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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【『生きている「もの」が生き物』】

村田英克
 生きている「もの」が生き物。物という字は、私は、何かゴロンとした、あるいはデンとした、どちらかと言えば固い感じでわかりやすい存在感のものを思ってしまう。物質とか物体という時のように、計測可能な対象としての印象が強いけれど、「物の道理」「物のけ」「物悲しい」という時も、この物を使う。と、ここまで考えて辞書を引いたら「存在すると考えられるすべて」が「物」だとあった。なるほど。物質だけでなく因果や関係も含めて、また畏れのような、わからないことも含めて存在すると考えられるすべてが物なのだ。わからなくても物は物。私たちは、すべてをわからなくても言葉を用いれば、それを包んで指し示すことができる。さらに、わからないことを含んだまま、それを共有している。それが言葉のすごいところでもあり、こわいところでもある。言葉は、用いられていくうちに、同じ意味を保ちつつも、文脈や時代によって少しずつ変化する。辞書を眺めているといろいろ考えますね。共通なのに多様。生き物、食べ物、掘り出し物・・・、多様な「物」の歴史を辿ると、はじまりの「物」に行き着くのでしょうか。
 ところで、物であるうち、生きている「こと」として存在するのが生き物。生きていることと、物としての存在を分けて、扱ったり、考えたりすることは本当はできない。でも生き物をわかるには、ただ眺めていてもはじまらないということで、そこは一旦分けて考えさせてもらって、物質とその相互作用として見る、化学反応として見る、情報のやりとりとして見る、また秩序を持った系として見るというようないろいろな見方がされる。確かに生き物は、ただゴロンとしたものでなく絶えず何かやっている。特にミクロでは、いつも動いて、いろいろ起こっているので「物」の中でも、出来事や現象ということに近いようだ。でもそうやっていろいろな切り口から出てきたことをもう1回、実際、目の前で起きている生きている物に重ねて捉えようというのが、やはり発生・進化・生態系から生き物を捉える視点。そこでやっと生き物がわかるに近づけるのではないか。ただ「物」を考えるだけでもずいぶん難しいのに、「生きている」を重ねて考えるなんて、これは途方もない難しさです。でもそういうことがわからないでも生きているというのも不思議ですよね。


 [ 村田英克 ]

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