1. トップ
  2. 語り合う
  3. 研究館より
  4. 生命誌の中で考える戦争

研究館より

中村桂子のちょっと一言

2022.03.01

生命誌の中で考える戦争

研究館での仕事の整理をし、大事な切り口をまとめています。その一つに韓国のアーティスト崔在銀さんと考えてきた「境界」があります。1989年、ベルリンの壁を壊す映像に、これで世界は明るくなると期待したことを思い出します。しかし、昨今報道されるウクライナのNATO加盟を巡ってのロシア、アメリカを中心とした軍隊の動きを見ると、現状は期待外れも甚だしいと言わざるを得ません。冷戦時代の方がましだったと思う時さえあるほどです。

壁が消えた時、ベルリンにいた崔さんが「朝鮮半島にはまだ理不尽な境界がある」と言ってきました。そして「On the Way」という映画を作ったのです。板門店では、38度線を示す境界の上をアリが北も南もなく歩いており、人間は生きものとして生きていないと実感しました。その後これは、「THE NATURE RULES」というプロジェクトになり、今も続いています。70年間人間が足を踏み入れなかった38度線の周囲は皮肉なことに、自然のルールで動いている地球上でも稀有な場所になりました。絶滅危惧種の動植物も見られます。そこで崔さんが、ここから自然のルールを学び、それを活かした社会づくりを求めるプロジェクトを立ち上げたのです。政治や外交の絡む場所ですから大変なことばかりですが、自然という立場からの発信に徹しています。

このプロジェクトの先に願うのは、戦争のない世界です。夢みたいなバカなことと言われそうですが、戦争こそ「バカなこと」でしょう。元朝日新聞編集局長で、東日本大震災の後はフリーで活躍なさった外岡秀俊さんが「戦争は万人の運命を変える」と書き、「戦争には勝者も敗者もいない。いるのは死者だけだ」と続けていらっしゃいます。この短い言葉の中にすべてが入っています。さすが、素晴らしいジャーナリストです(昨年末に亡くなられたのが本当に残念です)。

科学技術のあり方を問うことが大切と考えられるようになり、科学コミュニケーションという言葉もなじみ深いものになってきました。その中で最も大事なことはと考えたら、戦争ではないでしょうか。爆弾を抱えたドローンが飛ぶ、その下に小さな子供たちがいるという状況を思い浮かべると胸苦しくなります。

人間は生きものであり自然の一部という言葉を口にしながら、「自然のルール」のプロジェクトを続けるのが今できることかなと思っています。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶