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自然の輝きを織る

松浦寛子

金箔と絹の色糸が交差する佐賀綿は、光の織物。
太陽の光を鱗粉がプリズム反射することによって青<光るモルフォ蝶に似ている。
蝶や蛾や、それらを育む森や山や宇宙の彼方にまでも、作品の対象は広がり、伝統の技法の中に生命の輝きが織り出される。


私は小学校6年の冬にカリエスを患った。以後10年余り、一進一退を繰り返す病気との闘いで私の青春期は過ぎていった。その間に、蛾の世界を知ったのである。

まず、電気の光に引き寄せられて家の中へ飛び込んでくる蛾たちの多彩な模様の美しさに驚かされた。次いで、それらの幼虫たちを飼育、観察することによって、計り知れない自然の不思議を知った。次々と出合う新しい幼虫たちは、私に飽きることのない楽しみを与えてくれた。なかでももっとも興味を引かれたのは、尾角(びかく)をピンと立てた大きなスズメガの幼虫である。この仲間の全種を自分の目で見、記録したいと願い、今も未知の種を追い続けている。
 

M31星雲

オオミズアオも私の大切な蛾で、その観察記録は『日本昆虫記』という本に載り、やがて小学校の国語の教科書にも採用された。

23歳の時に背骨の手術をしてから、ようやく人並みの生活ができるようになった私は、あこがれの野山へ蛾を採りに出かけた。昼間は木や草の葉から幼虫を探し、夜は燈火に集まる成虫に胸をときめかすのである。図鑑でしか見ることのなかった蛾が次々と私の標本箱に増えていき、観察ノートの幼虫図も増していった。そして1964年の秋には長野県御代田の山荘で日本では未記録の蛾を発見した。ミヨタトラヨトウと名付けたこの蛾は2年間に15頭を採集したものの、その後姿を消し、未だに日本のどこからも見つかっていない。私がそれを採集できたのはまったくの偶然だったのだろうが、神様のくれた記念すべき1ページとして私の長い採集史を飾っている。

蛾によって生きる力を与えられた私は、31歳の年に、佐賀錦に出合う。知人に勧められて初めてこの織物を見た時、これでモルフォ蝶を織ったらきれいだろうな、と思った。佐賀錦は金箔を貼った和紙を細かく裁断したものを縦糸とし、絹の色糸でで模様を織り出していくものだ。絹糸は金の経紙に織り込まれることによって、さらに美く光り輝く。見る角度や動きによって様々な変化を見せるこの織物には、 生きた自然の美しさを表現できる魔法が潜んでいるように思う。

自然の芸術は人間の智恵では到底及ばないことを私はっている。それでも私は、心に響く美しい自然を、佐賀錦という特種な素材によって一つでも多くの作品に表したいと願っているのである。

(写真=首藤幹夫)

松浦寛子まつうら・ひろこ

1933年、東京、青山に生まれる。佐賀錦作家。井上佐賀錦研究所門下。88年及び92年、銀座ラ・ポーラで個展を開く。蛾の多様性に魅せられ、その収集家として知られる。日本鱗翅学会会員。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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