哺乳類と比べても、はるかに昔から繁栄していたのです。
節足動物は古生代にすでに繁栄していた
①ウミサソリ(鉄角類)。シルル紀後期。カナダ・オンタリオ州産。
②カブトガニの一種(甲殻類)。ジュラ紀後期。ドイツ・ゾツンフォーヘン産。
③三葉虫(三葉虫類)。このグループは古生代の終りに絶滅。現存の節足動物のグループいずれにも属さず、独立して分類される。オルドビス紀前期。中国湖南省産。
④トンボ(昆虫)の翅。ペルム紀。ロシア・マルハンゲルスク産。
(写真=北九州市立自然誌博物館)
では、節足動物に属するいろいろな生物種は、お互いにどのような関係にあるのでしょう。進化のうえで近いのはどのグループでしょうか。残念ながら、この問題には化石の情報はあまり役に立ちません。最大の問題は、小さく壊れやすい体をもつ昆虫やその他の動物の化石が、ほとんど見つかっていないことです。今のところ、化石の試料からは、節足動物の中での相互関係については、多くのことは言えない状態です。
そこでそれに代わる方法として、現存の生物の形態を詳しく調べ、比較するという方法が長年にわたって使われてきました。ところが、この方法にも問題があります。数多くの形態的特徴のうち、どれに注目するかで異なる結論が出てしまうのです。今のところ、できるだけたくさんの形態的特徴を比べることで、いくつかの説が出されています。
昆虫に近いのは、エビ・カニかムカデか?
昆虫、甲殻類、鋏角類(クモ、サソリなどの仲間)、多足類(ムカデやゲジゲジなどの仲間)はいずれも節足動物に属する。これらのグループ同士の関係は、19世紀から研究者を悩ましてきたテーマである。
左半分は、脚や呼吸器官などの形態を比較することで作られた系統樹で、これによると昆虫にもっとも近いのは多足類になっている。ただし、形態による系統樹には、いくつかの異なる仮説があり、ここに示したのは比較的広く支持されているものの一つである。
右半分は、1995年、アメリカとドイツのグループが出したDNA解析の結果をもとに作成した系統樹で、昆虫に近いのは甲殻類だという考えを支持している(文献1より)。(写真= 楚山勇)
その中で、比較的有力な説を、上の図の左半分に描きました1)。これは、脚の構造や、呼吸や排泄のための器官のはたらきなどを比較することで作られた系統樹で、昆虫はゲジゲジなどの多足類にもっとも近く、クモ類とはもっとも遠いというものです。
ところが昨年、これまでとはまったく別のタイプの研究が、ドイツとアメリカの2つの研究グループから、イギリスの科学雑誌『ネイチャー』に発表されました。いずれも、ゲノムDNAがもつ情報を利用したという点が特色です。系統関係が近いものほど、DNAの塩基配列(A、T、G、Cの並び)などの特徴が似ているという方法で、最近多くの生物の進化の研究に用いられるようになってきました。
ドイツ・ミュンヘン大学動物学研究所のグループは、リボソームRNA(細胞がたんぱく質を作るときにはたらくRNA)を作るための遺伝子の配列を、いろいろな節足動物で比較しました2)。またアメリカ・ミシガン大学のグループは、ミトコンドリア(細胞内小器官)が独自にもつゲノムDNAの構造に注目しました3)。
2つのグループが出した結果は、どちらも基本的に同じ、しかも今まで形態の研究からいわれていた系統関係とは異なっていました。昆虫は、エビやカニなどの甲殻類に近いとう結論が出たのです。
3. 形づくり遺伝子の研究
DNAレベルの系統解析から、昆虫と甲殻類が近いという一応の結論が出ました。
しかし、近い関係にあるといっても、その形態の詳細は同じではありません。たとえば、昆虫と甲殻類では、頭、胸、腹にある節の数も、脚の数も違います。
いったいこの違いは、どのようにして生じたのでしょう。
近年の生物学では、生き物の体を作るときにはたらく遺伝子の研究が進んでいます。そういった形作りの遺伝子を多様な生物で比べることで、形態の進化に迫ろうという研究が世界の各地で始まっています。
イギリス・ケンブリッジ大学のエイカム博士のグループは、とりわけ早くからこの方法を取り入れ、節足動物の進化について研究を行ってきました。そして数年前、新人の大学院生として研究室に加わったアバロフが始めたのだが、アルテミア(ブライン・シュリンプ, Altemia franciscana)という甲殻類の一種と昆虫を比べるという研究でした。
彼らは、比較する昆虫として、ショウジョウバエを使うことにしました。その理由は、いくつもある昆虫の中で、ショウジョウバエの体ができる仕組みがはるかによくわかっているからです。
ショウジョウバエは、英語で “ Fruit fly ” と呼ばれ、腐った果物などに集まる小さなハエです。20世紀初めアメリカの遺伝学者モーガンがたくさんの変異体をとって以来、遺伝子研究のモデル生物の一つになっています。変異体の中には形づくりが異常になるものもいくつも見つかっています。たとえば、本来2枚のはずの翅が4枚になるバイソラックス変異、触角が生えるべきところに脚ができてしまうアンテナペディア変異などは有名です。
1980年代以降、遺伝子組み換えの技術のおかげで、遺伝子をDNAという物質として直接調べられるようになったので、ショウジョウバエの変異体では、どの遺伝子が異常になっているのかが、一気に調べられました。ある遺伝子が異常になって形のおかしなハエの中で形づくりに関わっていることを示します。そうやって、体の各部分ができるときに必要な遺伝子が、次々とDNAのレベルで解明されていきました。
こんな生き物も節足動物
①フジツボ(甲殻類)。②フリソデエビ(甲殻類)。(写真=楚山勇)
4. 形づくりの遺伝子のはたらきを比較する
アバロフとエイカムは、このようにして多くのことが知られていたショウジョウバエの形づくり遺伝子の研究を、他の節足動物にまで広げたのです。彼らは、ショウジョウバエの胸と腹の部分を作るのに必要な3つの遺伝子に注目することにしました4) 。それらは遺伝子は、ホメオティック遺伝子と呼ばれる一群の遺伝子の一部で、形づくり遺伝子としては、早くから研究が進んでいました。
ショウジョウバエでは、この3つの遺伝子が、体の前後の軸に沿って少しずつずれて発現し(遺伝子の産物であるRNAとたんぱく質が作られ)、異なったはたらき方をすることによって各部分の違いができます(下図)。
そこで、まず、アバロフたちは、同じ遺伝子がアルテミアにもあるかどうか調べたところ、細かい部分では少しずつ違いますが、ショウジョウバエの遺伝子それぞれに非常によく似たものが、3つ見つかりました。
次に彼らは、それた3つの遺伝子がアルテミアの形づくりの過程でどの部分で発現しているかを調べました。するとショウジョウバエと違って、3つの遺伝子のすべてが、胴体のほぼ同じ部分で発現していることがわかったのです。
同じ遺伝子があったと思ったら、それがそれぞれの生き物で異なるパターンで発現している。これは、どういうことでしょうか。さまざまな可能性が考えられるなかで、彼らは一つの仮説を立てました(下図)。
ショウジョウバエとアルテミアの進化についての仮説
現在のショウジョウバエ(昆虫類)とアルテミア(甲殻類)では、胴体の部分を作るのに、同じ3組の遺伝子(Antp、Ubx、AbdA)がはたらいている。
アバロフたちの仮説によると、共通の祖先には、胴体を作る遺伝子は1つしかなかったが(上)、やがて重複して3つに増え(中)、さらに昆虫とアルテミアの仲間が分かれてから、ショウジョウバエでは遺伝子のはたらく部位が変わった(下)。その結果、ショウジョウバエでは胴体の部分に、胸や腹が作られ、アルテミアでは、同じ節が繰り返されるという違いが生じた。(文献4より改変。原図提供=Michalis Averof)
「はるか昔の祖先では、胴体の部分ではたらく遺伝子は1つしかなかった。あるとき、遺伝子の重複が起こり、同じ遺伝子が3つできた。その3つは初めは同じ胴体の部分ではたらいていたのだが、昆虫と甲殻類の分岐が起こった後、昆虫では3つの遺伝子が少しずつずれてはたらくようになり、胴体の部分が分化して胸と腹になっていった。一方甲殻類では、3つとも同じ領域ではたらいており、そのために、胴体の部分の節の形がすべて同じになっている。」
5. 新しい仮説が巻き起こした議論
アバロフとエイカムの仮説は、やはり『ネイチャー』に発表され、世界中の研究者の知るところとなりましたが、だからといって確実というわけではありません。多くの研究者は、大胆で興味深い仮説だと評価しつつも、それが正しいかどうかは現時点では判断できないと考えているようです5)。
たとえば、今回の実験結果では、「ハエとアルテミアはずっと昔から別々に進化してきたのだが、3つの遺伝子の発現パターンが、たまたま仮説のような共通の祖先の存在を思わせるものになっている」という可能性を否定できません。もっといろいろな甲殻類で、多くの形づくり遺伝子を使って同様の研究を行ない、検証する必要があります。
しかし、アバロフとエイカムが始めた研究は、節足動物の多様な形態の進化を理解するための貴重な第一歩です。似ているけれども異なる形がどのように作られてきたかを遺伝子レベルの大胆な仮説で説明し、遺伝子の進化の形態の進化をつなげようとする新しい試みとして大いに評価できるでしょう。また、大学院の1年生だったアバロフが、まったく手をつけられていなかった新しい分野にチャレンジした勇気は見事なものです。
最終的に仮説が正しいかどうかがわかるまでには、まだ何年かかかりそうです。しかし大切なことは、この仮説が研究者たちの間に新しい議論を巻き起こしたことです。
エイカムのグループは現在、甲殻類だけでなくゲジゲジなどの多足類についても形づくりの遺伝子を調べ、昆虫やアルテミアと比較するという研究も始めています。同様の研究が、もっと多くの研究者によっていろいろな動物で行われるようになれば、多様な節足動物の形態がどのように進化してきたかが、遺伝子レベルで説明される日もそう遠くないかもしれません。
引用文献
1) Maximilian J. Telford & Richard H. Thomas, Nature 376 : 123-124, 1995
2) Markus Friedrich & Diethard Tautz, Nature 376 : 165-167, 1995
3) Jeffrey L. Boore, Timothy M. Collins, David Stanton, L. Lynne Daehler & Wesley M. Brown, Nature 376 : 163-1655, 1995
4) Michakus Averof & Micheal Akam, Nature 376 : 420-423, 1995
5) Terri A. Williams & Lisa M. Nagy, Current Biology 5 : 1330-1333, 1995
(かとう・かずと/生命誌研究館)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。