Special Story
ゲノムから見た
Evo(進化)-Devo(発生)-Eco(生態系)
久しぶりに会った友人に言われました。「10年前には顔を見れば,ゲノム,ゲノムって言ってたのに,最近とんと言わないね」。ゲノムが生きものの世界を見る時の大事な切り口であることに変わりはありません。ただ,そこに気づいている人が少ない時は,ゲノムという言葉を口にすること自体が大事でしたけれど,今はもう言う必要はありません。それだけでなく,今では,ゲノムと言えば,特許や薬の話を期待されてしまいそうなので,あまり使わないだけのことです。
沖縄本島に自生するイチジクの一種,アカメイヌビワFicus benguetensis 。
生命誌は,生物の体内で読み解かれたゲノムが描き出す物語ですが,この10年間にゲノムをとりまく環境は変わってきました。幸い世界中でゲノム研究が進み,多くのことがわかってきたのです。生命誌研究館でもオサムシ,藻,ニワトリなどでの研究から,発生と進化がからみ合った生きものの歴史と関係を少しずつ解明してきました。生きものは一つひとつの個体が分裂で増えるにしろ,受精卵から始まる発生過程を経ての一生を過ごすにしろ,個体の時間を重ねることで続いていきます。そして,その間に起きたゲノム内の変化が環境との関わりの中で定着していき,多様化していく,これが進化です。ゲノム研究が進むにつれ,従来独立に行なわれてきた発生と進化の生物学は,重なり合ってきました。生命誌の方向です。ここまで来ると,意識的に対象にしなければならないのが,個体にとっての環境,全体として見るなら生態系です。進化と発生の密な関連を意識して Evo-Devo(Evolution とDevelopment)という言葉ができましたが,次はEcosystemまたはEcologyを加えたEvo-Devo-Ecoが重要です。
アンコールワットの遺跡から芽生えたイチジク。大きくなったイチジクの根は貴重な文化遺産を崩しているが, これも生きものと人間の共生関係のひとつの姿だ。
生態系を意識した時にまず登場する具体的なテーマは,共生・共進化です。そこで,生命誌研究館のテーマとしてこれを取り上げました。
共生・共進化は,野外研究の大きなテーマでした。「地球上の生命の歴史は,さまざまな生物の共進化と生物間ネットワークの歴史だ」とは,生態学の湯本貴和さん(京都大学生態学研究センター)の言です。最近,もう一つのキーワードがしばしば出されるようになりました。多様性です。ここで興味深いのは,ゲノム研究が進むとともに,実験室科学でも多様性が関心を引くようになったことです。ゲノム研究は一方で,生物学を技術へと近づけ,社会には,その面が大きく見えていますが,じつはこのように自然を見つめようという方向への研究が着々と進んでいるのです。すべての生物がもっているゲノムを比較することで,進化を追い,多様性がどのようにして生まれたかを知ろうとしています。
実験科学では,共生や共進化という意識で行なわれている研究はまだまだ少ない状況です。そこで本号では,DNA の解析という実験科学と野外とを結びつけてこの問題を考えていこうとしている研究を取り上げました。熱帯林で見られるイチジクと送粉者イチジクコバチ,チョウとその食草という,生殖や食という基本的生命現象を巡っての生きものたちのさまざまな生存戦略は,とても興味深いものです。
近年,人間社会でも,共生の重要性が指摘されています。生物間の関係としては,食べる食べられるというような敵対,同じ食べ物を食べている場合のような競争,腸内細菌と宿主のような相利共生,一方だけが利益を受けている片利,一方だけが損をする片損,さらには中立というさまざまな関係が見られます。これらすべてを共生として,全体の系を見ていくと,さまざまな生物がダイナミックに変化しながら,全体としてバランスある系になっていることがわかります。人間社会の場合も仲良くしましょうねというだけではことはすみません。バランスを壊さない関係を作っていけるような価値観をもち,ルールを考えていくのが生きものらしい生き方になるのです。多様なものがそれぞれの生き方ができるようにするには,いずれもがほどほどにするしかありません。
イチジクとコバチの共生の一場面
①脱出口から顔を出す雄コバチ(オオバイヌビワ, 西表島)。
②雄コバチがまず穴を掘り(オオバイヌビワ,西表島)
③ 雌コバチはその穴を通ってイチジクの外へ(カンボジア)。
(写真=すべて山口進)
(中村桂子/JT生命誌研究館副館長 )
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。