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Experiment

プラナリアの脳は何を語るのか

阿形清和

世間を騒がす脳死問題。人にとって脳は特別です。
しかし,ヒトの脳も,進化の産物であることに変わりはなく,太古の脳の痕跡を残しています。
原始的といわれるプラナリアの脳は,どんなことを教えてくれるのでしょうか。


20世紀も終わりに近づき,遺伝子の言葉で発生が語れるようになって面白いことがわかってきた。発生過程で要(かなめ)として働く遺伝子は,進化的にかけ離れた生物の間でも共通しているということだ。たとえば,ショウジョウバエの翅を作るときに要となる遺伝子は,脊椎動物の脚を作るものと大変よく似ている(『生命誌』22号Special Story)。

要となる遺伝子には2種類ある。細胞内でさまざまな遺伝子の働きを調節する指揮者のような遺伝子(転写調節遺伝子)と,他の細胞に情報を与え,そこの遺伝子の働きを調節するシグナル分子を作る遺伝子だ。これらの遺伝子は,個体発生プログラムの骨格となる大きな流れを作っていて,支流のさまざまなサブプログラムを動かしている。長い進化の過程で,プログラムの骨格はそれほど変わらず,サブプログラムのつながり方の変化や,細かなバージョンアップの積み重ねでさまざまな生命を作り出してきたわけだ。

ところが,生物進化の究極の産物とみられている脳は,例外だと思われていた。この考えを初めて揺るがしたのがイタリアのアントニオ・シメオネたちだ。彼らはマウスで,ショウジョウバエの頭部形成に不可欠な遺伝子と機能も構造もよく似た(相同の)遺伝子集団(Otx・Emx 遺伝子群)を発見し,それがマウスの脳を作る要の遺伝子であることを明らかにした。ヒトを含めた脊椎動物の脳も,進化の延長上にあることを示したのだ。脳発生プログラムの骨格がヒトとハエで同じらしいということは,生物学者の中でもヒトの脳を神聖視する人々には,すんなりとは受け入れられなかった。彼らは,無脊椎動物と脊椎動物の脳の間に,何一つ共通点を見いだせないとして,相同遺伝子の存在は偶然の一致だと反論した。

このような雰囲気の中で,私たちはプラナリアの脳を研究し始めた。プラナリアは,半分に切っても再生することで有名なかわいい動物で,ご存知の方も多かろう。集中神経系を初めて獲得した動物にもっとも近いと考えられており,脳の発生の基本や進化を探るのに最適だ。神経細胞を染色すると,プラナリアの神経系は逆U字型の脳と左右一対の腹側神経節からなっており,脳は,非常に多くの神経細胞が分節構造を作って機能分化していることがわかった。さまざまな機能ドメインをもつ高等な動物の脳と基本構造はそっくりである。プラナリアの脳は想像以上に複雑で高度に組織化されていたのだ。

プラナリアの神経系

(左)逆U字型の脳と左右一対の腹側神経節が見える。
(右)脳は外側に突き出た9対の分節構造をもち,それぞれは特定の感覚器から情報を受け取っている。(Agata et al., Zoological Science, 1999, 15:433-440の図を一部改変)

ショウジョウバエやマウスの脳発生の要となるOtx遺伝子群をプラナリアでも探してみると3種類あり,それぞれ脳の特異的領域で働いていることが明らかになった。視覚系で働いているものもあり,その点もショウジョウバエやマウスと同じだ。プラナリアは脳も再生するので面白い。これらの遺伝子は脳の再生過程でも発現し,それに応じて脳が作られる。Otx遺伝子群は集中神経系が獲得された時点で,すでに脳発生プログラムの要だったのである。

もっと驚いたのは,プラナリアの神経系の構造が,カエルの発生初期(神経胚の時)に一過性に現れる一次神経系の分布パターンによく似ていたことだ。カエルの一次神経系の細胞に特異的に働いているXDelta-1遺伝子を目印にそこだけを染色すると,頭部では逆U字型に,そこから尾部に向けては2本の直線上に染まった。逆U字型の部分は,Otx遺伝子群が働く部分でもあり,遺伝子発現のパターンもプラナリアとよく似ていることになる。とても偶然とは思えない。一次神経系が脊椎動物の発生途中に一過性に現れる理由はまだわかっていないが,脳の発生過程で系統発生が繰り返されていると考えれば,説明がつくのではないだろうか。

個体発生は系統発生を繰り返す?

カエルの胚に現れる一次神経系(写真)は,プラナリアの神経系にとてもよく似ている。模式図の赤色の部分は,プラナリアの中枢神経系と,カエルの一次神経系。カエル胚の模式図に書き込まれた眼や視神経は,将来それらに分化する予定の領域を表している。 (Agata et al., Zoological Science, 1999, 15:433-440の図を一部改変)

マウスの遺伝子がプラナリアにもあった

プラナリアの脳の特異的領域で働く3種類の遺伝子が染め出されている(①,下段は模式図。)DjotxA は視覚の中枢と視細胞(②矢印)に発現しており,視神経(③矢印)がそれらをつないでいる。これらの遺伝子は,脳を作る要の遺伝子で,マウスやショウジョウバエでも働いている。
(Umesono et al., Development Genes and Evolution, 1999, 209:31-39の図を一部改変)

一次神経系に働いているXDelta-1は,Deltaというショウジョウバエの遺伝子と相同である。Deltaは,外胚葉という未分化な細胞集団から神経細胞と表皮細胞が分化するのを調節する遺伝子で,分化し始めた神経細胞は,胚の奥に移動して神経系を作る。この時,無脊椎動物ではごく一部の細胞しか移動しないが,脊椎動物では外胚葉の細胞がシート状の集団をなして移動し,将来脳や脊髄となる神経管を作る。私は,Deltaのような遺伝子が動かすプログラムが少し変化して,たくさんの外胚葉細胞が神経細胞に分化するようになり,脊椎動物の神経管ができたのではないかと思っている。

これまでは,原始的なプラナリアの脳を理解しても,かけ離れた構造をもつヒトの脳の理解には役に立たないと考えられてきた。しかし,私たちの脳も進化の延長上にあり,発生初期のプログラムの骨格は,プラナリアとかなり共通部分がありそうである。プラナリアの脳から脊椎動物の脳の発生初期が理解できるのではないだろうか。進化過程にそって段階的に理解するという脳研究に新しい手段を,プラナリアの脳は提供してくれたと思っている。
 

(あがた・きよかず/姫路工業大学理学部生命科学科助教授)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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