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TALK

生きもののルールの探し方

長沼 毅広島大学准教授
中村桂子JT生命誌研究館館長

1. ゲノムに入った一回性

中村

長沼さんには1997年の季刊生命誌に深海の生物圏について書いていただきありがとうございます(註1)。かつて生きものは暮らせないと考えられていた極限環境にある面白い生態系に注目し、そこから地球外の生命体にまで関心を広げるという最近のお仕事の展開も興味深いのですが、今日長沼さんにどうしても伺いたいのは生きものに共通するルールについてです。おそらく、先にあげた広がりとルール探しとはつながっていると思いますので。

生命科学から生命誌に移った動機の一つは、生きものの一回性を考えたいという気持ちでした。科学は再現性を求めますが、実は私たちを含めた地球上の生きものは一例であり、一回限りの歴史しかもっていません。この一度きりの歴史を科学としてどう考えるのか。個人が生きる一回の歴史を科学にするのが難しいように、生きものの研究も難しいですね。でも、医療では一例研究というものがあり、一症例が一般解につながることもあるわけです。そのように考えていきたいと思っています。

長沼

大賛成ですね。今の科学は再現性至上主義ですが、本来科学は初めて出会うものにどう向かうかの姿勢を与えてくれるものです。病気ならたった一症例、歴史なら一回しかやってこない我々の歴史にきちんと向かい合うことが大事です。再現性は練習の積み重ねのようなものであって、常にベストの結果を保証するものではない。よく考えると、この宇宙は膨張していますから、昨日と今日で同じ実験をしても背景は異なるわけです。

中村

少し前までは定常宇宙と考えられていましたが、いまやほとんどの方が膨張宇宙と考えていますね。自然は動くもの。再現性を重視した科学は一回性と時間という切り口を切り捨てましたでしょ。研究館を始めた頃にプリコジン(註2)と対談する機会があったのですが、彼は最初は歴史学を志し、より根源的なことを知ろうと物理学を学んだと言っていました。ところが、物理学には時間がない。そこで、時間を入れて考え、散逸構造など「プリコジンの世界」を作ったと話してくださいました。生きものに限らず、自然を見るには時間を入れて考える必要があるということです。生きものは一回性と同時に歴史性、つまり時間の流れの中にいるので、これに注目したいと考えてきました。

長沼

プリコジンはブリュッセル自由大学の学生時代にベルグソンの時間についての本を読んだそうですね。カチ、カチ、カチと進むニュートンの時間が等分割可能なのに対して、ベルグソンの時間は等分割不可能な意識的時間で、生きものを扱う人間にとって非常に重要な感覚だと思います。

中村

ちょっと横道にそれますが、私の腕時計は手巻き時計で、デジタル時計のように針がカチ、カチ、カチと動かず、流れていくので気持ちがよいのです。

長沼

針の動き方が時々早くなったり遅くなったりするとより良いですね(笑)。最近は量子力学はもちろん、脳科学や分子進化学でも離散的という言葉がよく使われるようになりましたが、僕は生きものというのは連続的に少しずつ変化するものと捉えています。

中村

一回性や歴史性に注目する必要性は多くの方が認めてくださいますが、それを科学として展開するにはどうしたらよいか。私が思い切って生命誌を始めたのは、ゲノムという切り口を得たからです。ゲノム全体を見渡すと、遺伝子としてタンパク質の合成やその調整に関わっている遺伝子はほんの数%で、大部分はたらきがよくわかっていませんが、失敗や試行錯誤の記録も含めて保存されている。まさに歴史のアーカイブなのです。

長沼

よくジャンクDNAという言い方がされますが、ゲノムにはジャンクでも無駄でもないところがありますね。

中村

記録として見るとそうですね。ゲノムは選択せずに、自分のところにきたものはすべてためています。ヒトの何十倍ものゲノムサイズのアメーバがいますが、生きていくためにそのゲノムが必要というわけではなく、数億年間続いてきた中で蓄積された情報をとにかくためこんでいる。長沼さんが珍しい生きものを探してくださると、図書館が豊かになりますね。

長沼

アメーバはいわゆる貪食細胞のように何でも食べて、ゲノムをどんどん残していくところが面白いですよね。実際にある図書館で言えば、国立国会図書館の正反対で、大宅壮一文庫のようになんでもある。アメーバに聞いてみたいのは、何でそんなことをするに至ったのかという経緯です。

中村

38億年が入っているのだから、それを解くのはとても大変でしょうが、アーカイブとして面白いですね。

長沼

その中には滅んでしまったほかの生きものたちの記録もあるでしょう。今、データマイニング(註3)といって、膨大なデータベースの中から意味のある情報を掘り起こすことが注目されていますが、もっと深い意味でのマイニングが必要ですね。

中村

役に立つものだけを集めようという流れで、それはそれで意味のある仕事ですが、生きものの歴史を知ろうとしたら、掘り起こすものはその奥にもたくさんあるはずです。長沼さんの極限世界の生きもの探索もその一つですね。

長沼

文字通り掘り起こすで、地面に穴を掘っています(笑)。

註1:生命誌ジャーナル16号

「深海 — もうひとつの地球生物圏」長沼毅
 

註2:プリゴジン【Ilya Prigogine】

(1917-2003) ベルギーの化学者・物理学者。散逸構造理論の研究によって1977年にノーベル化学賞受賞。


註3:データマイニング【data mining】

大量のデータを解析し、その中に潜む項目間の相関関係やパターンなどを探し出す技術。統計学、人工知能等のデータ解析の技法を適用する。miningは検索、採掘の意。

2. 歴史を引き継ぐL-システム

中村

この頃はどんなところを掘ってらっしゃるんですか。

長沼

僕個人の関係では相変わらず陸上ですが、仲間達は深海底、外国の仲間達は南極の氷に穴を掘ってますね。面白いのは南極の厚さ4千メートル近い氷の下に凍っていない湖があって、今度の日本の冬、南極の夏に貫通すると見込まれています。湖の上に氷が乗った年代の見積もりは、1千万年から3千万年と幅がありますが、かなり長い間氷の下にあって、外界とは隔離されているんです。1千万年というと流石に…。

中村

ガラパゴスがあるかもしれない。

長沼

おそらくそうでしょう。そうした湖が南極の氷の下に160個あると言われている。ガラパゴスが160個あるようなものです。

中村

それは楽しみですね。共通祖先から出発したさまざまな生きものを知ることは、歴史を知るということですけれども、一方で生きものの場合、何でもありではないと思うのです。そこには何か約束事があるはずで、そのルールを知りたいのです。しかし、生きものは物理学のように計算式で語ることができない。カエルとイモリの発生のプロセスは同じではないけれど、発生のルールはあると思うのです。そうしたら、長沼さんがL-システムという面白いルールを紹介してらしたので、ぜひお話を伺いたいと思ったのです。

長沼

実は一番苦手なところです(笑)。

中村

その話を「形態の生命誌」というシリーズの中で書いてくださっている。私は生命誌は普通名詞だと思っていますが、みなさんなかなか使ってくださらなくて、生命誌という題をつけてくださったのは初めてだと思います。

長沼

もちろん中村先生の生命誌を意識して書いています。L-システム(註4)には非常にシンプルなルールしかなく、しかもそれは自然数です。リンデンマイヤー(註5)が、ラン藻の一種のネンジュモをモデルに考えたのですが、ネンジュモのようなただの数珠がつながったような形がきちんと数学的になっているというのが驚きですね。

中村

ネンジュモが分裂すると、大きい細胞と小さい細胞になる。小さい細胞が大きく育ち、分裂すると、また小さい細胞と大きい細胞ができる、という単純なルールなのに、きちんと生物の形ができるんですよね。

以前に季刊生命誌に近藤滋さんにチューリングの話を書いていただいてとても面白かったのですが、L-システムにはそれ以上の衝撃がありました。L-システムでは空間的な前提が必要なく、数列だけで形が出来上がる。これは、生きものがもつルールを考える核心をついていると思います。しかもフィボナッチ数列がその中に入ってしまうというのですから。マツカサとかヒマワリの花とか、生きものの世界にはフィボナッチ数列がたくさんありますものね。

長沼

非常にシンプルで、フィボナッチですらこのシステムの前では小さい存在になってしまう。季刊生命誌に体節構造の記事がありましたが、あれもL-システムで説明できるかもしれない。  L-システムとチューリングシステムは生きもののルールの双璧ですね。L-システムは形、構造のルールですが、数が生きものにどのように記憶されて発現しているかはわからない。前々回の対談で津田一郎さんは意識が数を作ると言っていたけれど、ネンジュモが意識して数を作っているとは思えませんし。チューリング・パターンは化学物質の拡散によって模様が生まれるわけですが、やはりどのような力学によって発露するのかはわからない。L-システムに従っていかにも樹木らしい形は作れますが、それはデジタルの表現にすぎませんから、実体化する試みが必要だと思っています。

中村

生命誌ではゲノムを切り口にしています。ゲノムは記録として面白く、しかも塩基配列として解析できる。DNAは分子のふるまいとして理解でき、細胞の中に入れば、ヒトの細胞、ネンジュモの細胞というように、細胞の特徴づけができる。ゲノムは階層を貫くことができます。ですから、ゲノムのはたらき方にルールがあるはずですし、それは形づくりとつながるはずです。

ゲノムには文法があるのではないかと思って、金子邦彦さん(註6)や辻井潤一(註7)さんたちと「ゲノムの文法」の勉強会をやってきました。なかなか答は出ませんが。皆さんにはぜひ考え続けてくださいとお願いしています。

長沼

ゲノムも、ATCGの4種類の文字列における変化のルールがあるだけで、L-システムと同じだと思います。はじめはランダムな並びがあり、あるとき生成文法的に文法が一つできあがると、あとはそれを繰り返していく。細胞内のゲノムはL-システム的な文字列の変換によって遺伝子を発現させていますが、各細胞は隣の細胞と発現の歴史が違うということを記憶していなければいけない。L-システムでは、今の自分の状態が計算過程を表すので、そのまま記録になっている。同じゲノムが別々の細胞に入っても、同じ作用は及ぼせないのは…。

中村

それは歴史が違うから。

長沼

そうですね。今の状態がそのまま歴史だということになる。

中村

そこがとても生命誌らしい。

註4:L-システム

大きい細胞を○、小さい細胞を●で表し、「はじめに○ありき」、「○は分裂して○●になる」、「●は大きくなって○」になるという3つのルールに従ってネンジュモの細胞の並び方を再現する。

例)nは分裂した回数を表す
n=0 ○(この○が分裂して○●になる)
n=1○●(○が○●に、初代●が初代○になる)
n=2 ○●○(初代○がさらに○●になる)
n=3 ○●○○●
n=4 ○●○○●○●○

「考える人」2010年冬号「形態の生命誌第7回」(長沼毅)より引用


註5:アリスティッド・リンデンマイヤー【Aristid Lindenmayer】

(1925-1989) ハンガリーの植物学者。理論物理学者。ネンジュモノ細胞の並び方を記述するために、リンデンマイヤー・システム、略してL‐システムと呼ばれるルールを考案した。


註6:金子邦彦【かねこ・くにひこ】

(1956-) 東京大学教授。専門は、生命基礎論(複雑系)、カオス、非平衡現象論。生命誌ジャーナル40号参照


註7:辻井潤一【つじい・じゅんいち】

(1949-) 情報科学者。東京大学教授。言語処理の研究で機械翻訳やテキストマイニングの新しい手法を開発。生命誌ジャーナル33号参照

3. とにかく続く

中村

今年、クレイグ・ベンターがゲノム合成に成功したこと(註8)は、ゲノム研究の新しい展開ですね。合成したという証拠に配列にちょこちょこっと名前やメールアドレスを入れて。そういう遊びがなんとも言えず気に入っています。

長沼

ゲノムを文字列と思っている証拠ですよ。

中村

入っているのはベンターの歴史ですね。それでも動いたのですから、このゲノムの中に動かせるルールがあるはずです。

長沼

それを探るには、現存の生きものの多様なゲノムを網羅的に調べる方法と、ランダムに合成したゲノムの中からうまくいった条件を抜き出す方法があります。後者がベンターの仕事で、人工知能でパラメータを変えながら生き残るパターンを調べることと同じ発想ですね。池上高志さん(註9)がコンピュータ上で生命のようなものを作り、増殖させると、一番生命っぽいものは途中で死んでしまったそうです。

ベンターの仕事は僕も好きで、文字列を変えるとアウトプットとして出てくるデザインも変わってくるということが一番わかりやすい。L-システムも同じです。最初の文字列とルールが少しでも変われば、最後の形も変わってくる。生物はそうしたルールは知らなくても形を作ることができるわけで、どうやって具現化しているんだろう。

中村

大野乾(註10)さんが、生きものは「一創造、百盗作」とおっしゃいましたが、地球上に最初の生命体が生まれるまでには、さまざまな化学反応の試行錯誤があって、その中にとにかく最初の一創造があった。そこでたまたま生まれた生きものを祖先として、私たちヒトを含めた今地球上の生きものがいるわけですが、始まりが違っていれば、今とは違うかたちになったかもしれない。  

ゲノムという言葉はよく使われるようになりましたが、実際はゲノムの中の遺伝子の部分しか注目されていないのが気になります。がんや糖尿病の遺伝子に注目するのはわかりますが、病気になる人とならない人とでゲノムとしてのはたらきの違いがあるのかという見方も必要でしょう。ベンターの合成ゲノムから、ゲノムに最低限必要なものを探り、ゲノムのもつルールを見出すことができるかもしれません。

長沼

それができて、はじめて細胞質の重要性もわかるでしょうね。さきほどカエルとイモリの発生の違いに触れられましたが、それはゲノムやDNAのイベントではなく、受精卵環境の違いによるところが大きいと思う。受精卵環境は母親のさらに母親に依存するわけで、ゲノムという文字列がどのようにL-システム的に発現するかは歴史に規定された細胞質という環境によるわけです。まさにカエルはカエルの、イモリはイモリの歴史を引き継ぐしかない。仮にカエルとイモリの受精卵に同じゲノムを入れても違ったふうに発現すると思います。

中村

ゲノムというアーカイブから情報を引き出すのは、さまざまなタンパク質かRNAという細胞質ではたらいているものですからね。生きものの基本は続くこと、38億年間絶えずに続いてきたことを支えるルールですね。地球は生きものにとって決して生易しい場所でない。その中で38億年続いてきたことに意味があると思います。

長沼

僕もそう思います。ゲーテは身にまとっているものが生きものを規定すると述べています。鋭い爪と牙をもつネコ科の動物なら獲物を襲って咬み殺す。人間のようにものを掴むことも、ナマケモノのように木にぶら下がることも出来ない。もって生まれた表現型でなんとか生き延びようとする。これは大腸菌から我々ヒトを含めて、38億年の長きにわたって続けてきた生きものの本質の一つだと思います。

中村

そうですね。上手にやろうとかではなくて、生き延びようとしているのが生きもので、その観点で見たら大成功ですよね。生きものにはとてもいい加減なところがある一方で、これだけ続いてきたシステムを支えるルールがあるはずです。

長沼

ある状況ではカオティックに見えても、ハーモナイズされている。これを考えるには、メタな世界観をどうもつかが重要です。L-システムなら、メタな世界は細胞質という環境に落とし込むことができるでしょう。ただ、もう少し大きくライフとか、38億年生き残ったライフに対するメタな話って何だろうか。

中村

それは生命とは何かを考えることですよね。

長沼

ええ。L-システムは基本的に生成変化しますが、生成変化に時間という要因を加えて、一定のリズムではなく、伸び縮みしてもよいというのが津田さんの世界観だと思います。L-システムは一次元というか、線状に書いていますが、ぽつねんと一個だけある円が白くなったり黒くなったり、大きくなったり小さくなったりするイメージです。あの対談、何回読んでもよくわからなかったんですけど、しこたま酒を飲んだ翌朝、濁りきった頭で津田さんの言いたいことはこれだと思った(笑)。もしかしたらL-システムでカオスが使えるかもしれないと僕は思っている。

中村

そうしたら面白いですね。

長沼

あとは生命ですから、自律的にエネルギーを求めてさまようので、津田さんが数学モデルを、池上さんが化学的なモデル作って、我々生物屋がもう少し代謝の部分を掘り下げていけば、ひょっとしたら人工生命が作れるかもしれない。

註8:クレイグ・ベンターがゲノム合成に成功

2010年5月、米国J・クレイグ・ベンター研究所は、真正細菌であるマイコプラズマのゲノムを人工的に化学合成し、近縁種の細菌のゲノムと入れ替えて、はたらかせることに成功した。


註9:池上高志【いけがみ・たかし】

(1961-) 東京大学教授。専門は複雑系・システム論。コンピュータ・シミュレーションをもとにした生命システムの理解を目指す。人工生命分野の第一人者。


註10:大野乾【おおの・すすむ】

(1928-2000) 生物学者。遺伝子重複説」や「X染色体上の遺伝子保存則(大野の法則)」を提唱。

4. only oneかone of themか

長沼

今はアストロバイオロジーをやっていますが、一番面白いのは、今あるたった一例の生命をとことん考えた上でメタな世界にどこまで入れるかというチャレンジなんです。中村先生が訳されたフランシス・クリックの『生命—この宇宙なるもの』(註11)の後書きで、「これは知的遊戯じゃなかろうか」と書いておられますが、遊戯でもよいと思っています。

中村

翻訳している頃は、今のように放射線や極端な気温に耐久性のある生きものが発見されていなかったこともあり、クリックは地球外から生命体がやってきたかどうかを問題にしているのではなく、そう考えても矛盾はないと考えたのだと思います。知的な遊戯なのではないかというのはそういう意味です。今は技術の発達によってデータの量は増えましたけれど、それを生かして、それが本当にあり得るかと考えるような環境はできていませんね。

長沼

クリックもメタな世界を遊んだわけですね。20世紀以前の方がまだ考えていた。ダーウィンが進化論を出したのと相前後してパスツールは白鳥の首のフラスコの実験で自然発生説を否定した。

中村

自然発生説をめぐって議論していたからこその発見ですね。今は議論が少なくなっているのが気になります。

長沼

19世紀には生気論と機械論の鋭い対立があり、機械論が勝利した。20世紀にはDNA、遺伝子が議論の中心になりましたが、みなそれを情報論と言うけれど、僕は姿を変えた生気論だと思っている。シンセティックバイオロジーや構造生物学という言葉は、情報論と機械論がうまく融合しているように見えるけど、両者は根本的に対立するものでしょう。ゲノムがどう読まれ、はたらくのかを語ろうとすると生気論になりがちです。

中村

情報という言葉を入れれば科学らしい響きはありますが、実は情報が何なのかはよくわからず、生気論に代わる言葉として使われているのかもしれません。

長沼

一番意味のない情報は、明日の天気は晴れ50%、雨50%。そこから1%でもどちらかに傾いたら情報として成立します。想像できませんが、完全にランダムな状態というのが最も意味がなく、そこからずれていくと徐々に意味をもち始める。

中村

大野さんの言葉を使えば一創造の時にそれが起て、ランダムな中からある意味をもつ最低限のものができあがったわけです。ここではたらくルールは何か。ここが一番の問いだと思います。

長沼

そこがゲノムの始まりだと思います。ゲノムは削除されなかった記録の集合体です。遺伝子をさまざまな生きもので比較し、最大公約数を出そうという動きがありますね。地球生命の最大公約数は共通祖先につながると思いますが、それがonly one なのか one of themなのか。

中村

たった一個のルールしか生まれなかったとは考えにくいですね。一つが残ったから、今生きている生きものはみな同じシステムをもっているけれど、違う可能性もあったと思います。

長沼

その通り。地球生命にこだわっていてはonly oneかone of themかはわからない。メタな世界において考えたいんですよ。ベンター達が作ったものは、one of themと言える装置です。

中村

そこから別のルールが出てくるかもしれない。

長沼

ベンターたちは賢いことやってるけども、僕らみたいな肉体派は辺境の地に行ってそれを探す。中村先生がまだお元気なうちに地球上で別系統を発見できるかもしれない。

中村

お元気なうちになんて(笑)。

長沼

具体的にはアミノ酸のキラリティ(註12)が逆のものを探しています。10年くらいやっていて、あと何年できるかわからないけれど、元気なうちは探したいと思っています。

中村

地球の外なら逆のものがいるかもしれないと思いますが、地球上でそれを探す、その根拠はなんですか。

長沼

地球上での生命の発生が一回きりとは思えないのです。地球の表層は我々の系で完全に埋め尽くされているけれど、表層でなく深いところ、たとえば南極の氷の下には、他系統が埋もれているかもしれない。

中村

なるほど。今私たちが日常的に見ている系とは別の系統がいるかもしれない、キラリティ、具体的にはD体アミノ酸を用いている生きものがいるかもしれないというわけですね。

長沼

それが一番簡単ですね。証明としては。多分宇宙生命の発見に匹敵すると思う。今我々がもっているキラリティが必然か偶然かという問題もありますから、逆を発見したら答になります。

中村

一例で見ているわけではなくなりますからね。しかも生命の創出は1回ではないという証明になります。そういう意味では面白いと思います。でも、できるのかしら(笑)。

長沼

当然ドクター論文のテーマにはならない。でも、試薬の金がかかる以外にはたいした手間がかからないので、僕みたいな人が10年、20年とこつこつやっている。細胞の遊離アミノ酸とタンパク質を加水分解してアミノ酸にしたものを合わせて見ると、これまでの最高記録でD体とL体の比率が50対50まで行ったんですよ。これこそまさに意味がないんです(笑)。

中村

あはは。先ほどの天気予報と同じですね。

長沼

まあ、常識的なL体オンリーの0対100よりは面白いよなと。さっきの50対50の場合は、D体のアミノ酸は代謝に使われないので、浸透圧調整のために単体の遊離アミノ酸として細胞質中に漂っているわけで、そんなことでは面白くないのです。本当に面白そうなのは、最近、タンパク質の一部にD体が入ったのが見つかったこと。これはセントラル・ドグマへの挑戦になるのでちょっと面白いなと。セントラル・ドグマはL体しか規定しませんから。ドグマの裂け目って面白い。

中村

ドグマの裂け目(笑)。キラリティで攻めていくわけですね。

長沼

半端なことやっても証明が大変ですから。

中村

違う系があったとしても炭素化合物であることは間違いないでしょうし、D体アミノ酸に眼をつけるというのはまっとうかもしれません。でも、自分がやるかと言われるとちょっと。

長沼

そりゃあそうですよ。まともな人間は絶対にしない。正気とマッドの境目というのがあるんですよ(笑)。

註11:『生命—この宇宙なるもの』

フランシス・クリック著 中村桂子訳 1989著
 

註12:キラリティ

光学異性体。アミノ酸には「L体(左手型)」と「D体(右手型)」が存在し、分子を作る成分は同じだが、生化学的な性質が異なる。現在知られている生物がタンパク質を作るのに用いる20種類のアミノ酸のうち、光学異性のないグリシンを除く19種類はいずれも左手型。

5. もうひとつの太陽系

中村

生きものの歴史の中でエポックメイキングな出来事はたくさんありますが、この2、3年私が注目しているのが上陸です。研究館ではゲノムから昆虫の進化を読み解いていますが、筑波大学の町田さんは発生様式の観察から、胚膜の作り方の変化が進化の過程にみごとに対応していることを明らかにするという仕事をあわせると、上陸の様子が見えてきたのです。胚膜のような体作りの重要な部分はそう簡単に変わるわけはなく、環境との関わりの中でみごとに適応したと考えられます。住み慣れた水を離れて陸へ上がったことでどのような変化が起きたのかを探ると面白いと思っています。

長沼

"Hypersea"(超海)という本(註13)は、陸に上がるということは自分の内部に海を抱え込むことと書いています。海の中にはたくさんの生きものがいるように、たとえば一匹の昆虫の体の中にはバクテリアに至るまで無数の階層構造がある。

中村

生きもの自身が海になって陸に上がったとういことですね。最初に岩ばかりの陸に上がったのは植物で、植物がこの地球の大地を作ったといえます。最初は苔のようなもの、さらに羊歯のようなものでしたが、日光を求めて上へ上へと伸びて樹木になります。重力に逆らって水を上げるシステムなどみごとで、上陸の工夫は興味深いです。

長沼

植物の構造を支えるセルロースは水中では不要な存在ですが、それを発達させることで新しい環境に適応した。木は偉大ですよね。根っこを広げて土の中にグングン入れて、土の表層に酸化、風化をうんと促して、大地がどんどん広がっていった。地球って、下手すると陸のない水惑星の可能性があったんですよ。そうすると我々も存在しなかった。

中村

大陸が出来ても、知らん顔して居心地のよい海の中にいてもいいのに、なぜ危険を冒して陸に上ったのかしら。

長沼

植物は太陽光を受けようとして、動物はそれを追ったわけですね。生きものが陸に上がった瞬間に天文学が始まった。人間は天体の運行を見てはじめてこの宇宙を理解しようとしたのでしょう。

中村

陸に上がってはじめて星が見えたのですね。科学でも身近な自然を理解することは難しいですよね。学校で習う物理は摩擦がゼロですが、実際にそのような場所はなく、ボールが一つ転がるという運動を理解するのものとても難しい。しかし、天体はきちんと法則に従って動いている。

長沼

僕は実を言うと太陽系に生まれたことを悔やんでいる。太陽系に生まれたから僕はこんなに頭が悪いんだと思っている。

中村

あら、どうして?

長沼

太陽系の全質量の99パーセントは太陽です。それ以外のものはないに等しいから、ほぼすべてのことが、太陽と木星、太陽と地球というように、太陽との関係で二体問題として語られてしまう。たとえば木星と太陽がほぼ同じ質量なら三体問題になります。

中村

三体問題は解けませんね。

長沼

解けないのは我々の頭が悪いのであって、もともとそういう太陽系に生まれていれば解けるかもしれない(笑)。ニュートンの罪は二体問題で近似してうまく説明したことですね。プリコジンや複雑系は三体問題を解こうとする流れですね。今とは少し違う、双子の太陽があるような連星系の太陽系に生まれていればよかったなと。

註13:"Hypersea: Life on Land"

1996年 Mark A. S. McMenamin/Dianna L. McMenami

6. 夢を編む

中村

今年のテーマは「編む」です。お話を伺っていて、極限環境が地球外の生命体を考えるだけでなく、太陽系のありようまで考え、そこにルールを探すという今日の話はいかにも物語を編んでいる感じがして楽しかったです。

長沼

「編む」と聞いて編集を思い浮かべましたが、編み物というイメージもありますね。橋本治さん(註14)は編み物の本が爆発的に売れましたが、彼は全体像がちゃんと見えているから本業の文学でも源氏物語を現代風にアレンジできる。編み物は全体像が見えなくてはだめで、僕らみたいな還元主義者や積み上げ主義者は苦手なので、あえて話題を避けていたのですが。

中村

積み上げ主義と全体を捉えることとは両立すると思いますよ。私は編み物が得意なのですが、作業中は全体像を考えず、一針一針に集中しています。何十万針も編むわけですから。

長沼

草むしりみたいなもんですね。僕は草むしりはできるけど、編み物だけはできないですね。粛々淡々たる営みというのが生命っぽい。あれは偉大なる人間の営みだと思っていますけどね。

中村

編み物は一次元が二次元になったり三次元になったりしますでしょ。ただの紐が形を作っていく。それが面白い。しかも編む作業は積み上げだけれど、頭の中には全体像があるのですよ。

長沼

なるほど。L-システムは文字列なので基本的には一次元ですが、物質になると分子間の作用で勝手に二次元構造、三次元構造になっていきます。編み物の場合はまた違う回路で二次元、三次元になりますね。

中村

デザインですね。その時は、ちょっと神様の視点になるのかもしれません。ところで、この後南極に行かれるそうですね。

長沼

ええ。僕が行くのは沿岸部ですけど、氷の下の湖めがけて穴を掘っているのはマイナス89度、地球上で一番低い温度を記録したところです。でも、氷の底はもっと暖かく、マイナス20度か15度とか、意外と冷たくないこともある。フリーザーですから、さまざまな微生物が保存されていると思います。

中村

ちょっと厳しいフリーザーですね。

長沼

僕はやったことないけど、そうした作業をする人たちは自分の側から汚染しないように防護服を着ていくこともあるそうです。SFのような話ですが、氷が貫通した後はあちらからくるものを恐れていて。

中村

とんでもない物が出てくるかもしれないのね。

長沼

むしろ会いたいくらいですね。よくあるんですよ、ウイルスとか病原菌とか。

中村

昔はアンドロメダでしたけど。

長沼

『アンドロメダ病原体』ですね、マイケル・クライトンの最初のヒット作。でも、声高にそれを言った科学者はイギリスの天文学者のフレッド・ホイル。彼もパンスペルミア(註15)を主張していた。ケルビン卿も英国の科学協会の演説でパンスヘルミアを信じていると述べています。先日、自然科学研究機構のシンポジウムで機構長の佐藤勝彦さん(註16)が「私たち理論物理学者は考えることは何でもやる」とおっしゃった。それも知的な遊戯だと思います。考えることにもメタなルールがあって、本質的には同じところへ収斂していくからこそ、考え得ることは何でも考えて良いわけですね。

中村

佐藤さんは宇宙について何を考えてもいいし、モデルを作って新しいことを考えるわけですが、生物学者が「このチョウはハネが2枚です」と言っては生物学としては成り立たない。現実の生きものを無視してモデルを作るわけにはいかないところが制限であり、また面白いところだと思います。

長沼

ゲーテは理念上のチョウやいわゆる原型を作りましたね。本来bioはギリシャ語のbios、つまり「生命」を意味するので、biologyの直訳は「生命学」です。ところが、日本語では「生物学」、「物」という字が入っているのが素晴らしい。妄想しそうな人たちを現実の世界に引き戻すことができる(笑)。

中村

あはは。そこが生物学の制約ですね。ところで、長沼さんの今一番の目標はなんですか。

長沼

一つは逆キラリティの生きものを見つけて、これまで知られていた系統と違う系統の生きものに出会いたい。宇宙から隕石が降ってきて、その隕石中に生きものがいたっていい。今は一回性、つまりn=1なので、これをn=2にしたい。現実は科研費などのお金がとれそうな研究テーマにしなければならないのですが(笑)。

中村

n=2を求める気持ちは科学者としてはよくわかります。でも生命誌を考える私は1でも充分という感じ(笑)。

長沼

確かにね、1の中にすべきことが無数にある。もう一つの目標は、エントロピーの変化をきちんと測りたい。この宇宙になぜ生命が存在するかということの秘密を探っているのですが、生命があった方がエントロピーが早く増大するという仮説を立てていて、それを科学として実証したいのです。エントロピーは物理学で定義されているにも関わらず、どう測ればいいのか真面目に議論されていないのです。具体的には絶対温度と熱量を測ればいいのですが、測定問題と同じで、温度計を当てて触れた瞬間に温度、熱量が変わってしまう。

仮に地球に生命がいなければ、生命のいる地球とはエントロピーの増大の仕方が変わってくるはずです。宇宙もそうで、生きものがいることでエントロピーがどう変化するのか知りたいですね。

中村

それは地球に生きものがいることが影響しているということですね。

長沼

そう考えています。地球は非平衡開放系ですから、そこに生きものというエントロピーの低い部分があれば、それは全体にも影響があるはず。プリコジンの六角形がある状態とない状態では、下から加熱したときに熱の逃げ方が違います。この六角形の散逸構造を生命と呼んだら…。

中村

なるほど。生命は散逸構造ですからね。

長沼

地球のマントル対流も実は散逸構造で、地球にはあちこちに散逸構造があります。散逸構造があった方がエントロピーはさっさと増大し、熱はすばやく逃げるんです。生きている細胞と死んでいる細胞とで実験系を組んで、生命が宇宙の破壊者であることを証明したい。

中村

エントロピーを増大させて、早く宇宙を壊しているという訳ね。

長沼

岡本太郎の「芸術は爆発だ」というのを越えて「生命は破壊だ」と叫ぶ、それが夢です。

註14:橋本治【はしもと・おさむ】

(1948-) 小説家、随筆家。古典文学の現代語訳に取り組む。


註15:パンスぺルミア【Pansperumia】

生命は宇宙からもたらされたと考える説。「いたるところに種を蒔く」の意。


註16:佐藤勝彦【さとう・かつひこ】

(1945-) 東京大学教授。宇宙物理学。インフレーション理論の提唱者。 生命誌ジャーナル53号「理論と観測が明かす宇宙生成」参照

今回対談を行ったのは、広島大学の近くで、長沼さんに用意していただいた酒都西条の賀茂酒造内「酒泉館」です。醸造学校を改装したゆったりとした店内で、楽しい語り合いの時間をすごしました。

生命の本質は一回性

中村桂子

○○学の専門家。ある年齢になるとそういう看板を立てなければならなくなる。でも私は生きているという現象が面白く、それを知りたいだけなのだ。たまたま代謝やDNAが表舞台に登場し、その切り口で考えるのが面白い時代だったのでそこで考えてきたけれど、他にもたくさん切り口はある。長沼さんには、そのような自由な発想を感じ関心を持ち続けてきた。自由は何でもありではない。良質な知を構成するためにあらゆることを考えるということである。そこから生れるお話は楽しく、これからもいろいろ教えてもらえそうで楽しみが一つふえた。

長沼 毅

中村桂子先生と対談するんだと学生にいったら、『細胞の分子生物学』を訳した方ですねと返ってきた。名著を名訳で読めることの幸せを、学生はわかっていたのだ。フランシス・クリックの『生命-この宇宙なるもの』も僕の聖典である。これを訳された中村先生と対談できるとは幸せだ。対談も弾んできたころ、中村先生がずっとお使いの腕時計を指して「これは手巻きなの、秒針がカチカチ動くんじゃなくて、滑らかに進んでいくの」とおっしゃった。窓から射す陽光で腕時計が輝いた、その瞬間が永遠の断片のように思えた。これこそ、外部時間(ニュートン時間)に対する内部時間(ベルクソン時間)、生命の本質である。そして、あの瞬間はもう二度とない。一回性もまた生命の本質である。幸福感に包まれた対談の時間は一期一会、まさに生命の発露であった。

長沼 毅 ながぬま・たけし

1961年生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。理学博士。94年より広島大学大学院生物圏科学研究科助教授、現在准教授。専門は生物海洋学、微生物生態学。砂漠、南極、火山、地底など極限環境に生きる生物を探して地球中を駆けめぐる。著書に『深海生物学への招待』『宇宙がよろこぶ生命論』ほか多数。

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