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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.09.01

ふつうのおんなの子からの展開

東京を拠点とする活動が始まり、研究館という名の建物の中で仕事をしていた時に接していた人と少し違うタイプの人たちとのお付き合いが増えました。

一つは、女性誌・家庭誌を中心に暮らしを考えている女性です。もう一つは、東京という都会で、コンピュータソフトの開発などを通して新しいビジネスを始めている若者たちです。こちらはほとんどが男性です。共によい生き方を探している感じがします。

「僕はこれまでずっとコンピュータと向き合ってきて、それが面白くてしかたがなかったし、今も決してコンピュータが嫌いじゃないけれど、何か少し違うことを考えたくなっている」という30代の男性は、私がテレビでコロナについて話しているのを聞いて「なんてまっとうなことを言う人がいるんだ」と思ったというのです。生命誌はもちろん、私のことも知らないわけで、調べてメールをくれました。

まっとうと言われてこちらは戸惑います。確かに50年もの間、生きものという同じところに根を置いて、ある意味同じことを言ってきたことは確かです。世の中変わったからそれに合わせるということはまったくせずに来ました。「忖度」という、本来は相手の気持ちを慮る人間としての大事な能力を表す言葉を「阿る」というイヤな意味にねじ曲げて使うようになり、それが横行している中で、それなしで話すとまっとうになるのかもしれません。

それにしても新自由主義というのはなんと非人間的な社会をつくったのかと、若い人達と話していて思います。大人が子どもたちに求めるのは、「与えられた指示のもとでとことん競争して勝ち抜くこと」であり、それができなければ価値がないとされるのですから。訪ねて来るのは、むしろその中で勝ちの方に属すると思われる人です。その人たちが、なぜか今、このままでいいのかなと思い始めているようなのです。区別はあっても差別はないという生きものの世界を見ていると、極端な格差社会は普通の感覚をもつ人には堪えられないのは当然と思います。

生命誌という言葉に反応して一緒に考えて下さる方が有難いのはもちろんです。でも、これまではそういう方とばかりお話してきましたが、新しく生命誌なんてまったく知らないのに私の考え方、生き方を面白いと思ってくれる人とのおつき合いが始まったのです。三時間ほどの間、若い人から出される質問に答えていましたら、生きものとしての人間という切り口は出ましたが、生命誌の説明はせずに終わった日もありました。

最初にあげた女性たちもコンピュータ組の男性も、関心を持ってくれる著書が「ふつうのおんなの子のちから」だというのも面白いと思っています。私自身、今一番気に入っているのがこの本です。まだよくはわかりませんが、ほんの少し新しい動きを感じます。あまり難しいことを考えるつもりはありませんが、このあたりからゆっくり生命誌を新しい方向に展開していけるかなと実感しています。暑いですが、なんだか楽しい日々です。

(女性誌の一つ &Premiumの10月号が届いたら、庭が表紙になっていました。本屋さんの雑誌コーナーでお眼に止まったら最近の様子と思って見て下さい。)

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶