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Gallery Special

[企画展示]生命の樹
-科学と芸術の実験場-

布は生命そのものである:田中優子

: : 布に描かれた世界の生命の樹 : :
生命の樹は、世界中に認められる樹木崇拝と、人々の生命、世界、宇宙に対する畏敬の念とが結びついて誕生したものと考えられる。それらの多くは、タペストリーや絨毯などの布に描かれた。


生命はかたちをもっている。そのかたちは、生命科学者の眼にいったいどのように映っているのだろうか。微小生物のかたち、細胞のかたち、DNAのかたち──それだけでなく、生命の要素をつくり、特定の位 置に配置する情報のパターンさえ、眼で確認することができるという。情報もかたちを成しているのだ。

布はかつてそれら生命のかたちの現れであった。それを布を作るものたちの「表現」と言っては、間違いになるだろう。なぜなら、繊維というものをつくる工程から一枚の布に仕上がるまで、すべてが生命というものに関わり、生命を見つめ、生命をかたちにしてゆく作業だったからだ。表現などという個人的で表面的なものではなく、まさに一個の生命を生み出す仕事であった。

絹の場合は桑を育て蚕に食ませる。あるいは繭を探し出して集める。綿や麻の場合は、その植物を育てる。それらから糸を引き出し、糸を縒る。染料をつくる行程はさらに、植物や昆虫の生命の細部にまでつきあう。紅花を煮るとあざやかな紅に染まるが、竹を煮て染めてもただ白いだけだ。が、あるとき太陽の光が当たってふと気がつく。ただ白いだけだと思っていた布がかすかな竹色を帯び、虹のような光沢を放っていることに。

【小袖】(江戸後期)

縹(はなだ)色の地に梅の樹と春の七草を、刺繍と箔とで表現した小袖である。山を表す大地から梅の樹が立ち上がっているところは、インドの生命樹を思わせる。

どんな植物を、いつ、どれだけ煮て、何回染めればどのような色になるか。種類、季節、成長の度合い、育った環境、糸の種類と状態──膨大な要素がからみあって、初めて「色」になる。生命の営みそのものだ。文様とは、そのような生命の営みを見つめるところから出現したのかもしれない、と私は思っている。パルメットにアカンサス、菊に梅に桜、鹿、鶴、孔雀、獅子や麒麟に様々な貝、そして、生命の根元を思わせる勾玉 形の連続文様や、あらゆる生物を集めた集合文様まで、布はありとあらゆる生命のかたちを集め、織り出し、染め出す。

あまりにもその数が膨大なので、この展示の企画の初めには、迷いに迷った。「いちばん基本的なところから始めよう」という吉本忍先生の決断がなかったら、未だに迷っていたかもしれない。大地から太陽に向かって伸びてゆく一本の木──世界中にある生命樹あるいは世界樹のかたちこそが、大地と宇宙を結び、その間に生命が生まれることの、もっとも基本的な象徴だったのである。

布に現れた生命樹のかたちを追っていくようになったとき、生物研究によって生まれた生命観が、やはり樹木のかたちをしていることを知った。進化論にもとづくヘッケルの系統樹だけでなく、生き物がお互いに分かれてから経過した時間の長さを、分子から割り出して結んでいくと、これもまた樹木のようなかたちになっている。一つの受精卵が分裂してセンチュウの成体になるまでの道筋を描いていくと、これも巨大な樹木になる。一個の生物ができあがっていくプロセスも、生命力の多様なそして綿密な展開であるし、様々な生物に枝分かれしていく道もまた、巨大な生命力の多様な展開なのである。

その現象を人が認識できるようなかたちに表してみると、まさにそこに生命樹が現れる。おそらく生命の樹のかたちには、生命がたどる「時間」と「物語」とが、ぎっしりつまっているのだ。DNAを知る前から、人が生命の発露と展開とを樹木のかたちに表してきたのは、考えてみればとても不思議なことだ。

しかし布全体を見わたすと、生命の文様は生命樹ばかりでない。ペイズリーや鋸歯文様や動物のかたちなど、様々に抽象化された生命のかたちが発見できる。布は生命の樹から始まって、どのような生命のかたちを展開してきたのか。次はさらに、その森に踏み込んで行きたいと思っている。

(左端)【ロゼット】

もとは、蓮を正面から見た形であるが、実際には花の種類に関係なく、正面 から見た花の形をデザイン化したものをいう。


(左から2番目)【パルメット】

もともと蓮の断面の形と言われるが、実際はバラ、ダリア、ユリなど様々な花の断面 をデザイン化したもの。エジプト、ペルシャ、イラン、ギリシャ・ローマ、中国に拡がり、互いに影響し合いながら展開した。


(右から2番目)【唐草文様】

植物の花や葉の形を蔓状の曲線でつないだ文様。パルメットをつないだものも多い。(以上協力=今昔西村)


(右端)【メダリオン】

ペルシャの写本の表紙からきたもので、中心に大きな花の円文様を置き、周囲に花唐草が描かれる。(協力=みずたに)

(たなか・ゆうこ/法政大学教授)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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