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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【風景を求めて移動する人々】

村田英克
 ランドスケープの写真を作品として撮り続けている津田直さんがBRHを訪ねて来たときの話です。風景を求めてどんな場所へ行くかを、どうやって決めるのですかと伺ったら、だいたいこのあたりと決めたら、まず、その地域の地図を何版か遡って比べるのだそうです。すると例えば、同じ山の中でも情報が更新されていないところが見えてくる。そうして地図から、「人の手が及んでいない自然」として読み取った場所へ、実際に、数日分の食料や装備、それにカメラを携えて分け入るとのこと。その土地の起伏や植生の中に降り立ち、つまり風景の中に入り込み、周囲から身を包んで変化してゆく光線や気象に呼吸をあわせて、移動し続けながら、シャッターを切る。のだそうです。確かに、津田さんの作品を見て、霧や光や、微細な粒子が刻々と変化している自然の現場を、自ら移動していく視点が、私にも、臨場感をもって生々しく感じられます。
 この「地図にない場所」に分け入り、自然と対話し、新しい風景を生み出す写真家の話を聞いて想起されたのが、「名前のついていない領域」に分け入り、メサンギウム細胞を発見した解剖学の坂井建雄先生の話でした。個体、臓器、組織、細胞と、だんだん解剖して理解してゆく体の地図づくりともいえる解剖学で、臓器をつくっている細胞一つひとつに名前をつけて最後に残ったものを「繊維芽細胞」と呼ぶけれど、実は、同じ繊維芽細胞でも臓器によって大分違うらしい。坂井先生は、腎臓の糸球体という組織の構造を、力学的な視点から電子顕微鏡で観察して、それまで漠然と繊維芽細胞だと見られていた領域に、糸球体の成立になければならない形と働きを担ったメサンギウム細胞を発見したのです。「同じものを見ていても、問題意識が異なると、見逃していたものが見えてきます。それはいくらでもあるわいという感覚はありますね。」、「感覚で捉えるしかない多様さ」という章の近く、坂井先生の言葉です。
 写真家も、解剖学者も、視点や表現は違えど、ともに自然の風景の中へ分け入り、自然が持っている力を見出すという仕事に違いはないと思ったわけです。そこにある共通の文脈をさらに表現として共感し得るかたちで提示することが私たちの仕事だと思う。



「紀州の山中でさまざまな表情を見せる水分子・・・(これは私の撮った写真)。」


 [ 村田英克 ]

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