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Special Story

ゲノムから進化を探る研究

分子進化と種の進化をつなぐ仕組み:矢原一郎

38億年前、最初の生命が誕生した。以来、細胞は、分裂を繰り返すことで現在まで存続し、内にあるゲノムを伝えてきた。その間、ゲノムは少しずつ変化し、細胞のあり方に影響を与え続けている。

生命誌は、ゲノムに刻まれたこの変化の痕跡を辿ることで、生きものの歴史とお互いの関係を読み解こうとしている。

今、ゲノム研究は、医療やバイオ産業と結びつき、巨額の費用と人員を投じて凄まじい勢いで遺伝子情報を収集している。この膨大な情報が、どのくらい生物の歴史、つまり進化を読み解くことにつながるのだろうか。


バージェス頁岩(けつがん)に代表される化石資料は、進化が断続的に起きてきたことを示唆している。一方、分子時計と言われるように、分子の進化速度は一定である。両者を矛盾無くまとめるには、分子の変異が十分に蓄積されてはじめて表現型(形態や行動)が変化すると考えなくてはならない。この場合、表現型に影響を与えない変異がいくら蓄積しても進化にはつながらないので、表現型に何らかの影響を与える変異が蓄積される必要がある。

分子の進化のほとんどは中立だという説を唱えた木村資生(きむらもとお)は、個体の表現型の進化を説明するには、本来は中立でない変異を中立として隠す仕組みが不可欠と考えた。そうすれば、有害な変異も、自然選択によって除かれずにゲノム内に蓄積するはずだ。遺伝子重複や優性生殖は変異を隠す仕組みと考えられている。同一遺伝子が複数あれば、どれかに変異が起きても、変異が劣性であれば表現型には影響しないからだが、これらには、蓄積した変異を一度に表に出す仕組みがない。ところが最近、変異を蓄積し、一挙に顕在化させる仕組みが見つかった。

四角くんが丸ちゃんへ(ビデオ「ゲノム伝」より)

1. 薄く透けて見える四角のパズルが、四角君のゲノム。
パズルの各ピースが遺伝しの働きを示している。遺伝子の働きがうまくかみ合ってゲノムが働いている。
2. 遺伝子に変異が発生。でも、HSP90があれば、遺伝子は正常に働く。こうして変異がため込まれる。
3. どんどんため込まれた変異。
4. HSP90の手に負えない量の変異が蓄積。
5. とうとうゲノムの働きが崩れてしまう。
6. ところが、ゲノムは新しい働きを開始。
7. 丸ちゃん誕生。
進化はこんなふうに起きるのだろうか?

これには、HSP90というタンパク質が関係している。HSP90は、すべての生物にあるタンパク質で、細胞がストレスを受けると、増産され、ストレスで立体構造がおかしくなってしまったタンパク質を正常に働かせる作用をもつ。通常は、主に細胞内での情報伝達や細胞同士の情報のやりとりを支えるタンパク質に作用して、それらがひも状の状態から折り畳まれていく過程や、集まって複合体を作る過程を助けている。したがって、HSP90がないと、生物内での情報の伝達が大きく乱れ、真核生物は生きていけない(原核生物は辛うじて生存できる)。

RutherfordとLindquistは、ショウジョウバエでHSP90の各種変異体の形質を調べるために、野生型と変異型のヘテロ接合体として変異を維持していたところ(ホモ接合体では致死率が高く維持できない)、それらには数パーゼントもの割合で個体に顕著な形態異常が現れることを見いだした。ヘテロ接合体では、正常なHSP90の量が半減していることから、HSP90が十分あれば遺伝子の変異は隠され、量が減るとそれらが表に現れると推測できる。案の定、異なる変異をもったヘテロ接合体をかけ合わせていくと、異常な表現型をもつ個体が増え、時には、正常なHSP90のホモ接合体にも異常が現れた。HSP90の量が減るか、変異の蓄積量が増え過ぎると、変異を隠しきれなくなるのだろう。

HSP90が変異を隠す様子を単純な例で想像してみよう。二つの異なるサブユニットからなるタンパク質があり、両方が正常であれば、自動的に複合体を形成し、働くとする。一方に変異が生じてもHSP90の助けを借りて正常な複合体になれるが、両方のサブユニットに変異が生じると、HSP90が十分あっても、形成される複合体の構造が変わってしまう。この複合体が身体のかたちを決める重要なタンパク質だとすると、正常なHSP90をもつ個体であっても、第二の変異が起きた時点で、隠されていた最初の変異も加わって形態や行動に大きな変化が現れるはずだ。

HSPの電子顕微鏡写真。一列に並んだ4つの塊は、HSP90の2両体。

このように、HSP90は、異常なタンパク質を正常に働かせる役目をしてゲノム内に変異をため込んでいき、その量がある閾値に達すると、それらを一挙に顕在化させるのである。こうして連続的に起きているDNAの変化と断続的に起きる形や働きの変化が結びつき、進化は起きると考えられる。

HSP90が変異を隠す様子(想像図)

上:正常時。2つのサブユニットから複合体が形成される。
中:一方に変異が起きた場合。HSP90がないと複合体は形成されないが、HSP90があると正常な複合体が形成される。HSP90が変異をため込んだことになる。
下:両方のサブユニットに変異が起きたとき。HSP90が十分あってもタンパク質の構造変化は抑えきれず、複合体の形成が失敗に終わる。こうして、隠されていた変異が、形態の異常として表に現れることになる。

 

(やはら・いちろう/東京都臨床医学総合研究所副所長)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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