私たちの周辺には、無数の音楽が、眠っているのではないだろうか。
地球そのものを一つのレコードと考えるサウンド・アーティストが提唱する、耳から入る新しい音楽の世界とは一。

扉をあけると、 「屋上の耳」が見える 象の耳よりもっと長い、鉄パイプ製の奇妙な人工の耳。外の音がボワーンという唸りとなって聞こえてくる。音は刻々と変わっていき、飽きない。 パイプの奥に本物の耳を見る。 「屋上の耳」は、この3階建て画廊の屋上に据えてある。(写真=外賀嘉起)

70年代、電子音の合成による大音響の作品制作を続けているうちに2つのことが気になるようになった。1つは、どれだけ波形を複雑に組み合わせても、どれも同じような音にしかならないこと。そしてもう1つは、大きな音は、最初に体験したときが一番面白く、2度、3度と聞くと、その音量に慣れてしまい、急速に刺激が薄れていくことであった。

このような不満から、80年代に入ってシンセサイザーを使うのをやめてしまった。すると、それまで気にも留めていなかった日常の音が面白く聞こえてきた。本のページをめくる音、コップをテーブルに置く音、服の擦れる音、自動販売機から飛び出るコインの音……それらの「何でもない」音はけっして人工的に波形を合成して作れるような単純なものではなく、非常に密度の濃い内容を持っていたのだ。そして、それらの音のほとんどは小さな音であるにもかかわらず、それぞれが個性を持ち、環境に対し生き生きと主張しているように聞こえた。

このような体験から、「小さな音」を使って作品を作ってみようと考え、そのためにまず選んだのがオルゴールであった。オルゴールはそれ自身音の情報を蓄積していて、かつ発音体でもあるという便利さ、そしていろいろなモノに取り付けることによって響きが変化し、オブジェとしての形も生まれる面白さを持っている。

そうやって生まれた音のオブジェを聞いてみると、以前、大音響を聞いていたときには得られなかった聴覚体験が私を驚かせた。オルゴールは小さな音であるために、作品に耳をすますよう努力をする。そうやって聞き込んでいて、オルゴールの音が止んだとき、外を走る自動車や、人の足音が異常に大きく聞こえてくるのである。つまり、積極的に聞こうとしたために、聴覚の感度が上がっていたのである。この体験から、私の興味は「音を出す」ことから「音を聞く」ことへと移行していった。

「聞く」ことへのこだわりの一つに「耳の形」があった。「象も兎もわれわれと同じ音を聞いているのか?」という子供っぽい疑問から「屋上の耳」は生まれた。

直径6cm、長さ1.8mのパイプを両耳にあてがうと、それまでの音の風景は一変する。周囲の音がパイプを通ることにより、パイプ自身の固有の振動数で“唸り”(うなり)が生ずる。その吃りはまるで音楽のように生き生きとしている。音を作り出さなくても、聞く環境を少し変えてやるだけで、われわれの聴覚は「音楽」を作り出す能力を秘めているのだ。

この装置は僕に「音楽」はこの地球上のいたるところに存在していることを教えてくれた。その「音楽」はいつもわれわれの周囲に存在しているがなかなか「聞こえて」こない。その「音楽」は「聞く」という気持ちを持ったときに突然立ち現れる。そして、他のことを考えた瞬間、またふっと消えてしまう。だからこそ、音の世界はとても面白い。なぜならば、「無音」も音楽の重要な一部であるのだから。

ふじもと・ゆきお
1950年名古屋生まれ。1975年大阪芸術大学音楽学科卒業。70年代よりエレクトロニクスを利用したパフォーマンス、インスタレーションを行ない、80年代半ばよりサウンド・オブジェを制作する。音を形で表現した作品をギャラリー美術館で発表。また、その作品を使ったパフォーマンスを行なうなど、空間を利用した独自のテクノロジーアートの世界を展開している。