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Experiment

エレガントな線虫行動から探る神経機能

森郁恵

1000億個のニューロンをもつヒト。
それに比べると、302個しかない線虫の神経系ははるかに単純です。線虫の神経系をモデルとして、私たちの心はどこまで理解できるのでしょうか。


線虫C.エレガンスをご存知でしょうか。体は透明、全長1mmほどの土壌自活性線虫で、20年前までは、名前が優雅なだけの動物でした。ところがこれが、今や生物研究の場では花形モデル動物になっています。

アメリカの大学院で線虫の研究をしていた約15年前、イギリスから線虫についての驚くべき報告が出されました。受精卵という1個の細胞に始まり959個の細胞でできた成虫になるまでの全過程と、302個ある神経細胞が五千数百箇所でつながっている様子がすべて明らかにされたのです。一つの生物の出来上がる様子がこれほど明確にわかるなんて! 本当に感激したことが思い出されます。帰国後も線虫の研究をしたいと思いましたが、当時の日本は、なかなかそれが叶えられない時代でした。それだけに、九州大学大島靖美研究室で線虫の研究ができることになったときの嬉しさは忘れられません。テーマは温度走性と呼ばれる行動です。

線虫の中枢神経系は、リング状の神経線維の束(神経環)とその周囲の細胞体からなっている(図)。写真では、中枢神経系のニューロンの核が青く染まっている。

線虫は飼育温度を記憶し、餌(大腸菌)を充分与えられていた場合には、温度勾配上でその温度域に移動するようになります。逆に、餌を与えずに飼育した場合、その飢餓というストレスを体験した温度を避けるようになります。これが温度走性行動で、1975年に報告されてから高い関心を集めながら、10年以上解析されないでいました。単純に見える行動でも行動解析が難しいため、実験科学として成立するかどうかわからない無謀なテーマだと敬遠されていたのかもしれません。しかし、高校時代に動物行動学に触れたのをきっかけに生物学を目指した私には、魅力的なテーマでした。たとえば、温度がどのように中枢神経系に表現されているかという問題があります。温度記憶のメカニズムも面白い問題です。また、温度記憶と餌環境の記憶の関連づけや、記憶している温度と現在感じている温度の照合、照合結果からの進路決定の運動出力のメカニズムなど、興味深い問題をたくさん含んでいます。これら一つ一つが、より複雑な神経系を解き明かすためのモデルとなるに違いないと考えました。

孵化しようとしている線虫。
(写真=英国サンガーセンター、John Sulston) 

温度を記憶する線虫

中心(18℃)から外側(25℃)に向けて温度勾配がある寒天の入ったシャーレ上を移動する線虫の軌跡。等温線に沿って動いているのがわかる。線虫は飼育温度を記憶し、その環境に餌が充分あれば、その記憶した温度域を移動しようとする。たとえば、15℃で飼育されていた線虫はシャーレの中央付近を移動する。

まず、温度を感じる細胞がどこにあるのかを調べることにしました。ニューロンをレーザーで一つ一つ焼き殺し、行動の変化を調べ、AFDと呼ばれるニューロンが温度受容細胞だということを突き止めました。さらに、情報を中継する介在ニューロンとしてAIYとAIZが見つかりました。AIYが働かないと、好冷性(常に温度の低いほうに向かう)を、AIZが働かないと、好熱性を示します。わずか2つの介在ニューロンの活動のバランスで、温度走性行動が決まっているなんて。これは驚くべき発見でした。まさに、神経ネットワークの制御機構を解き明かすための最小ユニットがここにある、と直感したのです。今後は、神経活動の可視化の手法や電気生理学的手法をとりいれて、より詳しい制御機構を解析していきたいと考えています。そして、近い将来、高等動物の脳における複雑な神経ネットワーク上の出来事の土台がわかるのではないか、と期待は膨らみます。

現在、餌があろうとなかろうとその温度が好きになってしまうaho(abnormal hunger orientation)変異体をできるだけたくさん採る努力もしています。餌環境の記憶と温度記憶を関連づけられない変異体を見つけることができれば、記憶にかかわる分子や、2種類の記憶を統合して行動するための神経回路がわかるかもしれません。やっと1つ採れたので(aho-1変異体)、その解析結果が待たれるところです。

線虫は、空腹になると、いそいそとせわしなく動き回ります。いらいらして集中力が散漫になる姿は、まるで人間のようです。面白いことに、神経ホルモンや神経伝達物質として知られているセロトニンを与えて飼育すると、餌がなくてもその温度が好きになり、反対に餌があっても、オクトパミンという物質を与えておくと、その温度が嫌いになってしまいます。セロトニン・ニューロンは人間にもあり、脳の広い領域で働いています。セロトニンの分泌が少ないと、危険に対して過敏になったり、攻撃的になったりすることから、落ち着いた行動をとらせるために必要だと考えられています。線虫でも、餌があるとセロトニンが分泌され、落ち着いた行動を取り戻し、その状態を肯定的なものとして記憶するのかもしれません。あるいは、まだ見つかっていない神経ホルモンが関係しているかもしれません。これらの物質が温度走性行動とどう関係するのか。とても興味深いものがあります。

感覚の受容に関わるニューロンたち

線虫の頭部先端には、AFDなど数種の感覚ニューロンからなる左右一対の感覚器官があり(上図)、これらを介して温度走性や化学走性行動が生じる。これらのニューロンの中で、感覚受容に関係すると推測されているtax-4 という遺伝子を発現しているものが緑色に染まっている(写真)。下図は神経ネットワークの一部を模式化したもので、感覚ニューロンがとらえた情報は、介在ニューロン、運動ニューロンを経て筋肉に伝えられる。

昨年(1998年)の暮れ、多細胞生物として初めて線虫ゲノムの全塩基配列が決定されました。神経系機能を分子や細胞のレベルで調べるのにこれほど適した動物は他にないともいえます。神経系は、新しい機能領域を古いものの上に付け加えるという増改築型の進化を遂げてきており、ニューロンの性質もよく保存されています。線虫から神経系機能の基本様式(普遍的原理)を探り、その数々のバリエーションが高等動物 — もちろん人間も含めて — の脳でどのように奏でられているのかを明らかにしていきたいと思っています。

C.エレガンスが名前の通り、ゲノム解析の成果をエレガントに生かす生物になりそうだと期待しています。

(もり・いくえ/名古屋大学大学院理学研究科助教授・さきがけ研究21研究員)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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