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RESEARCH

睡眠の進化を語る細胞の発見

林 悠筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構

睡眠欲は食欲や性欲と並ぶ人間の三大欲求とされる。しかし、食欲や性欲と比べ、未だにその役割が明確に示されていない。睡眠にはどんな役割があるのだろう。

1.睡眠は生命に必須である

私たちは人生のおよそ3分の1を眠って過ごす。睡眠不足は健康に悪影響を及ぼすと言われ、何よりも睡魔と戦うときの耐え難い苦痛は誰もが経験するところである。1989年に行なわれた断眠実験によると、睡眠を阻害され続けたラットは、摂食量の増加にも関わらず体重が減った。しかも、毛が抜けて皮膚の損傷が生じ、自律神経系の異常や多臓器不全を経て10日~20日で死んでしまった。この研究から睡眠は生命の維持に必須とわかったのだが、なぜこのような症状に至ったのかは未だ明らかにされていない。睡眠の生理的な役割は生物学上の大きな謎なのである。

2.私たちの睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠から構成される

睡眠には2種類あり、眠りにつくとまずノンレム睡眠があらわれ、次に夢を見るレム睡眠(註)へと移る。この2つの脳の状態は、一晩に4-5 回切り替えられるのだが、そこにはどんな役割があるのだろう(図1)。

(図1)

睡眠中の脳は活動状態が周期的に変化する。

近年、ノンレム睡眠に関しては、成長ホルモンの分泌や、記憶の定着、脳内に蓄積した代謝物の除去などいくつかの役割が明らかとなってきた。一方、レム睡眠の役割は全くわかっておらず、そもそも何の役割もないと考える研究者もいる。しかし、マウスでレム睡眠に入った瞬間に起こすということを続けたところ、次第にレム睡眠に入ろうとする頻度が上った(図2)。失われたレム睡眠を取り返そうとするのである。ここから、レム睡眠に何らかの重要な役割があると考えてよいだろう。

(図2)

レム睡眠を邪魔すればするほどレム睡眠に入ろうとする。レム睡眠に入ったら起こすという「レム断眠」を5時間にわたって続けたところ、次第にレム睡眠に入る頻度が増えた。

レム睡眠の特徴として、脳が急速に発達する出生直後に多く見られ、成長・加齢とともに減少することが知られている。また、レム睡眠は鳥類や哺乳類などの複雑な脳を持つ生きものにだけ見られる。これらを踏まえ、私たちはレム睡眠が、進化の過程において高次な脳機能の形成に関わっているのではないかと考え、研究を始めた。
 

(註) 

1953年、睡眠中に時々素早い眼球運動を伴うフェーズがあることが報告され、急速眼球運動(rapid eye movement)の頭文字をとってレム(REM)睡眠と名づけられた。レム睡眠中は、寝ているにも関わらず大脳皮質が活発に活動することで、夢を生じると考えられている。



3.レムとノンレム睡眠の切り替えを司る神経細胞を探す

これまでに、レム睡眠とノンレム睡眠との切り替えの機構を解き明かそうとする研究が数多くなされてきた。1960年代にネコの脳幹以外の脳部位を大きく破壊しても、覚醒・レム睡眠・ノンレム睡眠のような状態が見られるという実験がなされた。そこで、レムとノンレム睡眠の切り替えを司る領域(SubLDT)はおそらく脳幹にあるだろうと言われてきた。しかし、脳幹はさまざまな機能をもつ神経細胞がはっきりとした領野を形成せずに混在する器官であるうえに、細胞の位置を特定してはたらきを知る技術がなかったために、具体的にどの神経細胞が重要なのかはわからなかった。

近年、マウスの胎児期における神経細胞の細胞系譜が明らかになり、脳幹の神経細胞が胎児期のみに出現する小脳菱脳唇(cerebellar rhombic lip; CRL)に由来することがわかってきた。そこで私たちは、発生過程における細胞の挙動を追い、胎児期のCRLに由来する細胞が成体の脳幹のどの場所に位置しているかを調べた。およそ10ある細胞系譜の中からレム睡眠に関わる系譜を探索したのである。その結果、胎児期にatoh1遺伝子を発現していた細胞の系譜がレム睡眠に関わっていることが明らかになり、この細胞を標識したところ、脳幹の正中線近くに位置する集団と遠くに位置する集団とがあることを発見した(図3)。

(図3) 

atoh1遺伝子を発現していたCRL由来の細胞(赤色)が分裂と移動をくり返し、たどりつく場を見る。

近くに位置する細胞集団を人為的にマウスの脳内で活性化させたところ、レム睡眠がほとんどなくなり、この細胞群がレム睡眠を抑制し、レムからノンレム睡眠への切り替えを促す役割をもつことがわかった。これをきっかけにレム睡眠だけを効果的に阻害できる遺伝子改変マウスをつくることに成功した(図4)。

(図4) 

私たちが同定したレム睡眠を抑制し、レムからノンレム睡眠への切り替えを担う神経細胞群を意図的に活性化させることで、レム睡眠のみを阻害できるようになった。



4.レム睡眠はノンレム睡眠中の徐波を促す

私たちが開発した遺伝子改変マウスを用いて、レム睡眠を一時的に遮断すると、興味深いことに次第にノンレム睡眠の質に変化が現れた(図5上)。ノンレム睡眠の特徴である学習や記憶形成を促す脳波(徐波)の強さが次第に弱まったのである。レム睡眠を元に戻すと、その直後にノンレム睡眠の徐波の強さも元に戻ったので、レム睡眠には徐波を促す作用があると考えられている(図5下)。

(図5上)

自然な睡眠後とレム睡眠を10分および3時間阻害した後の各徐波の強さ。10分の阻害では徐波への影響は見られなかったが、長時間阻害すると徐波の強さが弱くなった。


(図5下) 

睡眠中の徐波の強さを連続して観察した。正常なマウスではレム睡眠後も徐波が周期的に強まるのに対し、レム睡眠を長時間阻害すると徐波の強さが減弱した。レム睡眠を復活させると徐波は回復することがわかった。

反対に、レム睡眠を一過的に増加させる遺伝子改変マウスをつくったところ、このマウスでは徐波が強まった。また、人為的に操作していない自然な睡眠でも、レム睡眠が長いほど、その直後のノンレム睡眠の徐波が強いことが判明した。この一連の研究により、レム睡眠はノンレム睡眠の前にあることによって記憶の定着や脳の発達に貢献する可能性が見えてきた。今後、行動実験を行い、睡眠の質が覚醒時にどう影響するのかを調べる予定である。

5.脳の状態を切り替える細胞の発見から睡眠の進化を考える

一方、正中線の遠くに位置するCRL由来の細胞集団の機能を調べたところ、睡眠を抑制し、睡眠から覚醒への切り替えを促す役割があることがわかった。すなわち、CRLは覚醒と睡眠、レムとノンレムの切り替えに関わる細胞の共通の発生的起源と言え、今回同定した2つの細胞集団はいわば姉妹関係にあるといえる。レムとノンレム睡眠の切り替えは発達した大脳をもつ哺乳類と鳥類でしか今のところ見つかっていないが、硬骨魚類にもこのCRLの細胞は高度に保存されている(図6)。脊椎動物の共通祖先で睡眠と覚醒の切り替えに特化した細胞であったCRLが、進化の過程のどこかでレム・ノンレム睡眠という状態を作り出す神経細胞群も生み出すようになったのかもしれない。現在私たちは、今回発見したレム睡眠からノンレム睡眠への切り替えに関わる神経細胞に加え、ノンレム睡眠からレム睡眠への切り替えを担う神経細胞も特定しつつある。この細胞もやはりCRLに由来する細胞なのではないかと期待しながら研究を進めている。

(図6) 

レム睡眠・ノンレム睡眠は一部の脊椎動物にしかみられない。睡眠の質が、高次の脳形成に関わっているかが、今後明らかになっていくだろう。


 

林 悠(はやし ゆう)

2008年東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程修了。理化学研究所脳科学総合研究センター研究員(糸原重美チーム)、筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 若手フェロー、助教を経て、2016年より同大学准教授。
写真:研究室のメンバーと(筆者:前列中央)


 

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