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Talk

風と水と生命誌
-偶然と必然が生み出すもの

新宮晋 彫刻家 × 中村桂子 生命誌研究館副館長

風や水などの自然エネルギーで動く作品を作り続ける新宮晋さん。樹間を抜ける風が作品と出会い、ゆるやかな動きを与える、そんな六甲山麓のアトリエを中村副館長が訪れました。彫刻と生き物。それは偶然と必然の絡み合いの中から生まれた"作品"でした。

無限の広がりを感じさせるアトリエの一室。作品代わりに手元に残した模型の数々が部屋を彩る。(写真=外賀嘉起)

風をよむ・水をよむ

中村

今日はほとんど風がないと思っていましたのに、新三田(さんだ)の駅(JR福知山線)に降りましたら、駅前で「大地の詩」という新宮さんの作品が微妙に動いていたのです。しかも、ちょっと場所が違うだけで、止まっているものもあれば動いているものもある。風に微妙な違いがあることがよくわかりました。人間より敏感ですね。

新宮

だから、面白いんでしょうけれどもね。風というのは、強いときにはものすごく強い。そのミニマムから強風までの間の広いレンジを、なんとか捉えようということで作っているわけです。

中村

かすかな風でも動き、強風でも壊れないという構造の工夫。それが美しさを産み出しているのかもしれませんね。

新宮

そう。できるだけ、人間が感じるか感じないかのあたりの風を感じてくれたら、と。

中村

風はつねに自分の肌で感じますから、その感覚と作品の動きを連動させて受け止められるところが見る側にとって魅力的です。

新宮

外の風というのは、かなりなものを動かす力があると思うんです。重さよりも、どちらかというとバランスの問題ですよね。あるギリギリのところでバランスのセッティングをして作る。グラム単位でやっているので、雨のしずくが表面につくと、それはコップ-杯の水の重さになるので、すぐにバランスが崩れちゃう。

中村

そこで、逆に水力で動かすものもお作りになった。

新宮

水というのはどういうものなんだろうと考えていくと、いろんなものが浮かんでくるんですよ。水の重量、低きに流れる性質、空中を飛ぶ能力、波のエネルギー、表面に浮かばせる能力というふうに考えていくと、水の本来の性格を損なうことなく、水に勝手にやらせていたらこういうものができるなという、最小限の装置が考えられるわけです。水を原理的に見せようとしていけば、無理に彫刻的なかたちにする必要はなく、僕自身、思ってもみない形態が出てきたりするんです。

中村

かたちが自然に出てくるというところが、心地よさにつながるのでしょうか。生物のかたちにも、おそらく自然との関係でこうなったという面があると思います。

立体への道

中村

科学から芸術への関心の一つに、科学にも共感を呼ぶ表現が必要だと思うこと。もう一つに、生物がかたちや色で表現しているものと人間の表現の関係を知りたいことがあります。そこで、絵から立体表現へとお移りになった気持ちをうかがいたいのですが。

会場となった三田市青野ダムサイト公園。中央が「水の木」。(写真=外賀嘉起)

新宮

単純に、 絵がうまくなれば絵描きになるという気持ちで絵の勉強をし、そのまま美術学校へ行きました。ところが、イタリア留学中に、絵がうまくなって展覧会をしてというような、そんな単純な話じゃないなという気がしてきまして。つまり、ルネッサンスの芸術家たちが科学者であって、医学者であって、詩人であったというように、創作活動というのはもっと総合的な世界を目指すものなんだと感じたんです。

中村

私が生命科学から生命誌を始めたのも、 まったく同じ気持ちからでした。

新宮

一つは技術的なことですね。四角いキャンバスの中に描いたかたちだけをカットアウトしたらどうかなと思って、壁掛けのような、ハリボテのようなものを作り、木にぶら下げてみたんですよ。そうしたら、こう、風で動くんですね。これに動くメカニズムを組み込んで、全体を風に応じられるかたちにすれば、もっと動きが面白くなるかもしれないと。それからいろいろ立体を作ってみました。イタリアに行って6年目に、大阪造船所の社長さんが僕の作った立体を気に入ってくれて、帰国後、造船所の一角にアトリエを用意してくれたのです。

中村

思いもよらない組み合わせですが、造船所は立体製作技術の粋を集めた場でもありますね。

新宮

そう。だから、 それは僕に起こった産業革命だったんですよ。でなければ、手でぎゅっと曲げてね、それを溶接して作っていたにちがいない。ところが造船所では、図面を先に引かなきゃならないわ、構造計算をする人が出てくるわで。僕なんか、揺すって折れなきゃ大丈夫だとか言ってたのに、そうもいかなくなっちゃいました。それでも、それまで大したことをやってないという気があったせいか、これからのほうが面白くなる、これからのほうが面白くなるで生きてきましたから、切り換えは早かったです。

中村

ちょっと奇妙な組み合わせが、それだけにかえって面白く展開した。人間って、不思議な出会いに支えられていますね。

新宮

そればっかりの人生ですよ。

僕は指揮者

中村

新宮さんがプロデュースなさった舞台(野外演劇「キッピスと仲間たち」)をテレビで拝見し、造形芸術を一人のものでなく、専門外の人を巻き込み楽しいものに作り上げて、しかも、そこにはやはり新宮さんの作品がありメッセージがあることにひかれました。私も生命誌で同じことをしていきたいと考えていますので…・・・・

新宮

キッピスの舞台は僕が書いた絵本がもとなんですが、それを三田という土地で、しかも大勢の市民と一緒に作り上げたのは初めてのことでした。絵を描いていたときは、確かに一人で描いていたんですよ。絵の具だって自分で買いに行けば済むし。ところが立体になったとたんに、どこで売っているんだろうというようなものを使わなきゃならなくなるでしょう。鉄の棒だとか。

中村

芸術なのだから画材屋さん、という発想を抜け出すわけですね。

新宮

そう。イタリアにいたとき、溶接機の使い方がわからなくて、道路にいた職人さんの作業をじっと見ていたら、やり方を教えてくれましたよ。造船所に来て初めて、設計の人に手伝っていただくことになりました。そのうちに、人の力を借りればできることなら、その人が普段していることより少し興味深い仕事を頼めば、いい結果が出ることに気づいたんです。それまでソリストだったのが、オーケストラの指揮者になったような気がしましたね。

中村

それによってご自分からも、今までとは別のものが引き出せたわけですね。

新宮

ええ。たとえ、自分の中にあるものが、手伝ってくださる人のもっているものとぴったり合うかどうかはわからなくても、新鮮さと緊張感からもっとすばらしい音楽が生まれるかもしれない。そういう可能性を楽しんでいるんです。

野外演劇「キッピスと仲間たち」のプロクラム。彫刻「水の木」を水を生み出す木だと勘違いした宇宙人キッピスが、地球で風や水や音に出会う物語。(写真=首藤幹夫)

いちごの輪

中村

絵から立体へ、さらには舞台へと移りながら、一方では絵本も書いていらっしゃいますね。

新宮

この「いちご」がいちばん最初の本なんです。初版からもう20年経ちました。子供のときに親に買ってもらった方が、今度は親として自分の子供に買う、というふうにつながっているんだと思います。今年14版が出ました。

中村

いちごという題なので、当然いちごが出てくると思って本を開く。すると、いちごがなくなるところから始まる。えっ、という感じで引き込まれます。

新宮

もとはといえば、 イサム・ノグチのアトリエで、いちごがお鉢にボンと盛られて出てきたのが始まりでした。その頃僕はノグチさんにすごく憧れていましたから、興奮して、そのいちごからすごく長い小説だって書ける、とか言っちゃったんです。そうしたら、ノグチさんが、面白いこと言うね、あんたは。坊主みたいねって。坊主がよく、路傍の石ころにも世界があるって言う、あれ式ねって言われました。それで、ノグチさんのためにいちごを賛歌した小説か、映画か何かを作ってみせます、と約束したんです。そうこうするうちに、突然絵本になったんですね。

海を越えて感動を呼んだ絵本『いちご』(文化出版局)。

中村

子供のためになどということでなく、 もっともよい表現がたまたま絵本だった。そういう本がもっと欲しいですね。お見せになってどうでした。

新宮

文章は明らかに新宮さんだけど、 絵は誰が描いたのとおっしゃったから、僕、びっくりしましてね。ノグチさん、僕、元絵描きですよと言いましたけどね。

中村

このさまざまな表現法は生命誌にも刺激になります。いろいろな国の言葉で書かれていますが、外国の方の反応もありますか。

新宮

ええ。一度なんかは、 フィンランド人のおばさんから素敵な手紙が届きましてね。ここでは、いちごのことをマンシッカと呼びます。ツブツブのいちごと、また別のもあるから、フィンランドに来たらあなたはもう一冊いちごの本が書けますよって。最近フィンランドで講演をしたときは、そのおばさんがいちごの篭を持って現れました。森へ行ってみたらまだいちごがあったから、あなたのために摘んできたと。

中村

作者冥利ですね。『くも』の本もきれい。

新宮

いろいろ、 いちご友だちだとか、 くも友だちだとかがいるんです。くもはスペース・デザイナーとしては最高だと思います。

消されない偶然

中村

生き物の世界には、 おかしなかたちのものがありますが、それは造形作家の眼から見るといかがですか。

新宮

カンブリア紀の生き物などでしよ。僕、『芸術新潮』に神様の失敗作というので書きました。あの人も、失敗作はできるだけ速く隠してしまったんだなと。

中村

やはり失敗作ですか。生き物を調べていくと、ちょっとした偶然の関与を感じます。ただ、いくら偶然でも、それが残っていくにはそれなりの必然性がある。それぞれの経緯の全体から見て、あまりに突拍子もない偶然は消されてしまい、ある許容範囲に入った偶然は残されて積み重なっていく。そのギリギリ消されないぐらいの偶然の変化が、それまでにない新しいものを作り出すわけです。

新宮

多少の許容範囲があるんですね。シビアだけれども。

中村

風で動く作品にもまさにそれを感じて、 けっして生き物のかたちをしていないけれど、生き物らしさを感じるのです。人工物と人間と自然の関係をうまく保つための一つのキーワードとして「生き物らしさ」があると思うのですが、それは偶然と必然の兼ね合いではないかと思い、そこを知りたいと、飽きずに生き物を調べています(笑)。

新宮

飽きずに生き物でおられることも含めて(笑)。

新宮晋(しんぐう・すすむ)

1937年、大阪府生まれ。東京芸術大学絵画科卒業後、渡伊、留学中に立体作品へ転向する。巡回野外彫刻展「ウインドサーカス」を欧米9カ所で開催。風で動く彫刻作品をサーカスのように各地に設置した。代表作に「光の雨」(JR横浜駅東口ポルタ)、「はてしない空」(関西国際空港旅客ターミナル)など。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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