いつも音に囲まれて……。

「聞く」と「聴く」がある。「聞く」は耳に入ってくる音を聞くことで、「聴く」は聞こうとして聞くこと。虫の音や烏のさえずり、小川のせせらぎ、梢を渡る風波の音などの自然の音は、どちらで聞くのだろう。

同じ自然の音でも、思い出せるのは聴いていた音。多くは聞こえていても思い出せない。聴いて、心に残った音は、歴史のなかに、文学や芸術として人間に意味のある形で留まった。たとえば、スズムシやウグイスなどの季節にまつわる自然の音は、多くの和歌や絵画や音楽となっている。「聴く」音の世界は、鐘の音や警笛など人工の音(いわば初めから意味のある音)も含めて、意識化されたものなのである。

でも、私はあえて「聞く」ことにこだわろうと思うようになった。心に残らない自然の音でも、聴覚を通して私たちに大切な情報を提供してくれる。私たちは朝、目覚ましが鳴るまで「聴く」ことは普通ないが、耳は昼夜眠ることなく「聞い」ている。それは私たちが自らの生命を危険から守るために、太古から備えている重要な耳の機能だ。また、食物や生息場所、あるいは地域とのつながりについて、そこには生きるために必要な情報も含まれている。

そこで、私の課題は、身の回りで聞こえる自然の音の総体を、生態学的な観点から見直すこと。通常は心に残らない自然の音の中に、じつは私たち人間の生存を支える、生き物たちとのつながりが聞こえている。人間中心の「聴く」姿勢から、共存する者として生物たちの奏でる音を「聞く」生き方を取り戻したい。

当面の目標は、自然の音環境の成り立ちを研究し、環境保全の指標となる音源を選び出すこと。サウンドスケーブ(音で編み出される景色)や自然音ブームを意味あるものにするためにも、音環境の記録と保存は急務である。

(おおば・てるよ/千葉県立中央博物館生態学研究科)