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クオリア - 現実と仮想の出会い
認識とは、世界にあるものをそのまま見るということではない。例えば、「机」という概念は、私たちの脳の中にしかない仮想である。ある具体的な色や形をした物理的実体に、「机」という概念をあてはめるという認識のプロセスは、仮想と現実の出会いでもある。
認識とは仮想と現実の出会いだと考えると、言語を含む様々な認知現象の成り立ちがすっきりと整理できる。「猫」という概念も仮想であり、だからこそ、様々な毛並みをして、様々な形をした小動物に「猫」という仮想をマッチさせることができる。人の顔を顔と認識するところから、すでに仮想は始まっている。アルキンボルドの描く絵に我々が見る「顔」は仮想であるとすぐに納得できる。しかし、街中でありきたりの顔をそれと認識する時も、現実と仮想のマッチングがとられているのである。
「一角獣」や、「緑の服を着たサンタクロース」といった、現実にはないものや、生涯で初めて聞いたような概念が生成できるのも、言葉が、上のような仮想と現実の出会いとしての認識の延長線上に構成されるからである。
第一人称的な視点から見ると、私たちは、現実の事物を「感覚的クオリア」、そこにマッチングされる仮想されるものを「志向的クオリア」として感じ取っている。ここに、感覚的クオリアとは、薔薇の匂い、チョコレートの色、焼けたお餅の香ばしさなど、私たちの感覚を構成する質感を指し、一方、志向的クオリアは、それらに対してマッチングされる解釈を指す。例えば、「薔薇の匂い」の認識においては、匂いそのものの感覚的クオリアと、「これは薔薇の匂いだ」という志向的クオリアの間のマッチングが取られている。感覚的クオリアが現実を、志向的クオリアが仮想を担っている。
感覚的クオリアが、具体的で、鮮明で、安定した存在感のある生々しさを持っているのに対して、志向的クオリアは、抽象的でとらえどころがない。このようなクオリアの性質の違いは、それを生み出す神経回路網の性質の違いを反映している。例えば、アルキンボルドの絵において、一個一個の果物の色や、表面の照りなどの感覚的クオリアは、具体的、鮮明にそこにあるように感じられるが、その上に張られる「これは顔だ」という志向的クオリアは、抽象的でとらえどころがない。感覚的クオリアは、大脳皮質の視覚、聴覚などの低次の感覚野から、前頭連合野を中心とする高次の領野に向かう神経回路網によって作り出されている。一方、志向的クオリアは、前頭連合野を中心とする高次の領野内部、あるいはこれらの領野から低次の感覚野に向かう神経回路網によって作り出されている。いかにして、このような回路網の違いが、私たちが主観的に感じる質感の違いに結びつくのか、その解明が、いわゆる心脳問題の中心課題でもある。
感覚的クオリアと志向的クオリアの図(デザイン:坂 啓典)
小林秀雄が、ベルグソンを論じた『感想』の冒頭で次のような話を書いている。終戦の翌年、小林の母が死んだ。その数日後の或る日、家の近くの小川で、蛍を一匹見る。その時、小林は、その蛍が自分の母親であると思う。今、母親は、蛍になって飛んでいるのだということを確信する。光を点滅させる節足動物を「蛍」と見るのも、「母親」と見るのも、現実に仮想をマッチングさせる脳の認識の働きである。母親の魂というものが世界のどこにもないように、「蛍」という概念も実は人間が作り出した仮想であって、私たちの脳の中だけにある。
蛍を母親だと思ってしまうような強い仮想の作用を持つことは、文学的エッセイを書く時だけ役に立つわけではない。世界のどこにもない仮想とのマッチングで認識を構成することは、抽象的な数学の概念、「木漏れ日」といった言葉の微妙なニュアンス、さらには論理的な思考といった、人間の認知のプロセスと深く結びついている。人間は、基本的に開かれた世界の中で生きていて、何時予期せぬ事物、予期せぬ事態に出会うか判らない。そのような場合にも迅速かつ的確にマッチングを行い、適切な行動をとるためには、あらかじめ、脳の中に豊かな仮想のセットを用意しておくのが良い。「指輪物語」や「ハリーポッター」で起こる魔法のような出来事に、現実の世界で出会うことはあり得ない。しかし、万が一そのような出来事に出会った時の為に、あらかじめそのような仮想のセットを用意しておくことは、脳の進化の過程で恐らく適応的だったのである。
科学における創造性と、芸術における創造性は一つながりである。どちらも、現実の世界にはない仮想を創り上げる。電子や陽子は、それが構想された時は仮想に過ぎなかった。科学は、仮想された概念、法則を、実験で検証することによって確認する。一方、芸術において問題になるのは、その仮想がいかに人の心を動かすかということである。このような違いをのぞけば、科学も芸術も、仮想を創り出す脳の中の自律的、自発的なニューロン活動によって支えられている。