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研究館より

表現スタッフ日記

2024.02.15

いばらの道の先に

いばらの道を行く、という言葉は多くの場合比喩として使われますが、実際にいばらだらけの道を歩かれたことはあるでしょうか?いばらが行手を阻んでいるということは、多くの場合そこは道ではありません。自然を相手にした仕事や、生きものの観察等を趣味としている人は、勇敢であるかどうかに関わらず道のない場所に突き進む機会があり、主に草や木をかき分けて進む場合それを「藪漕ぎ(やぶこぎ)」と表現します。

先日、とある虫を探しに京都の河辺を探検していたところ、まさにいばらだらけの道なき道を進みました。「今日は藪漕ぎになるだろうな」とあらかじめ分かっている場合、ある程度備えることができます。いばらが多くあるような藪であれば、服に穴が開くので、買いたての服やお気に入りの服、一張羅は着ていくべきではありません。また、冬場はひっつき虫とも呼ばれる、哺乳類による散布を目論む植物の種が多いため、繊維がひっかかりやすい衣服もおすすめできません。結果的には表面がツルツルしたレインウェアのようなものに長靴、または胴長があれば安心ですが、それでもいばらの中をかき分けると穴が開くことがあるため、その後水に入ったりはできなくなります。「何が悲しくて、この現代社会にそんな場所に行くのか微塵も理解できない。もっと他にすることがあるだろう」。そう思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まぁ、それでも楽しいことが色々とあるからこそ、人はそのような場所に向かうわけです。それだけ心づもりをしていても、やはり藪、とりわけいばらは過酷な環境です。服を貫通した棘が皮膚を刺し、手袋をした手にも、顔にも鋭利な棘が迫ります。できるだけ触れないように棘のあるつるを押さえながら、足で踏みつけながら進みます。

棘のある薮を抜けると、こもこもと小さな山がつらなるような場所に出ました。夏場に生い茂っていたであろう丈の高い草、それを覆って枯れたつる植物が、地面から数十センチ浮いたような小さな山をたくさん作り出していました。足を踏み入れるまで地面の場所がわかりません。一歩踏み込むとふともものあたりまで枯れた草とつるがくるので、できるだけ足を高くあげて、ゆっくり踏み歩くことを繰り返しました。エクササイズとしては良さそうな動きです。枯れた草やつるを踏むたびに、ぱりぱり、ばりばりと砕ける音がします。騒ぎに反応し、バサっと藪から飛び立つキジ。ところどころに動物が通ったような穴も見えます。何メートル歩いたのか、あぁ疲れた。もう、帰りたい。あったか〜いコーヒーが飲みたい。

心が折れかけ、ようやく開けた草原に出たところで、同行者が「わっ すごい!」と声をあげました。そこで見つけたもの……それは、感動するほど大きな「タヌキのためふん」でした。タヌキは同じ場所で繰り返し糞をすることが知られています。また、複数頭で同じ場所を利用するようなので、何頭分の、何回分のものかはわかりません。これまで何度も山でタヌキのためふんを目にしてきましたが、その日その時その場所で見たものは、これまでの数倍の規模のものでした。そして一部はわりと新鮮です。こんなにたくさん、何を食べたのかしら?としげしげ見ると、中にセンダンの種が。天然の界面活性剤と言われるサポニンを含む、人や犬等には食べると毒となる実です。タヌキさん、食べて大丈夫なの?他に食べるもの無かったの??人間にとって何もないように見える冬の川辺の藪で、タヌキたちもたくましく生きているんだなぁと、大きな糞の山が感動を連れてきます。あと、住処をちょっと踏み荒らしちゃってごめんなさい、という申し訳ない気持ち。

その日見たかった虫を見つけることができなかったかわりに、予想外のいいものを見ることができました。足は傷だらけだけど、長靴とパーカーに穴があいたけど、毛糸の帽子はひっつき虫だらけだけど、大満足な1日となりました。あたたかい季節はマダニが怖いので藪に入りたくありませんが、冬のレジャーとしてはおすすめでき……ませんね!さすがに。