館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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最近「万葉集」をよく見ます。国文学者ではありませんから、難しいこと、面倒なことは抜きです。ただ、自然と人間について考える時に教えられることが多いと気づいたのであれこれ眺めています。東日本大震災以来、近代文明の中で生きようとするために日本列島という自然の中で培ってきた私たちの知恵を抑えこんできたのはいけなかったという気持が強くなりました。もちろん近代文明を全否定するつもりはありませんし、そんなことはできません。でも「見直し」は必要で、そのために日本で生まれた知恵を生かしたいと思うのです。759年に編まれたとされている万葉集。中国との関係はすでに生まれていますし、仏教も入ってきてはいますが、ここには日本文化の根が感じられます。しかもそこには、天皇も防人も、男性も女性もとさまざまな人の気持ちが表わされています。
このような記録があり、しかもそれを誰もが読める(もちろん今の文字になっているものですが)というのはすばらしいことです。興味深いことに、ほとんどの歌が時代を越えた共感を呼びおこします。万葉集について語っているものもいくつか読んでいるうちに、伊藤益筑波大学大学院教授の「絆としての自然」という指摘に出会い、なるほどと思いました。たとえば、「玉津島磯の浦みの真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ」(巻9、1799)という柿本人麻呂の歌。実はこの妹は亡くなっています。彼女が触れたであろう白砂に触れることで、ここにはもういない人とのつながりを感じるということ、日本人だったら誰もが分かりますよね。自然がつないでくれるのです。これを近代文明の中にある生命研究と関係づけ「生命誌」の中に生かしていくにはどうするか。考えているところです。是非お考えお聞かせ下さい。
【中村桂子】
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