RESEARCH
組織の秩序を保つ細胞の集団運動のしくみ
私たちの体は受精卵から分裂して増えた細胞によってかたち作られる。このときに見られる現象が「細胞集団運動」である。また、傷口が細胞によって塞がれるときも同じ運動が見られる。個々の細胞が組織の秩序を保ちながら、集団として運動する機構を知りたい。私たちは、細胞内の分子活性を蛍光色の変化で可視化する技術を用いてこのしくみを調べた。
1.細胞の集団運動とは
私たちの体を構成するすべての細胞は、一つの受精卵に由来する。受精卵がお母さんのおなかの中で分裂増殖して細胞集団となり、同調して移動したり、時に折れ曲がったりして、次第に赤ちゃんの姿をつくっていく。胚発生である。皮膚が傷ついたときには、その傷を埋めるように細胞が集団で移動し組織を修復する(図1)。胚発生や損傷の治癒などの過程で、細胞が集団としてまとまって移動することを「細胞集団運動」と呼ぶ。
(図1) 細胞の集団運動の例
怪我をすると、細胞は傷口を塞ぐように集団で移動する。
私たちの体を構成する細胞は、もともと1細胞で自走する能力を持っており、細胞運動、もしくは細胞遊走と呼ばれる。たとえば、免疫系の細胞は体内の異物や炎症反応を認識し、その源に移動する。このとき細胞は、空間中の誘引物質や忌避物質の濃度勾配を認識し、細胞内で局所的にアクチン細胞骨格を再編成することで、進行方向を決定しているということが多くの研究からわかっている(図2)。
(図2) 単細胞の遊走
単細胞の遊走では、細胞自身が忌避物質や誘引物質を感知し移動方向にアクチンを集積させて移動する。
一方、細胞集団運動の場合に細胞が移動すべき方向を認識する方法は明らかにされていない。そこで私たちは、隣接細胞からの局所的な情報しか得ることができない細胞が、組織としての秩序を保ちながら集団運動を生み出すしくみを調べた。
2.ERK活性の伝播方向と細胞集団運動
私たちは、細胞の増殖や分化に深く関連することが知られているセリン/スレオニンリン酸化酵素(ERK)を研究する過程で、ERKの活性が波のように周りの細胞に伝わることを見出した。実はすでに西田栄介先生(当時京都大学)らのグループから、免疫染色法を用いて細胞集団運動でのERK活性の細胞間伝搬現象が報告されていた。そこでERK分子の活性の細胞間伝播が細胞集団運動の方向性の決定に関与しているのではないかと考えた。
私たちは、ERK分子がいつどこで活性化するのかを生きた細胞で可視化するために、蛍光共鳴エネルギー移動(Fluorescence resonance energy transfer, FRET)の原理に基づくバイオセンサーEKAREVを独自に開発していた(図3)。 これは、発色を担う黄色蛍光タンパク質YFPとシアン色蛍光タンパク質CFP、さらにリン酸化活性を検出するセンサードメインとリガンドドメインの4つの部分からなる人工のバイオセンサーである。細胞内のERKが活性化すると、センサードメインのスレオニン残基がリン酸化され、それを認識してリガンドドメインとセンサードメインが結合する。すると、物理的に、YFPとCFPの距離が近づいてFRETが起き、蛍光の色が変化する。こうして細胞内のERKの活性化の度合いを捉えることができるのである。このバイオセンサーを構成するタンパク質を作るのに必要なDNAを細胞に導入することで、生きた細胞のERK活性を調べることができる。
(図3) ERK分子の活性化を蛍光で可視化するために開発したバイオセンサーEKAREV
FRET(蛍光共鳴エネルギー移動)の原理を用いた。ERKが不活性の状態では紫の光線によってCFP(青色)の蛍光が励起される。ERKの活性によるリン酸化を受けるとタンパク質の構造が変化する。CFPとYFPの距離が近づくことでCFPにより、さらにYFP(黄色)の蛍光が励起され、ERKの活性が可視化できる。
まず、EKAREVを発現する遺伝子改変マウスの耳に小さな傷をつけ、傷口が治癒する過程でみられる上皮細胞の集団運動を観察した(動画1)。その結果、傷口からERK活性化の波が次々と伝搬し、細胞はその伝搬方向とは逆方向に、つまり傷口を埋めるように一斉に移動することがわかった。
次に、培養細胞(MDCK細胞)を用いて創傷治癒の模倣実験を行った。すると、傷口の先端から大きなERK活性の伝搬波が観察され、ここでも細胞は幾重にも広がるERK活性の伝搬波がやってきた方向に向かって集団運動することがわかった(動画2)。ERKの活性を抑制すると、集団運動は抑制された。さらに、MDCK細胞の集団を円形領域で培養すると、ERKの高い活性を示す赤い波の自発的な回転が観察でき、細胞はその回転方向とは逆方向に移動するという現象が観察された(動画3)。こうして、細胞は集団運動をする際、ERK分子の活性の細胞間伝搬とは逆方向に向かって移動することが明らかになった。
(動画1) バイオセンサーEKAREVを発現する遺伝子改変マウス
ERK活性の波が傷口(Edge)から幾重にも広がり、傷口に向かって細胞が運動している。
(動画2) バイオセンサーEKAREVを発現する培養細胞MDCK
傷口を模した(右側の黒い部分)に向かって細胞が集団で運動している。
(動画3) 円形に培養したMDCK
ERK活性の波(赤)が時計回りに伝播し、細胞が反時計周りに運動している。
3.ERKの活性がどのようにして隣の細胞に伝わるのか
ERK分子の活性はどのようにして隣の細胞に伝わるのだろうか。活性化したERK分子は、細胞膜上に局在するADAM17と呼ばれるプロテアーゼを活性化し、そのADAM17が細胞膜上にある増殖因子(EGF:上皮細胞増殖因子)を切り出す。EGFが隣接する細胞の受容体(EGFR)に結合すると、その細胞にERKの活性化が伝播する(図4)。つまり、活性は伝達物質を介して隣り合う細胞から細胞へとドミノ倒しのように伝わるのだ。このような伝播は細胞外へシグナル分子を分泌して拡散させる方法に比べて情報が衰退せずに遠くまで伝わるので、活性化の波を遠方まで確実に伝播できる。
(図4) ERK活性の伝播機構
伝達物質(EGF)を直接隣の細胞に渡すことで、ドミノ倒しの要領で遠方まで均等に活性が伝播される。
4.光によるERK活性伝搬と細胞集団運動の操作
これらの現象は、ERK活性の伝搬方向が細胞集団運動の方向を決定していることを示しているが、あくまで相関関係である。そこで因果関係を示すため、私たちは、光の刺激でERK分子を活性化させる光遺伝学を利用し、ERK活性の波を人工的に作り出して検証した。その結果、期待通り、MDCK細胞は光の刺激によって誘導されたERK活性の人工的な波とは逆方向に集団で移動することがわかった(図5)(動画4)。この実験によりERK活性の伝播が細胞集団運動の方向を直接制御していることが証明されたのである。
(図5) 光遺伝学による細胞集団運動の誘導
光の刺激で人工的にERK活性を誘導する手法で集団運動を再現できた。
動画4:光遺伝学を用いた細胞集団運動の誘導
左から右へと移動する◯で示された場所で細胞集団運動が誘導されている。
5.ERK活性による細胞の変化
次に、ERK活性の波が細胞集団運動を引き起こす細胞内の機構を調べた。MDCK細胞ではERKが活性化している細胞周辺で細胞の密度が低いことを確認した(図6A)。ERK活性の際には細胞の体積が増加していたのだ。さらに細胞の運動に関わるモータータンパク質であるミオシンの活性を解析したところERK活性の波の通過から約6分後にミオシンの活性化が起こり、それによって細胞が収縮し体積が減少していることが明らかになった(図6B)。ERK活性の波で調節されたこのような細胞の変化が連続的に起こることによって力が発生し、細胞の集団運動が引き起こされると考えられる。
(図6A) ERK活性によって細胞の体積が増加する
ERKが活性している領域(赤)ほど細胞密度が小さい(青)
(図6B) ミオシンの活性によって細胞の運動性が増加する
細胞を動かすモータータンパク質であるミオシンが伸縮し、細胞の動力となる。
6.細胞集団運動のコンピューターシミュレーション
さらに私たちは、これらの結果を数理モデルとコンピューターシミュレーションによって確認し、細胞が集団で移動するための2つの条件を明らかにした(図7)。1つはERK活性化によって引き起こされる局所的な細胞密度の減少であり、もう一つはERK活性化に伴う細胞の可動性の上昇である。これら物理的変化とERK活性の伝播を組みこむことで、コンピューター上で容易に細胞集団運動を再現できることがわかった。重要なのは、個々の細胞はERK活性の波のくる方向を知る必要はなく、活性伝播の結果必然的に生じる細胞の単純な形の変化の連鎖によって、集団運動が引き起こされていることである(図8)。
(図7) コンピューターシミュレーションによる細胞集団運動の再現
(左)1次元のバネモデルを使った細胞集団モデル。細胞の密度(=細胞間の距離)をバネの伸びで表し、両矢印で細胞の運動性を表した。
(右)コンピューターを用いて細胞集団運動をシミュレーションした。ERK活性の波が来るたびに細胞が右に運動していることがわかる。
(図8) 細胞集団運動まとめ
個々の細胞の単純な形の変化が、秩序だった集団運動を引き起こす。
7.これから
今回、私たちは細胞が集団で運動する際に、ERK活性の細胞間伝搬という現象を利用してその方向性を決めていることを示した。今回の研究は主に培養細胞を用いた実験であり、実際の胚発生過程や癌細胞の浸潤過程などで見られる細胞集団運動にERK活性の細胞間伝搬がどう関わっているのかについては今後の解明が必要である。展望の一つとして、このような自走性の粒子が集まったときに見られる協調性を理論的に解析するアクティブマター物理学への展開がある。もう一つは、ERK活性の細胞間伝搬を光で操作し、細胞集団運動を制御することで様々な組織に見られる複雑な3次元形態を自在に構築する技術を開発したいと考えている。
青木 一洋(あおき・かずひろ)
2007年大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。京都大学大学院生命科学研究科研究員、助教、さきがけ研究員(兼任)、講師、京都大学大学院医学研究科特任准教授を経て、2016年より自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター(2018年度から生命創成探究センターに改組)/基礎生物学研究所教授。