Experiment
絹と昆虫たち
生命誌研究館の研究テーマの一つに「再生」があります。 生き物たちはどのようにして、失われた部分を取り戻すのでしょうか。 岡田館長はこの謎に遺伝子レベルで迫ることによって、生き物の形づくりの秘密に挑戦しています。
ナナフシという昆虫がいます。なんとも奇妙で、しかし愛敬のある姿形を持っています。小枝などにとまっていると、まさに枝の一部のごとくで、よほど注意しないと、どこにいるのかすらわからない。おまけに、止まる樹木の背景によって、緑色になったり、褐色になったりしているのです。つまり、保護色であり、その奇妙な形とあいまって、「隠れ擬態」の代表的な例なのです。
この昆虫を数多く採集して、注意して観察すると、脚が1本や2本たりないものとか、どれかの脚が短いものとかが見つかるでしょう。なにしろ、デリケートで、か細い脚の持ち主のことですから、樹木の間を歩いていたり、鳥などに襲われてあわてて逃げる際に、脚の1本や2本を落としてしまうことは、ままあることでしょう。しかし、短い脚のものが見つかるのは、失われた脚が再生できることを物語っていて、つまり短い脚は再生途中のものなのです。
前脚の欠けたナナフシ
(上=マレーシア、下=インドネシア)
もっと面白いのは、触角のあるべき頭の先に脚らしいものをつけたものまで見つかることです。このことは、ナナフシを飼育して実験することで、しっかり確かめられたの です。 この昆虫の幼生の触角を切断してみると、やがて起こるべき再生のうち、約30%では、元どおりの触角ではなく、脚が作られてくるというのです。
「触角転じて脚となる」この奇妙にもドラマチックな変化こそは、じつは今日の、遺伝子のはたらきによる形態形成・発生の研究の隆盛をもたらした基礎につうじるものなのです。つまり、ショウジョウバエでは、触角の一部が脚の一部に転じたり、後ろ翅の退化した棒状の平均棍が翅に転じたりする遺伝的突然変異があるのです。そして、これらを研究することによって、形づくりにかかわる遺伝子の本性がだんだんわかってきた、というわけです。
しかし、ナナフシのパフォーマンスは、遺伝的変化を原因とすることなく、しかも高率に起こります。この、現在は忘れられた現象の研究が、形づくりの遺伝子発現の変化を知る新しい手がかりになることが大いに期待されるのです。
再生ということも、擬態ということも、この昆虫が生命を守るために用意されていた、二大作戦でありましょう。その一方―擬態があまりによくできているので、もう一方の作戦―再生のほうは、しばしば誤りが生じることになるのでしょうか?こう考えると、この愛敬のある昆虫の研究が、とてつもない大きな意義と広がりをもっていると思われます。
察するにナナフシは20世紀の初めに、ヨーロッパの好事家がペットとして飼育していたようです。この再生実験はその時代に、主としてウィーンの実験生物学研究所で行われました。いわば、マーラーの時代のウィーンでのことです。そして、この研究所とマーラー一家とちょっぴり間接的関係があったらしいことなど、面 白い文化的エピソードでありましょう。
(左):ひげを切ったら脚が出てきたナナフシの異形再生の例(L.Brecher.1924年の実験)
(右):スジエビの左側の眼を切ったら触角が出てきた例(岡田要、1950年)
(おかだ・ときんど/生命誌研究館館長)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。