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TALK

身体を通して言葉を超えた世界へ

髙村薫小説家
中村桂子JT生命誌研究館館長

 

1.科学と小説をつなぐ“手探り感覚”

中村

昨日書店で新刊『空海』に出会って驚きました。早速、買い求め読んでいます。髙村さんすごいなあと思って。小説も新聞での評論も時代を的確に捉えていらっしゃる。空海は今まさに考えたい人ですね。

髙村

ありがとうございます。中村さんを言葉で表すとすれば「知の巨人」。とにかく引き出しが多い。興味があらゆる方向へ伸びていくので、まるで粘菌のようです。

中村

興味は確かにありますね。けれど、「知の巨人」はとんでもない。謙遜でもなんでもなく、知らないから関心を持つのです。髙村さんには生命誌研究館の非常勤顧問をお願いして以来、毎年いらしていただいて、本当にありがとうございます。

髙村

きちんと理解できていませんが、毎年少しずつ、研究が進んでいくのを楽しみながら拝見しています。

中村

チョウやクモ、コバチにカエルなどの小さな生きものをコツコツ研究していると、いろいろなことを語ってくれて面白いのです。研究館ではその物語りを読みといています。でも、たとえばチョウはどのようにして幼虫の食べる植物を見分けているのだろうという物語を知るには、やはり10年はかかりますね。ですから、創立10年目の頃はまだ手探り状態でした。20年経ってやっと自分たちの中で何をやっているのかが明確になったという感じがしています。人間も大人になるのに20年かかりますよね。この年月は、動き始めて具体的に形にするまでに最低限必要な時間だと思います。今は成果を早く求められすぎます。

髙村

小説も研究と同じで、すぐに結果を求められても書けません。小説は結末を決めて書きませんから。つまり、最初に設計図を書いて物語を作るわけではないのです。そんなことをしますと、非常につまらないものができてしまいます。どういう結末になるかは、最後まで書いてみないと本人にもわからないのです。

中村

作者の中に最初に構想があって、それを上手に言葉にしていらっしゃるのだとばかり思っていました。

髙村

見当をつけて調べ始めますが、それが正しいのか間違っているのか、ましてや私の望むものなのか、その時点ではわかりません。研究の専門的なことはわかりませんが、今自分が知りたいことを調べているという手探りの感覚は小説と一緒ですね。

中村

科学と小説のつながりをそんな風に考えたことはありませんでした。興味深いです。そこで小説は、とにかく言葉ですね。

髙村

確かに言葉しかありません。書いていてたまに「あ、違った」と思うことがあります。そうすると戻ってまた書く。探りながら書いている時、どこに進むかという勘が必要です。この勘が働くか働かないかで小説家になれるかなれないかが決まると思います。

中村

研究も同じ、勘が大切です。探っていく時に、社会の動きなど外からの影響はありますか。

髙村

目下の社会情勢よりも、書く人の中に小さい時から蓄積してきた様々なものが影響していると思います。記憶や、記憶までいかないような感覚的なものが人間の中に膨大に蓄積されていて、その巨大な塊を抱えて私たちは生きているのだと思います。小説家はそれが言葉というかたちになって出てくる。まったく何もないところからは絶対出てこない。

中村

それも同じです。内発的でなければ仕事はできませんよね。今、グローバルなどと言って世の中に合わせることが求められていますが、そこから新しいものが生まれるとは思えないのです。自分で考えるとすると、やはり原点は言葉になります。

髙村

生命科学にしても生物学にしても、基本はデータであり記録することです。私が生命誌研究館を興味深いと思うのは、研究の蓄積を日本語の言葉として紡いで独自の世界を生み出しているからです。世界ができないと他の人には伝わらない。

中村

まさに、それがやりたいのです。データが山ほどあっても、物語にならないと世界はできません。

髙村

研究者同士は研究を物語にしなくても、データを蓄積することでなんとなくわかりあえますよね。それは自分の中に物語があるから。しかし、研究者ではない外の人がのぞき込んだ時、ああこういう世界ですねという理解はできません。教科書はばらばらの話がただ一冊の本になっているのでわかりにくいのですが、生命誌はそれを言葉で紡いで物語にしている。だから、私のような素人がのぞき込めるのです。

中村

ありがとうございます。私にとって、最高の言葉です。近頃の科学は、巨額の予算を付けて、研究の成果を伝えなさい、啓蒙しなさいと言われています。押しつけの感じで、私の世界をのぞいてくださいという発想ではないのです。

髙村

そうですね。

中村

研究館では、メンバーに「まずあなたの世界を作り、のぞいてもらいましょう。そのための表現をしましょう。」と言っています。まず、論文があるのはもちろんですが、そこから絵や劇など…様々な方法で生命誌の世界の表現を試みています。科学では新しい試みですが、小説とは重なりますね。

髙村

小説は素材を自分で勝手に持ってくることができますし、いくらでも都合のいい物語ができるところがありがたい。でも、世界を表現するという点では同じですね。

2.身体体験の蓄積が私をつくる

髙村

この夏、9歳になる姪が生命誌研究館にお邪魔したら、すっかりゲノムにはまってしまって。 元々理科好きの子ですが、研究館で1日中過ごして楽しかったって。小さな子どもにも生命誌という世界が伝わったと思いますよ。

中村

わあ嬉しい。姪御さんは自分の世界をお持ちなんだと思います。科学を伝えると言うと、必ず対象は大人ですか、子どもですかと聞かれますが、そうじゃないのです。のぞいてみたいと思ってくれる人、生命誌の気持ちを受け止めてくれる人に向けての発信です。他にこういう場所はありません。生きもののことを物語にしたら、それが科学だから難しいと言って拒否せず、自分のものと感じてくださる方はいるはずと思って生命誌研究館を始めたのです。

髙村

小説も一緒で、これは子供向けだとか、大人向けだとかは決まりはありません。子供でも大人の世界をのぞくことはありますから。

中村

そうですね。年齢や対象を気にせずに行動することを、科学の世界では中々許してもらえなくて。そんなとき、髙村さんが生命誌のドキュメンタリー映画をご覧になって書いてくださった文章(註1)がとても素晴らしく、本当にありがとうございました。200字の言葉の中に、一言一句の無駄もなく、私が生命誌研究館でやりたかったことを的確に表現してくださった。今私の宝物です。

髙村

ありがとうございます。そう言っていただけると恐縮します。姪は、何にでも興味を持つのです。虫にも、土にも、星にも、どんなものにも目を輝かせて突進していきます。それらの体験は、知識として溜まっていくのでしょうが、それ以前に、自然と触れ合った感覚が彼女自身の感覚となって彼女という唯一の存在をつくっていくのだと思います。人間は恐らくそういうふうにしてできている。例えば、私は大阪のど真ん中の生まれで、大阪の猥雑な音や匂いや色んなものが私の身体に染み込んでいます。そういうものが集まって、今私という人間がいると思うんです。

中村

それが中で醸成されて外へ出ていくのですね。

髙村

吹田へは、6歳で引っ越してきました。今は住宅街ですが、昔は全部山で田んぼや畑がたくさんありました。毎日、自然の中で遊んでいましたし、両親も自然が好きだったので、物心付いた時から毎週六甲山を歩いていました。だから、四季折々の植物の感触や土の匂いなどがすごく懐かしく感じられるのだと思います。

中村

その体験が今の髙村さんのお仕事をつくっているのですね。今心配しているのは、高層マンションをどんどん建てて、そこで子供が育っていること。そういう環境で育った子は風や土などの自然を身近に感じなくなるのが恐いのです。けれども、それが問題であることを示すデータはありませんから、経済優先で建てたい人は建て、便利だと思う人は住んでしまう。人間が自然の一部であるということは事実であり、誰も否定できないと思いますのに。街中がこのような風景になったのはここ20年ぐらいのことで、急速にやり過ぎなのではないでしょうか。東日本大震災後、地面と生活との関係を考え直したはずなのに、みんなどうして忘れてしまうのでしょう。

髙村

被災地では、みんな決して震災を忘れたわけではありません。けれども、とりあえず今日明日を生きなければならないから、自分の中に押し込めていくのでしょう。考えていても前に進めないし、辛くてどうにもならなくなるからです。一方、被災者でない私たちは、被害を想像して悲しむことはできても、自分のこの身体を実際に揺すられないとすぐに忘れてしまいます。東日本大震災の被災者数は、日本に住んでいる1億2千万人のうち数百万人程度です。いくら映像で見ても、被災者でない者には結局わからないのです。身体で経験していないことは、忘れていくし、見ないようにしようと思えばできる。これは阪神淡路大震災の時にも痛感しました。この二つが原因で、4年前に何もなかったかのような今の日本があるんだと思います。

中村

とくに東京がそうなっていますね。しかも身体感覚から離れよう離れようとしています。

髙村

文明を持ってしまった人間には、いくつもの限界があると最近よく思うのです。理想を持つことができる一方で、どうしようもなく愚かなのも人間なんだと。大事なことは忘れるし欲望には勝てない。そして、それでは駄目だということもわかっている。若い頃は考えもしませんでしたが、人間は出来の悪い生きものだと思うようになりました。

中村

そうですね。生きもの研究をしていると、生きものとしてのヒトの魅力と、文明人の勝手さをどう調整したらよいのか悩みます。このままだと破滅ということは様々なところで見えていますよね。

髙村

とりあえず見なかったことにするのです。今はまだ何も起きていないから。想像力が働かないのです。

中村

私が生きている間に破滅的なことが起きるとは思わないけれど、孫とかその先を考えた時、何かまずいなという感覚はありませんか。

髙村

あります。大いにあります。

中村

それが歯止めにならないかなと思うのですが。

髙村

本来なら歯止めにならなければならないのに、それをしない愚かな人間が私たちではないでしょうか。

中村

確かに自分も含めての愚かさというのは痛感しますけれど。一方で、ここで何とかせねばという気持ちでやっているのが生命誌なんです。

(註1)



3.普通の感覚が一番大切

中村

阪神淡路大震災と東日本大震災を体験したにも関わらず、ちっとも世の中が変わらないことに困る一方で、生命誌をわかってくださる方が増えていることも確かです。

髙村

そう思います。

中村

明日ガラッと世の中が変わるとは思っていませんし、政治家や大企業がどうにかしてくれるとは思えません。でも毎日家事を一生懸命やっている女の人の普通の感覚が、世の中を変える原動力になる気がしています。先日、母校の高校で、女生徒たちに授業をしてきました。理系を希望する子がたくさんいるけれど悩んでいるからと言われて。何を話そうかと迷ったのですが、懐かしい教室で後輩に会ったら私の高校時代を思い出したのです。当時はお友達と一緒に遊ぶのが楽しくて、将来のことなどあまり考えずに普通の女の子として暮らしていたなあって。結局、そういう感覚が今一番大事になっているような気がするという話をしました。偉くなろうとか、地位を得ようというよりは、普通の感覚を持ち続けて自分が大事だと思うことをやるのが大切だと思うのです。先生はこんなことをやって立派になりましょうという話を望んでいたのかもしれないのですけれど(笑)。生徒さんは素直に受け止めてくれました。今まで男とか女とかあまり思いませんでしたが、女の人の日常的な感覚が今一番大切だと思うのです。間違っているかしら。

髙村

私の場合、阪神淡路大震災の体験から始まり、東日本大震災で決定的に生き方がガラッと変わりました。社会や政治への関心が消え去って、代りに自分の中にふっと沸いてきたものに素直になって見たとき、出てきたのは普通の生活でした。東日本大震災後、名古屋の企業家の方300人に向けて、原発をまた動かすんですかという話をさせていただのですが、そこで気づいたのは今の日本の男性は、気の毒だということ。男性は頭で駄目だとわかっていても、社会や組織に逆らうことはできませんので、原発止めますとは言えないのです。でも、女性の企業家の方はわかりますと言ってくれました。女性のほうが普通の感覚を素直に受け止められるのは確かですし、自分の感覚で行動できるのは女性の強さだとも思います。

中村

私が生命誌を始めたのは「生きている」ってどういうことなのかをただ知りたいと思ったからです。毎日楽しく食事をしたり、子供と遊んだりできる社会であることが一番の基本だと思うのですが、それって女の人の感覚なのかなと最近思います。だから安倍さんのおっしゃるような女性の活躍ではなく、本当の意味での女性の力が出るといいなと強く思います。

髙村

女性がこんな社会は嫌だという意思表示をすることで変わる可能性は大いにあると思います。安保関連法案のデモには本当に普通の女性たちがふらっと行っている。あれ男性にはできないんですよ。

中村

そうですね。もう一つ、髙村さんのお仕事に関わるのですが、言葉を軽んじて使っている人が多いと感じるのです。きちんと生活するためにはまず言葉を大事にしないといけませんよね。最近の国会の様子を見ると情けなくなります。

髙村

まったく対話になっていませんでしたね。あのやりとりを聞いて世の中の人たちは、何かおかしいぞと思い始めたんだと思います。もちろん憲法学者が違憲と言ったことも大きかったと思いますけど。

中村

言葉で大事なのは聞くことではないでしょうか。聞いて考えてみると新しいことが出てきたりするわけですよね。

髙村

聞くのも一つの能力だと思います。最近の政治家は聞く能力がない。聞く能力がないということは言語能力が低いということですから、自分の考えていることをきちんと表明することもできない。

中村

聞かないと考えられませんからね。もっと考えて行動してほしいです。

4.生きものとしての感覚を取り戻す

髙村

この3,4年『土の記』という小説を書いています。奈良県の山あいで農家の男性が稲を作る話なのですが、有機農法などの特別なものでなく、自然とともに生きる普通の生活がテーマです。先月そこで発芽のことを書きました。苗を作るためにはまず発芽させますが、農家の人が種もみを蒔きながら、発芽してお米ができるまでにどのくらいの太陽光エネルギーを使うのかと考えるのです。そこには、光合成や地質学などの様々な専門用語がでてきますが、結局は種もみを蒔いて植物を育てるということは身体全体の作業であり、自然とともに生きるということなのです。そういうことを小説にしたいと思ったのは、やっぱり震災後に考えが変わったからだと思います。書くものが土や虫や植物にシフトしていきましたね。

中村

完成が楽しみです。自然を考えると時間を考えますよね。発芽は今ではなくて、未来ですものね。人間も生きものだと思って生活していたら、それが普通だと思うのです。機械をいじっているとそうはいきません。私、農業高校が大好きなんです。農業高校では、具体的な身体的な事がたくさんありますから、生徒は先生を先輩として見て尊敬しているのです。その関係が魅力的。

髙村

なるほど。

中村

牛を育てていて分からないことを、体験を持っている先生に聞くと、先生が自分の経験の全てを生徒に伝えようとする。知識を教えるだけでなく、本当の意味での人間と人間が関わり合っているので本当の教育を見ることができます。

髙村

そうなんですね。

中村

先日、熊本の農業高校を退職された先生が栗を送ってくださいました。台風15号でほとんど落ちてしまったけれど、しがみついていた栗があった。栗は9月の終わり頃に成熟しますが、しがみついていた栗は、これは大変だぞと思ったらしく、9月の初めに成熟してしまった。送って下さったのは、その栗だとのこと。先生に、ほとんどの栗がダメになり残念でしたねと申し上げたら、私は何にもしてないっておっしゃるんです。お日様と雨が全部育ててくれたものだから、時々は悪さをしても仕方がないと思うし、生徒にもそういうふうに教えているって。その感覚って非常に大切だと思うのです。私だったら来年作るのは嫌になってしまうと思うのですけれど、農業に携わる人たちは何があっても淡々としていらっしゃる。そこがすごい。そのあたりにも、世の中を変えてくれる原動力があると思うのです。

髙村

そうですね。自然には抗えないので、普段の生活に上手にその感覚を取り込みたいものです。

中村

震災以降、髙村さんがお書きになるものが変わりましたね。その感受性が大事だと思って共感します。発信する側も受ける側も変わらなくてはいけない時ですね。そのようにして共鳴し合い社会は変わるかなと期待しましたが、なかなか変わらないのは残念です。でも小さな希望は感じているので、生命誌はおだやかに、着実に今の活動を続けていきたいと思います。

5.空海に学びながら「生きる」を考える

中村

髙村さんが、『空海』を書かれようと思ったきっかけは何だったのでしょう。

髙村

空海について執筆しませんかと言われたのです。悩んだのですが、書いてみようと思ったのは、空海が1,200年前の人だと気づいたときです。1,200年という年月は、普通の人の想像力を超えています。しかし、空海という人が生きて歩いていたことは間違いないのですから、そこに定点を設けると、1,200年という時間の長さを想像できるようになりますよね。

中村

1,200年前に四国や高野山を歩いている人々が具体的に見えてきたということですね。

髙村

奈良時代や平安時代の日本人を具体的に想像できるようになり、今に至る日本人の宗教観の歴史を辿るのはおもしろいだろうと思ったんです。実際に色々調べてみますと非常に面白くて、植生からして全く違うんですよ。当時は今の高野山とはかけ離れた姿をしていたことがわかります。もちろん衣服、食物、町の景観、そして宗教観も違う。仏教が伝来してそんなに時間が経っていない時ですから。その時代の人たちは、宗教や仏教に何を感じていたのか、そこに興味がありました。

中村

とても具体的に捉えていらっしゃるのが、さすがだと思います。この1,200年は日本にとって大事な時間ですから。空海は、生命誌の立場から関心を持ってきました。東寺の立体曼荼羅を見て、これって生命誌が描こうとしている世界の先取りだと思えて惹かれたのです。

髙村

立体曼荼羅は空海の頭の中に存在した宇宙の象徴のようなものだと思います。空海が築いた密教世界は、それこそ虫から宇宙の星に至るまで、全てを包み込んでいます。掴みどころがなく、茫洋とした生成と消滅がめぐっているような世界です。

中村

私は、哲学など形而上学は苦手なので、具体で考えるのですが、おっしゃったことが生命誌と重なったのです。髙村さんは1,200年という想像できない時間の長さを具体に考えられるようになったとおっしゃいましたけれど、私の場合、それが生命の起源から38億年というとてつもなく長い時間になります。でも、考え続けているとそのスケールが常にあるようになるのです。

髙村

それはどういう形で存在しているのですか。

中村

例えば、蟻がここを這っていると、その中に38億年が見えてきます。この蟻には親がいて、そのまた親がいたと思うとずっと続く世界が見えてくるのです。ですから立体曼荼羅という空海の宇宙と同じものを感じていると思ったのです。生意気ですけれど。  

髙村

ああ、それはすごいですね。

中村

曼荼羅の中心は大日如来で、それが姿を変えて様々なところに現れ、全体となります。私にはその中心が受精卵に見えたのです。そこで、生きものの個を形づくる階層性に注目した生命誌曼荼羅(註2)をつくりました。生きものの最初は受精卵でそこにはゲノムが入っています。そこからだんだん皮膚や脳をつくる細胞が生まれ出てくるのです。人間だと400種類ぐらいです。細胞が集まって組織、器官となり、私という個体になります。生きものはみな階層性を持っていて、この過程では全部同じゲノムが働いているのです。

髙村

なるほど。普通の曼荼羅は、中心に描かれている大日如来が同時に全体も表しているのですが、細胞の中にあるゲノムも同じなんですね。

中村

勝手にそうイメージしました。両親から受け継いだゲノムは、心臓や脳など様々な場所で働きます。脳と心臓をつくる細胞の中に入っているゲノムは全く同じものですが、脳のゲノムは脳ゲノムらしく働き、働いてはいけない遺伝子は抑えられています。心臓も同じことです。そう見えてくると、まさに曼荼羅だと思えるのです。大日如来とゲノムは同じ、空海の宇宙と重なると。

髙村

空海と同じことを考えていらっしゃったなんて、目から鱗です。曼荼羅はインドから来ました。インドの人たちは、今生きている世界とは一体どういう成り立ちをしているのかと非常によく考える人たちでした。その中で、ヨガや瞑想をなどの身体経験を通して、私たち凡人には想像できないような宇宙あるいは生命を直感したようです。

中村

感じ取ったんですね。私が思ったのは勝手なので、あまり大きな声で言ってはいけないと思っていますけれど。

髙村

その直感をとても分かりやすく立体曼荼羅という具体の形で表したところが空海の独自性であり、優れたところです。彼は、いわゆる抽象的な論理は苦手だったと思います。

中村

私も具体で考えるのです。それで大日如来を受精卵に見るなどという勝手なことをして、これでわかったと…。

髙村

有名な彼の言葉で「谷響きを惜しまず、明星来影す」とあり、真言を唱えている時、全身に明星が飛び込むような身体体験をします。一体何だったのか私たちには知る由もありませんが、宇宙的直感を体験したのだと思います。彼を本格的に仏教へ傾倒させたのは、この若き日の出来事がきっかけです。彼は多くの書物も残しますが、最後は結局、直感の世界を捉えるために、言葉の壁を超えて曼荼羅や儀式などの身体体験を含めた密教世界をつくります。

中村

まずは言葉で表現しますね。でもそれを超えていく。それを天才と言うのですね。

髙村

そうですね。一方で、鎌倉時代に新しい仏教を興した道元や親鸞などは、身体体験には頼らない魂の救済を追求しました。それに比べますと、大日如来と一つになることを説く空海の世界は宇宙的な広がりをもっています。だからこそ、とてつもない魅力があり、多くの日本人が惹かれている。だから彼は1,200年生き残ったのだと思います。

中村

なるほど。空海が体現した世界は、ある意味、日常的・日本人的な感覚だったのではありませんか。

髙村

そうだと思います。インドから中国を経て日本にやって来た仏教は簡単に言えば教義が中心であり論理的なものでした。興味深いことに、空海は仏教の論理と日本古来のアニミズム精神を、彼の体の中でスッと合体させてしまった。言葉の限界と不可能性を身体の直接体験で乗り越えたところが彼の最もすごいところで、この感覚は日本人だからこそ。

中村

そう考えるととても分かりやすいです。だからとっても魅力的なんですね、日本人にとって。

髙村

合体させることにより日本に仏教が定着していきます。論理だけでは日本中には広まらなかったはずです。合体させて突き詰め出すと色々矛盾が出てきますが、空海はそこで立ち止まることなく、信心で乗り越えるのです。それは長い歴史の中で、日本人がアニミズム的な信心をDNAに刻んできたからだと思います。

中村

空海と並べるのはおこがましいのですが、科学を誌にするのも同じかなと思っています。

髙村

日本人はご来光も拝むし仏様も拝みますものね。これらの行為に日本人として矛盾を感じない。それでいいと思うんですね。それが信心です。

中村

私、典型的日本人なので、とてもよく分かります。日本人に合っていますよね。

髙村

そうですね。先ほども少し話しましたが、空海は身体の直接体験を非常に大事にしました。教典だけでは理解できないような難しい世界を普通の人がのぞき込めるようなもの。曼荼羅、立体曼荼羅、様々な法具、そして僧侶が行う儀式、これ全部目に見えますよね。また、聲明(しょうみょう)などによって声が加わります。それらの儀式を行う僧侶を見て普通の人がそこに宇宙を感じる。まさに表現なんです。だからその所作もものすごく厳しく、現代のお坊さんたちも一挙手一投足叩き込まれる。

中村

なるほど。

髙村

普通の人でもそこに座るだけで仏の宇宙に包みこまれるような仕掛け作りですね。儀礼に優れた僧侶を見ますと、本当にそこに仏様がいるような気になります。空海自身も、ものすごく儀礼が上手な人だったと思います。だから、無名の日本人が中国で異例の昇進を遂げ、日本に帰国後も重用されたのだと思います。

中村

そういうふうに空海を見ると、ますます好きになります。同じ時代の人に比べて図抜けた魅力がありますね。

髙村

今日の中村さんの話を伺って思ったのですが、似ていますね、お二人。

中村

似ている?(笑)

髙村

共通点がありそうですね、中村さんと空海。

中村

とんでもない。あちらは大天才であり、全然違いますけれど、とても親近感を持つことは確かです。

髙村

私は元々は中村さんとは逆で、抽象的にものを考えるほうだと思います。例えば、生命誌の『編む』で津田一郎さんの記事を読んで、専門的なことはわかりませんが、数字の0と1で生命を表現するほうがピンと来ます。

中村

すごい。これまでの対談で一番難しかった話です。髙村さんは言葉の人ですね。

髙村

言葉ですね。言葉も元は抽象的なものですから。

中村

言葉はコミュニケーションの道具である前に、考える道具ですものね。

髙村

抽象的にものを考えるので曼荼羅って最初は苦手でした。でも、今では人間が変わったように非常におもしろいと思います。

中村

変わったきっかけはやっぱり震災ですか。

髙村

そうだと思います。私の身体に刻まれた阪神淡路大地震の体験も言葉で紡げないものでした。その体験を通して、私の中で大きな地殻変動のようなものが起こったんです。それは「生きる」とはどういうことなのかを考えたいという気持ちでした。「生きる」の中には当然死ぬことも含まれますが、震災後、死は決してマイナスのイメージだけでないことにも気づきました。

中村

言葉は身体を通して考えるものですよね。「命を大切にしましょう」と押し付けるだけの道徳教育をしても全然ダメでしょう。

髙村

そう思います。命の尊さは知識や想像だけでわかるものでは絶対ありません。自分が大地に揺すられるような直接体験を通してこそわかるものです。実は、私の心境の変化が始まったのは阪神淡路大震災の直後からでしたが、新しい発見をしたことに気付いたのはそこから10年経ってからでした。「生きる」を考えることは、ものすごく当たり前なはずなのに随分時間がかかりました。

中村

わかります。研究館を始めてから20年という年月は、体の中に蓄積された様々な体験や感覚を外へ出すために最低限必要な時間だと実感した時でした。今日はたくさんのことを教えていただいてありがとうございます。これからも、生命誌研究館にいらして、お話を聞かせてください。

 

(註2) 生命誌マンダラ

(左)個をかたちづくる階層性を表現した作品。
(右)各階層の説明。
画:中川学、尾崎閑也

https://www.brh.co.jp/exhibition_hall/hall/biohistory-mandala/

 

写真:大西成明

 

対談を終えて

中村桂子

年一回必ずいらして館員の話を熱心に聞いて下さることが励みになっています。未知のものに向ける気持ちは、小説も科学と同じと伺ってなるほどと思い、嬉しくなりました。実は、阪神淡路大震災後、様々な自然災害を身体感覚で捉え、生き方を変えようとなさっているのを拝見し、同じところを見ていると感じていました。軸足が自然へと移行したというお話、よくわかります。それが空海につながったのもわかります。そして言葉。人間にとってこれほど大事なものをないがしろにする風潮への嘆きも重なりました。また来館下さるのを楽しみにしています。

髙村薫

季刊「生命誌」などで中村館長の発想の多様さ、守備範囲の広さにつねづね感服していましたが、今回はまた一つ大きな発見をしました。なんと、あの空海が造った東寺の立体曼荼羅に昔から強く感応してこられたそうですね。館長には、立体曼荼羅がそのままゲノムの宇宙に直結して見えるのだそうですが、それはまさに空海その人の世界把握の仕方ではありませんか。一つの形を通して全宇宙の時空の姿を直観的に掴みとるような研究者がいて初めて、生命誌という考え方が可能になったのだと、あらためて痛感させられました。

髙村薫(たかむら かおる)

1953年大阪府生まれ。国際基督教大学卒業。商社勤めの合間に『黄金を抱いて飛べ』を執筆、同作品で日本推理サスペンス賞受賞後、作家へ。代表作は『マークスの山』(直木賞受賞)、『レディ・ジョーカー』『冷血』等、多数。近年は土に興味をもち、普通の農家が自然とともに生きる『土の記』を執筆している。


 

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