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絹を吐く昆虫たち

絹づくり遺伝子に見る進化:鈴木義昭

絹の成分はフィブロインというタンパク質だが、不思議なことに、絹を作ることのできる多くの絹糸虫の間で、そのアミノ酸組成が大きく異なっている。フィブロインは、ほんの数種類の主要アミノ酸の並びが何百回か繰り返した構造になっている。そのうちでも主な成分であるグリシンとアラニンの割合を比べてみると、カイコで44.5%と29.3%、カイコと非常に近い祖先を共有するといわれるクワコで47.9%と30.4%であるが、ヤママユでは27.8%と43.8%で逆転した観がある。これが、ニワオニグモの巣となると29.1%と26.5%となり、グルタミン酸やプロリンの割合が多くなっている(表)。

このような絹糸組成の多彩さは、どのようにして生じてきたのだろうか。カイコとクワコのフィブロイン遺伝子は、区別が難しいくらいよく似ているが、これらとヤママユの遺伝子とでは大きな違いがある。フィブロインの構造に違いのあるのに応じて、遺伝子本体の部分に著しい違いが見られるのである。ところが、このカイコとヤママユの間で、この遺伝子を働かせるためのプロモーター部分にはかなりの類似性があるうえに、遺伝子のはじめの部分からフィブロインタンパク質のN末端付近にかけては酷似している。これはどう考えても、祖先遺伝子は共通のものであったと思われるのである。それなのになぜ、フィブロインタンパク質の部分の配列が、これほどかけ離れたものになっているのか。点突然変異の積み重ねではとうてい説明できないほどの変化である。

そこで、私の考えだした仮説はこうである。元祖のフィブロイン遺伝子は、プロモーター部分と遺伝子のはじめの部分、それにタンパク質N末端付近のシグナル・ペプチド(できたタンパクが細胞から分泌される際に必要な)部分と、ごくごく短いフィブロインペプチド部分とから成っていたのではないか。進化の途上で、この短いペプチドに対応する遺伝子上に点突然変異が生じたあとに、この部分が重複・増大して、現在見られるような長くて多様なフィブロインとなったのではないか。ここに示したフィブロイン遺伝子仮設図では、シグナルペプチドの後ろの部分の仮想上の短いペプチド配列が、少ない突然変異とその部分の繰り返し増幅によっていかに多様性にたどりつき得たかを示している。

絹を作る絹糸腺は、ヒトでいえば唾液腺にあたる。絹糸虫は、唾液の代わりに絹糸を吐き出していると考えてもらったらよい。元祖のフィブロイン遺伝子は、幼虫体内に蓄積される特定の過剰アミノ酸を体外に捨てる方策に役立ち、やがて進化を経て、虫の見を守ったり、または生活の役に立つフィブロインタンパク質を作れるまでに至ったのではないか。

カイコの絹糸腺は、下唇節の一部が特殊化して形成されるが、ショウジョウバエでは唾腺となる(面倒なことに、カイコでは別の節に唾腺を作る)。下唇節の性質を決めるのには、いくつかのホメオボックス遺伝子がかかわっていることが知られつつある。体の細部を設計するための遺伝子群である。進化上、これらの遺伝子群はどのように変わってきて、各種の動物の多様性と特殊性を導きだしてきたのか。この問いに、フィブロイン遺伝子自体の進化、フィブロイン遺伝子の発現にかかわる分子群の遺伝子の進化、絹糸腺を形成・分化させるための遺伝子群の進化の問題として解析できる状況になりつつある。

遺伝子状の塩基配列をmRNAに置き換えて表示したもの。GGXはグリシン、GCXはアラニン、UCXはセリンを示す。Y、Zは、何かほかの塩基に代わったことを意味する。Xは任意の塩基

(すずき・よしあき/基礎生物学研究所教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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