季刊誌「生命誌」通巻25号

Talk

物語るということ

小澤俊夫 白百合女子大学教授
中村桂子 JT生命誌研究館副館長

語りの楽しさを大切にして昔話を伝えようとする小澤俊夫さんと科学を物語りたい中村桂子副館長。
どちらも人と人とのコミュニケーションを通して、「生命の本質」を伝えようとしています。


昔ばなし研究所で。
(写真=坂本政十賜)

命を語る

中村--
 現代科学は、生き物も機械ととらえ、現象を式で表したり、部品の構造を分析することで生き物を知ろうとしてきました。けれども、その成果をつなぎ、生き物が語る物語を読みとり、それを伝えるのが本質ではないかと思い始めました。「生命の歴史物語」です。
小澤--
「ぐつのお使い」
「ぐつのお使い」
 なるほど、生物を物語るのですね。科学者である中村さんが、生命を物語りたいというのは驚きですが、僕としては大変うれしい。僕は昔話を研究していますが、昔話は大きく2つのことを言っています。1つは子供がいろいろに変化しながら成長する姿。そして、もう1つは生命の問題。命というものがどうやって成り立っているか、それを語っていると思うのです。けっして道徳・教訓の話だけじゃない。たとえば『3匹のこぶた』。ディズニーや日本の多くの絵本は、最後に狼は火傷するけど、謝って許してもらい森へ帰っていきました、と終わる。これはウソ偽りで、オリジナルでは、1、2匹目のこぶたは狼に食われちゃって、3匹目のこぶたは狼をグツグツ煮て晩御飯に食べちゃいました、と終わる。食うか食われるかの問題、その冷厳な事実を、イギリスの人たちはおとぎ話の形で子供たちに教えていた。
 昔話は残酷ですかと聞かれたら、僕は、生き物の命がもっているのと同じ程度の残酷さをもっていると答える。それをけっしてリアルにではなく、生々しさを抜いて様式化して語るのです。
中村--
 最近、共生というと「みんな仲良く」のように言われますが、生き物がそれぞれ懸命に生きようとしている結果できたバランスが共生なのです。
小澤--
 命というものは厳しいものなんだということを、子供たちが知らずに大きくなるから、逆に残虐な事件が起きるのだと思いますね。命がどういうものかを知らなかったから・・・。
中村--
 人工の世界は、汚いものや危険から子供を離そうとしますでしょ。川に落ちたら「柵がないのがいけない」。危険を予知し避ける感覚を養わなければいけないのに。
小澤--
 生きる知恵が獲得できないわけですね。
中村--
 そういう目で見ると、昔話の中には知恵がいっぱい入っていますね。でも昔話を親子で楽しく読むなんていうこと、今あるのかなあ。
小澤--
 何も難しいことじゃなくて、ゆっくり読んでやればいい。今は国語教育の中でお話が出てきても、分析でしょ。「この」は何を指しますか、なんてやっていて、物語として読むことがない。僕は、物語の経験がなく大人になるのは本当に危険だと思う。

物語のリズム、生き物のプロセス

小澤--
 昔話は3回の繰り返しが好きです。課題が3つ与えられるとか、兄弟は3人だとか。その中で3回目がいちばん長くて重要。タン、タン、パン、というリズムだと気付いたのね。人間が基本的に心地よく感じるんでしょう。だから絵本を作る時も、3回の繰り返しを壊すなというのが僕の主張。たとえばディズニーは、白雪姫はリンゴで殺されましたと、1回で片づけた。本当は3回殺されたのです。1回では、殺されたことは報告できるけど、物語としてのリズムはまったくなくなる。物語のリズム自体の楽しみがね・・・。
中村--
 リズムや繰り返しは生物ができあがる基本です。DNAの中にも繰り返し部分がたくさんあるのです。生物では過程が大事。この頃、幼稚園の受験のために、お話の名前と結果だけを書いた本が欲しいというお母さんがいらっしゃるって。びっくりしました。
小澤--
「かちかち山」
「かちかち山」
 子供が本嫌いになってきたと聞くたびに、大人が本から子供を遠ざけていると思い、怒りを感じる。お話自体を楽しむこと、それを体験させずに「読んだら感想書きなさい。点数付けます」でしょ。この頃の子供はお話を聞かないと決めつけるけど、なまの声で聞かせれば聞くのです。ストーリーテリングの活動をしている方たちの、とてもいい経験がたくさんあって、僕は『子どもと昔話』という雑誌を作って紹介する予定です。

動物と人間のつきあい

小澤--
 日本の昔話の場合、自然の中からいろんな力が人間の世界へやって来る。鶴女房みたいに美しいものもあれば、怖い妖怪もある。「かちかちやま」は、山の畑でおじいさんが仕事をしてると、狸が出てきてちょっかい掛けて、じいさんが怒って狸を倒して、狸汁を作ろうという話。「畑」という文化の場所へ、動物がやって来る。人間の世界へやってきた力と、どうつきあうかというのが日本の物語。
 ヨーロッパの異類婚の物語は、自然の中から現れる動物ではなくて、呪われた人間。動物が動物のまま出てきたり、人間になって出てくるのはヨーロッパでは伝説ですね。
伊藤若冲筆「池辺群虫図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
伊藤若冲筆「池辺群虫図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
中村--
 ヨーロッパの人は狩猟民だから、動物が日常に近く、伝説という実話の中に動物を入れ、我々はむしろ物語の中に入れる。そういう違いでしょうか。
 私は、人間が生き物の多様性を具体的にどう感じるのか知ろうと、絵を探しました。ブリューゲルの「地上の楽園」には、駱駝や豹など多様な動物が森の中にいて、鞭を持った人が支配している。日本画では、伊藤若冲(じゃくちゅう)の「池辺群虫図(ちへんぐんちゅうず)」のように、ほとんどが庭の小動物や虫なんですね。
小澤--
 おもしろいな。昔話の中でも、おそらく似たような結果が出ると思いますよ。
中村--
 動物と人間の関係は、自然と文化の関係を語るのでしょうね。
小澤--
 そうですね。「かちかちやま」の話は、畑をめぐってのテリトリー争いとも言えます。人間にとっては畑だけど、狸に言わせれば「おれらの領分」を人間に奪われたので取り返しにきたということになる。昔話から人間と自然のつきあいの原型を考えるヒントがもらえると思う。

科学を語る

中村--
 今までの科学は、発信の相手が専門家だけでした。でも、先生の昔話研究が、語りを通してお母さんや子供と直接つながっているように、科学も物語として日常と直接つながるはずだと思っています。特別やさしくしたりせずそのままで。
小澤--
 なるほど。直接伝えるということが大事ですからね。
中村--
 雑誌を出したり、メディアも利用しますが、基本は研究館という「語る場」が大事だと考えています。研究する人と受け取る人が直接出会うところです。
小澤--
日本の昔話全5巻
『日本の昔話全5巻』(おざわとしお再話/赤羽末吉画/福音館書店刊より)。左から『第3巻・ももたろう』『第4巻・さるかにかっせん』『第5巻・ねずみのもちつき』。上の挿し絵も同シリーズより。
 「語る場」ね。僕は全国各地で「昔ばなし大学」というのを開講していて、7年前に始めたのですが、受講者はもう4000人くらい。その中から、お話を覚えて語るグループが出てきて、学校などで活動したりしているんです。語りの場は基本的には家庭だと考えていて、子供が小さい時に、母親やおじいちゃんが、近い距離で、なまの声でお話を読んでやる、そのことがうんとなければいけないと思う。それを回復させたいと思ってやってるんです。
中村--
 なまの声ですね。昔話は皆が自分のものと思ってくれるけど、科学は難しい、自分のものではないと思われてしまって。私は、科学で生き物や宇宙を知ることも、昔話を聞くのと同じぐらい豊かさを育てると思っていますので、昔話と同じようなスタイルで語れたら、受けとめてもらえるのではないかと考えています。
小澤--
 ぜひ。科学を物語って伝えるということ、うれしいことです。
おざわ・としお
1930年生まれ。東北大学大学院文学研究科修了。グリム童話の研究から出発し、日本の昔話の研究や、世界の昔話の比較研究を行なう。また、昔話の語り手を育てようと、92年より「昔ばなし大学」を開講。98年「昔ばなし研究所」を設立、同研究所所長。著書に『物語のコスモロジー』(講談社)『昔話が語る子どもの姿』(古今社)などがある。
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