1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」24号
  4. TALK 科学を伝える・受けとめる

Talk

科学を伝える・受けとめる

辻篤子 朝日新聞アメリカ総局員
中村桂子 生命誌研究館副館長

海を隔てたアメリカと,Eメールでの対談です。 科学ジャーナリストの辻さんと,科学を取り巻く状況について話し合いました。 科学を通じて,納得のいく社会,“センスのある人”の暮らす社会にしていきたい。 思いは一つに繋がりました。

 


Date: 8 Jan. 1999
To: Ms. Atsuko Tuji


昨年末,私が座長をつとめた科学技術庁の科学技術理解増進委員会で「伝える人」の重要性を指摘する報告書を出しました。「伝える人」を職業として特定せず,先生,研究者,ボランティアなど皆が伝える人となる社会を考えたのです。とはいえ,科学ジャーナリストという存在が重要であることに変わりはありません。

辻さんがワシントンへ行ってから,報道が活発になったのでさすがと思っているのですが,情報はどうやって入手するのですか,そちらの科学ジャーナリストたちの活動ぶりはどうですか,日常についてお便りください。

From:中村桂子

 


Date: 15 Jan. 1999
To:中村先生

こちらに来て1年半,科学情報の洪水にまさにあっぷあっぷ。毎日,ファックスやEメールでプレスリリースが大量に流れ込んできます。政府機関,学会,大学,企業,一度取材に行くと継続的に情報を送ってくれるので,その数は増える一方。ネタは拾うものでなく捨てるものと納得しました。 主要な研究機関や大学は科学のライターを抱えていて広報に力を入れています。米国の研究者のほうが,素人に自分の研究をどう理解してもらうかを常に考えているように思います。とにかく米国は,科学に限らず,外の人に理解してもらおうという意志が浸透している国ですね。

From:辻篤子

辻篤子さん


Date: 18 Jan. 1999
To: Ms. Atsuko Tsuji


毎日送られてくる情報は,流したい人が自由に流すのですか。もしそうならそこで選択する科学ジャーナリストの役割は大事ですね。

一般の人の関心は日本と比べてどうですか。

じつは今,米国で出版されたクローンをめぐるさまざまな意見をまとめた本を訳しているのですが,あらゆる立場の本音が出ていて面白い。ホモセクシャルの人も家族をもつ権利があるのだから,クローンで血のつながった子供をもてるのは福音だという考えがあります。しかも,女性は自分の卵を用い出産できるけれど,男性は無理なので,差別が生まれるのを問題にしているのです。もちろん,宗教の視点からの議論もありますが,これとてさまざまで,必ずしも人間のクローンを否定する人ばかりではないのが驚きでした。こういう具体的な議論は日本では出てきません。これは一部での議論なのでしょうか。私は,人間のクローンを作ることを望みませんが,さまざまな立場の話はそれぞれ筋が通っていて,ふーんと思ってしまいます。このあたりの議論のありようがまったく違いますね。

From:中村桂子


Date: 2 Feb. 1999
To:中村先生

流れてくるリリースは,基本的に流したい人,すなわち大学や研究所が勝手に流します。ですから玉石混淆。受け手側が選ばなくてはなりません。

米国でのクローンの議論は,「倫理的に問題」で止まってしまいがちな日本での議論と比べ,現実の問題として進んでいると思います。現時点で技術的に問題の多いクローン人間作りはもちろん規制をかけるべきだが,将来技術は必ず可能になり,使う人が出る,その時に備えるべきという議論が,生命倫理の研究者から出てくる。クローン人間が生まれたとして,そのことで差別を受けないように,どう社会が備えておくべきか,というのです。現実的というか,この国にはタブーがないというか,まさに実験社会を目のあたりに見る思いです。ホモセクシャルの人や,亡くした子供の再生を願う親の願いにノーと言えるか,望む人がいるならチャンスを与えるべきだというのが,この社会の基本的な姿勢のようです。基本的に許されない,しかし,どこまでならいいかと検討するのとは方向が逆です。科学技術は使い方でマイナスの面が出るが,それでもプラスに目を向けようという姿勢に,彼我(ひが)の差を感じます。

From:辻篤子


Date: 5 Feb. 1999
To: Ms. Atsuko Tsuji

もう一度クローン。韓国で人間のクローンの試みがあったというニュースに,高名な僧侶が,不妊の人が子供を欲しがる気持ちは否定できないが,クローンは人造人間であることを忘れないようにと書いていました。このフレーズにも,言うべきことはあるのですが,それ以上に気になったのは,導入部に,「クローン羊誕生のニュースを聞いて人間もここまで落ちたかと愕然とした」という言葉があったことです。クローンの研究そのものは生物学として意味のあるものとの認識のうえで,品性を疑わせる使い方のできる技術だと警戒しよう。これが生物学者の立場です。おそらくこの方は,クローンとは何か,クローン羊の研究はどのような経緯で何の目的で進められたかということ,平たく言えば,どんな人がどんな顔をしてやったかはまったく知らず,というか,知ろうともしないで “ここまで落ちた” とおっしゃっているのだと思います(私もまた,その方がどこまで勉強していらっしゃるかを知らずに言っているところがありますが)。

中村桂子副館長(写真=松尾稔)

仏教という宗教,または哲学としてクローン研究を検討した結果こうなった。そのような発言が欲しいのですが,そうはなっていない。しかも仕事の評価ではなく,それを行なった人(ここでは個人ではなく科学者というイメージ)を非難しています。クローンという土俵に科学と宗教という人間の活動を持ち込んで相撲を取ることにはなっていません。“科学者は人間性を疑わせる奴” というこのパターン,なんとかならないものかと悩みます。

From:中村桂子


Date: 16 Feb. 1999
To:中村先生

科学を理解せずに堂々と発言しても何も恥じることはない,それだけ社会の中で科学や科学者が特別な存在なのかもしれませんね。

ハリウッド映画に登場する科学者は,いわゆる変人科学者パターンとは変わってきているようです。科学を題材にした映画も多く,科学者はヒーローとして描かれています。社会での科学の受け止められ方という点で,これは良いサインだと思います。科学者の側も,自分たちが社会にどう映るかを気にしていて,政府機関や学会などは,一般向けの活動をかなり積極的に展開しています。物理学会100周年のお祭りでは,ノーベル賞学者50人以上を集めて昼食会が行なわれます。招かれるのは高校の先生と生徒,同じテーブルにすわる受賞者の業績を事前に勉強し,それをもとに話をするという企画で,なかなかすばらしいと思いました。いろいろなレベルで科学を理解してもらう試みは,いずれ大きな実を結ぶことでしょう。科学への投資の支持や健全な発達のためにも,科学を理解できる市民の存在が必要という強い認識が生まれています。その背景に,研究は納税者によって支えられているという意識があることは言うまでもありません。日本では研究者にそういう意識がないぶん,一般への働きかけも弱いのでは —。

左/ハーバードの公衆衛生学部が作った健康情報を伝える手引き書。

右/Clones and Clones。クローンについて米国におけるさまざまな意見がまとめられている。

先日,ハーバードの公衆衛生学部が作った,健康情報を伝える手引きを入手しましたので,ご参考までにお送りします。科学者,記者双方に向けて書かれたもので,情報をいかに伝えるか本気で考え,両者への提案をしています。

From:辻篤子


Date: 19 Feb. 1999
To: Ms. Atsuko Tsuji

最近気になっているのは,21世紀を迎えるにあたって今後の社会をどうしたいか,またしなければならないかということです。周囲を見ると,科学や科学技術に携わる人たちは,20世紀を一応評価したうえで,21世紀はもう少しゆとりのある社会をつくりたいと思っているように見えます。情報技術もそのために活用し,循環型社会をつくろうというのが常識。そうなると社会システムは,中央集権型ではなく地域密着型になるでしょう。ところが,国の経済や政治を考える立場にいる人は,国際社会でどう振る舞うかということに意識を集中しています。そして,その土俵で協調や競争をしていこうとすると,どうしてもアメリカを見ることになり,前にあげた “常識” とは合いません。もちろん,国際社会での位置も大事ですが,まずは生活の側からの発想で新しい社会づくりへの道を探りたい — この兼ね合いをどうとるかという難問を解決するのが日本に与えられたテーマです。

ここで思うことは,この種の高次レベルの方向決定に科学者・技術者の参加がないことのマイナスです。科学技術政策への参加まではやっと来たのですが,もう一つ上は難しい。科学や技術を背景にした政治家も少ないし,政治家になってしまったのではやはり駄目で,科学者・技術者という立場から国の方向づけに発言するシステムが必要だと思います。その重要性を意識する科学者・技術者が少ないとも言えますが。今のような転機には必要なことなのに。

米国は国の政治に科学者・技術者がブレインとして参加するシステムがあるような気がしますが,現場での実感はどうですか。

From:中村桂子


Date: 2 Mar. 1999
To:中村先生

マサチューセッツ工科大学はワシントンにオフィスをもって,政策決定に関わるなど,科学者側から組織的に政策決定に働きかける努力がなされています。政策決定側でも,そうした組織は科学への窓口として非常に役立つと考えているようです。米国では,冷戦終結までは,物理学者が核戦略アドバイスのため大統領の科学顧問をするなど,科学者の役割が政策の中ではっきり認識されてきました。

また,博士号をもち,研究経験のある人たちが,科学の周辺を支えています。科学ジャーナリストもそうですし,大学や研究機関での行政職として研究計画を立てるなど,研究だけが科学者の役割ではなく,むしろその知識がなければできない仕事がたくさんあって,重要な役割を果たしている。このような人たちの存在が,日本にない米国の強みと感じます。日本では,科学者は大学の教授になるという単一の価値観に染まりがちなのではないでしょうか。科学の周辺を支えることは決して科学者の落ちこぼれではないと,価値観を変える必要があるのではないでしょうか。

From:辻篤子


Date: 8 Mar. 1999
To: Ms. Atsuko Tsuji

日に日に春らしくなっています。3月末にはこのあたりも桜が咲きそう。

米国のお話を伺って,多元社会はあらゆる面で望ましいし,とくに科学には不可欠だと再確認しました。ただ,それを「権利」と「競争」だけで実現すると,「品格」に欠けるでしょう。

クローン,臓器移植など「いのち」がかかわる生命研究は一方に「分をわきまえる」とか,「足るを知る」ところがないと,何でもありでちょっと恐いじゃないですか。米国の活気とシステムに学びながら,日本は日本として納得のいく社会づくりをしたい。体制を云々するだけでなく“センスのある人”の暮らす社会にしたい。研究館はそのためにあるつもりです。また,面白い情報があったらメールをお願いします。

From:中村桂子


Date: 15 Mar. 1999
To:中村先生

こちらは,2週間後は桜祭りというのに先週に続き春の雪。

おっしゃるとおり「何でもあり」の社会はちょっと恐いですね。米国はそうやって進むのも早いけど,間違ったら,それを認めて方向転換するのも得意です。日本はいったん進み始めると,着実に進むけれど方向転換も難しい。「品格」,分をわきまえながら納得して進めるのは大賛成です。

科学自体は普遍的で,技術の領域に入った時点で問題が出ると言われてきましたが,近年では,科学と技術が近づいています。科学者も社会の側もお互いに関心をもって考えなければならない。それには,考えるための材料の提示が重要です。研究館の意義は大きいと思います。私も科学ジャーナリストとしてしっかり伝えていかねばと思っています。

米国に来て1年半あまり,この国の科学が一体どう動いているのか,まだとても全体像は捉えきれません。不思議の国のアリスの心境で,もっともっと探検したい。また,お知恵を拝借したいと思っています。

From:辻篤子

一般人の宇宙飛行用ロケットを開発している会社の新型ロケットのお披露目式典にて。

辻篤子(つじ・あつこ)

1953年京都生まれ。76年東京大学教養学部科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社,科学部,アエラ発行室などを経て,97年8月からアメリカ総局員。89~90年,マサチューセッツ工科大学ナイト科学ジャーナリズムフェロー。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

季刊「生命誌」をもっとみる

オンライン開催 催しのご案内

レクチャー

2025/1/18(土)

『肉食動物の時間』