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RESEARCH

線虫が親から子に伝える「記憶」

宇野 雅晴京都大学

生きものにとって、変化に満ちた環境を生き抜くことは重要だ。
線虫は、親が経験した環境に関する情報を、「記憶」として子孫に伝えていることがわかってきた。

1.常に変化する環境を生きる

地球の環境は46億年の間、常に変化してきた。その中で進化した生きものは、温度や栄養条件などの環境の変化を感じ、好ましくない環境の変化(環境ストレス)から身を守るしくみを備えている。こうした防御に関わる遺伝子群は生きものの種を超えて保存されていることがわかってきており、環境の変化を生き抜くことが、生きものにとっていかに重要だったかを物語っている。私たちは線虫を用い、生きものが環境ストレスに対応するしくみを分子レベルで明らかにしようとしている。

線虫は、高山や砂漠、深海など地球上のあらゆる場所に生息する、さまざまな環境に適応したグループだ。私たちが使っているC. elegansは、モデル動物としてよく使われる体長1㎜程度の線虫で、体は約1000個の細胞からなる(図1)。小さいながらも神経・腸・筋肉・生殖器官などのさまざまな組織を持っており、体が半透明なため体内の細胞が生きたまま観察できる。約1000個の細胞全ての細胞系譜(註1)が明らかになっていることや、卵から成虫になるまでの期間が3日間、寿命が2~3週間と短いことも実験動物としての魅力である。

(図1) 線虫C.elegans

(註1) 細胞系譜

受精卵から体のかたちができるまでの、各細胞の分化の道筋を明らかにしたもの。

2.環境ストレスがもたらす長寿

自然界での線虫は、土や水の中にいるバクテリア等を食べている。私たちがまず着目した環境ストレスは、食餌制限である。特に線虫の寿命と餌の量の関係を調べてきた。

従来、老化と死は生きものにとって避けられないものであり、組織の損傷などによって起こる消極的な過程だと考えられてきた。しかし1980年代、線虫で寿命に関わる遺伝子の存在が次々と明らかになった。生きものの老化や寿命が、積極的に制御された生理現象であることが分かったのである。こうして明らかになった寿命の制御のしくみは、線虫の寿命が環境と強く結びついていることを示していた。特に初期に見つかった遺伝子の多くはエネルギー代謝に関わるものであり、食餌制限が長寿をもたらすという古くからの知見と重なった。1935年、McCayらによって初めて、ラットの食餌制限が寿命を延ばすことが報告されて以来、線虫・酵母・ショウジョウバエ・魚・マウスなどでも同様の報告がなされていたのである。

そこで私たちは、線虫での食餌制限に2通りの方法を試した。一つは、毎日の総摂取カロリー量を50%程度減らす「カロリー制限」、もう一つは、絶食する日と自由に食べる日を2日おきに繰り返す「断続的絶食」である。両者ともに線虫の寿命を延ばす効果があったが、その制御のしくみは異なっていた。絶食を取り入れた後者では、前者にはないいくつかの転写因子(註2)が寿命の制御に関わっており、総摂取カロリー量は両者でほぼ同じなのに、断続的絶食のほうが寿命を延ばす効果は大きかった。餌の量だけではなく食べ方も重要だという結果が得られたのである。

興味深いことに、断続的絶食は線虫の寿命を延ばすだけではなく、熱ストレスや酸化ストレスなど、さまざまな環境ストレスに対する耐性を高めることがわかった。生物が環境ストレスを受けると、ストレス応答に関わる遺伝子群がはたらいてストレス耐性が誘導され、細胞あるいは個体としての生存力が向上する。つまり絶食による寿命の延長は、線虫が環境ストレスに対抗しようとして、生存力を向上させた結果としてもたらされるとも考えられるのだ。

(註2) 転写因子

遺伝子の転写開始や転写調節に関わるタンパク質の総称。。

3.環境ストレスへの耐性が子に伝わる?

絶食の効果が長寿として現れることからわかるように、環境ストレスを受けて一度誘導されたストレス耐性は、個体の中に長期間維持される。これにはどのような意味があるのだろう。次にそれを調べた。

まず、これまで着目してきた絶食という環境ストレスに加え、重金属ストレス(重金属入りの培地で生育)や高塩濃度ストレス(高塩濃度の培地で生育)を与えて線虫の幼虫を生育し、成虫期に個体のストレス耐性を調べた。与える環境ストレスの強さを何段階かに変えてみたところ、幼虫期に比較的軽度の環境ストレスを与えると、成虫になってから酸化ストレスを与えられても高い生存率を示すことがわかった(図2上)。一度環境ストレスを経験したことで得られた耐性を維持しておくことは、後で再び環境ストレスに見舞われた時に迅速に対応できるという利点があることになる。

私たちはさらに、環境ストレスを経験した線虫の子を調べた。すると、自身はストレスを受けたことがないにも関わらず、高いストレス耐性が備わっていたのである(図2下)。また、耐性上昇の度合いは減少するものの、このストレス耐性は孫まで継承されることもわかった。世代を経ると耐性上昇の度合いが減少することから、従来の進化で考えられてきたような、親からのゲノムDNAの配列の変化による不可逆的な遺伝ではないと考えられる。この場合、どのようにしてストレス耐性が子に伝わったのだろう。

(図2) 親が経験によって高めたストレス耐性が子に伝わる

図中の茶色い線虫は、比較対象のための個体を示す:ストレスなしで育った個体(上の茶色い線虫)、または親がストレスなしで育った個体(下の茶色い線虫)。環境ストレスを経験して育った個体は、生涯にわたってストレスに対する耐性が高い(上段)。その子世代では、親が環境ストレスを経験している個体は、幼虫期にストレスを経験しなくても、ストレスへの耐性が高い(下段)。

4.エピジェネティックな情報の継承

実は上のような例は、我々ヒトやその他の哺乳類にも見られることがわかっている。例えば、オランダでは第二次大戦中に多くの人が飢餓に陥ったが、そのとき飢餓を経験した女性の子どもは糖尿病に罹る確率が高いのである(*1)。また、高脂肪食で育てられた雄ラットの娘は、通常食で育っても糖尿病に罹る確率が高くなるなど(*2)、親の経験した環境がDNAの塩基配列の変化を介さず子どもに影響を与える例がいくつか知られている。これらの背景にあるのが、エピジェネティックな情報である。エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列による遺伝学(ジェネティクス)に比した名称で、具体的にはDNAの立体構造や化学修飾など、塩基配列以外の情報を指す。これらは遺伝子のはたらき方を調整する役割をもつ。例えばDNAが巻き付いているヒストンタンパク質にメチル化などの化学修飾が施されると、クロマチン構造(註3)が変化してDNAが緩み、その部分の遺伝子の転写が促進される。塩基配列の情報は個体の誕生後に変わることはないが、エピジェネティックな情報は個体の環境に応じて変化し続け、遺伝子のはたらき方を調節する。本節の冒頭で紹介した例のように、エピジェネティックな情報を介して親の経験した環境が子に影響を与える場合があることも分かってきている(図3)。

(図3) 親から子に伝わるゲノムの情報

線虫の実験では、オス親のみに環境ストレスを与えた場合にも、その子どもにストレス耐性の上昇が見られた。この場合、ストレスの情報は父親のゲノムDNAのエピジェネティックな変化によって伝わったと考えられる。そこで私たちは、クロマチン構造の変化に関わるヒストン修飾酵素に着目した(図4)。これらの酵素は寿命制御にも関わることが知られている。線虫のヒストン修飾酵素の一つとしてWDR-5・ASH-2・SET-2からなる複合体がある。親の線虫の生殖細胞でこの酵素のはたらきを実験的に抑制したところ、子にストレス耐性が伝わらなくなった。親が経験した環境の情報は、エピジェネティックな情報として子に伝わっていると考えてよかろう。

(図4) 線虫の世代を超えた情報伝達にはたらくヒストン修飾酵素

ヒストン修飾酵素によってヒストンタンパク質がトリメチル化されると、クロマチンが凝集した状態(左)から密度の低い状態(右)になり、DNAが緩んでその部分の遺伝子の転写が促進される。

(註3) クロマチン

DNAとヒストンタンパク質の複合体。(図4を参照)

5.組織どうしの情報伝達による記憶の形成

さらなる解析により、私たちはこのストレス耐性の継承が3つのステップからなっていることを見出した。環境ストレスの記憶を“形成”し、“維持”し、それを“実行”するという3段階である。

まず親の個体が環境ストレスを受けると、神経系と腸でストレス応答に関わる遺伝子群(SKN-1、DAF-16、HSF-1)がはたらく。このうち遺伝子SKN-1は、親自身のストレス耐性を誘導するのに対し、DAF-16HSF-1は、神経系や腸から生殖組織のヒストン修飾酵素にシグナルを送る。それを受けたヒストン修飾酵素は、生殖細胞のDNAのヒストンを修飾して環境ストレスの記憶を“形成”する。さらにこの酵素が生殖細胞で継続的にはたらき、子どもの発生・成長期を通してゲノムDNAのエピジェネティックな情報を“維持”する。成長した子どもの生殖組織では修飾を受けたDNAの情報をもとに神経系と腸にシグナルを伝達し、SKN-1をはたらかせる。こうして子は、自身は経験したことのない環境ストレスに対する耐性を“実行”するのである(図5)。

(図5) 組織間の情報伝達による次世代への記憶の伝え方

環境ストレスに全身で対応するためには、異なる組織間でシグナルをやり取りすることが重要だということはすでに知られていたが、今回の私たちの実験は、神経系や腸などの体細胞組織と生殖組織間のシグナル伝達が、ストレスに関する情報を親から子に伝える基盤になっていることを初めて明らかにしたのである。 私たちが用いたのは線虫だが、他の生物でも、親の経験したストレスに関する情報が、世代を超えて伝わることがわかってきている。例えばマウスで、ある匂いと恐怖刺激を連合学習させると、その匂いに対する感受性が上がるのだが、その性質は学習していない子どもにも見られるのである。ここでも、体細胞組織と生殖組織間のシグナル伝達によって、子にエピジェネティックな情報がもたらされているのではないかと考えられる。

6.「記憶」の継承

親が経験したストレスの記憶を子孫に伝えることは、子孫の生存に有利にはたらくだろう。野外の生物は実験室の生物と比較して、より多くの環境変化に曝されているはずであり、それらすべての変化を記憶として次世代以降に伝えることができるのだろうかという疑問は残る。しかし、彼らが劇的な環境変化に耐え、続いていくには、私たちが見出したしくみが一役買っていると考えてよいだろうと思う。

宇野 雅晴(うの・まさはる)

2006年、京都大学理学部卒、2013年、京都大学生命科学研究科博士課程修了。2013年より京都大学生命科学研究科シグナル伝達学にて研究員。環境ストレスと個体の関係について線虫を用いて様々な視点から研究している

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