TALK
理解と価値をつなぐ
1. 体系化された多様さ
中村
『生命誌』では年ごとにテーマを置いています。昨年は「愛づる」で、さまざまな分野の先生方と語り合い多くを学びました。今年のテーマは「語る」。「生命誌」を応援してくださって、宇宙研究も「宇宙誌」(関連記事:生命誌通巻18号「宇宙誌-Cosmohistory:小平桂一」)であるとおっしゃっている小平さんとまず語りたいと思って。
小平
かたる・・・ですか。
中村
かたるって、だます「騙る」じゃなくて。
小平
そういうことは思いもつかなかった(笑)。
中村
これまでの科学は、量や数値で表現できた時、理解したと言いますでしょ。科学は歴史的に見ても基本は物理学ですから、ニュートン(註1)の 万有引力(註2)の法則を典型として、宇宙の中、どこでも通用する普遍性を探るものとされてきました。確かに私たちには、普遍を探り本質を知りたいという気持は強いわけですけれど、素直に自然を見るとアリもゾウもいるわけで、多様であり、生物を知ろうとしたらそれに眼を向けなければならないでしょう。天文学も、お星様を一つひとつ見れば同じように多様性もあるだろうと思うのですが、ただモデル化して数値と法則で理解を進めてきましたでしょ。
小平
いってしまえば次元の低いことを(笑)、そこならやれるから、やっているようなところもあります。
中村
お星様なら、モデル化して、数と法則でみんな納得するけれど、チョウとアリと比べる時、面倒だからとチョウの翅を取ってしまえば二つはより似てくるけれどそれでは意味がなく、やはり翅のあるものとないものと分けて見ていく。生物学は長い間博物学としてあり、なんとか物理学のような科学になりたいと思ってきました。DNAを基本にするようになってやっと科学になれたという喜びがあります。その一つの現われがモデル生物です。最初は大腸菌。これを研究すればゾウまで理解できると考えた時代もありました。もちろん、それは極端で多細胞生物の体をつくる発生にしても脳の研究も大腸菌ではできません。しかし、その後もモデルという考え方にならって、酵母やショウジョウバエなどモデルを選びました。でもやっぱりモデルでは語れない多様性があることがわかってきています。物理学との違いが何かということをきちんと考えていかなければならない時に来ているのです。
小平
DNAは確かにすばらしい切り口だけれど、その機能から個体に至る過程を積み上げて理解していけるとお思いですか。物理学でも今は、カオス(註3)などある程度以上に複雑な系は閉じた系として扱えず、むしろ外との相互作用によって最も適切な系に移ると考えられてるでしょ。生命は、まさにこのある程度以上に複雑で、しかも柔らかい構造体だから、常に変化の途中にある本質的に外に開いた系ですよね。だからそういう系の扱い方を考える必要があるのでしょうね。
中村
おっしゃる通りで、生物がそのような系であるだけでなく自然界は全部そうではないかと思っています。これまでは生物に物理学の方法を当てはめて理解しようとしてきたけれど、これからは生物の理解のしかたをもっと広げて、本当の自然を見る「知」をつくっていくことが大事だと思っています。21世紀は生命科学の時代と言う方は、生物を物理科学の世界へもっていこうとしているのですが、私は、生物の見方の方を基本にするので「生命誌」になるのです。宇宙も生物と同じように変わりゆくものと捉えられるのではないでしょうか。
小平
人文学の専門家に「人文学と天文学は似ている」とよく言うのです。人文学という字を書いて、「人」に、お箸を二本置くと天文学ですよ(笑)。人文学は人の世のあやを極める。天文学は天のあやを極める。天文学も根っこは多様性を基本にした博物学からの出発です。
中村
ガリレオ(註4)もニュートンも天体観測から始まっており、自然科学はすべてがそこからですね。
小平
天文学はその後、物理学に還元できる部分があると天体物理学になった。天文学と数学の時代から天文学と物理学へ、ここ半世紀は天文学と化学に、現在は天文学と生命科学という分野も出てきて、再びある種多様性への回帰に入りつつある気がします。
中村
多様性から自然界を見る時に、また博物学へ戻るのではないというところを大事にしたいのです。このままいくと普遍性を追うのはDNAなどミクロの生物学、多様性はマクロの博物学となり、ミクロの生物学の問題点はそのまま残ってしまいます。ところで、ゲノムは共通性の権化であるDNA研究から現われましたが、一方で多様性の権化。生きものはみな違うゲノムをもっているのですから。ゲノムを切り口にすれば、ずっと続いてきた生きもののもつ共通の基本を見つつ、同時に個々の多様さも見られる。共通と多様をつなぐ実体を手中にしたのはとても幸いなことで、これを生かすことが大切だと思うのです。
小平
中村さんに一度伺いたかったのは、まさにそのゲノムのはたらき方です。生物はジェノタイプ(遺伝型)に基づいてフェノタイプ(表現型)が展開していきますね。たとえば発生で、一個の細胞から複雑な構造体になる時、あらかじめ内蔵した情報があり、情報に基づいた外との相互作用もありという形で変化していくわけですが、他のさまざまな系でも発展的に移る過程という点では同じでしょう。
中村
そうだと思います。
小平
ところが、これが物理でいう閉じた系ならばある時間で一様化してしまうのに、生命という系はエントロピー(註5)を減少させる力が大きく、常に個性ある状態にいき着く。いき着いたところでの開放系のエントロピーを自ずから維持できているからこそ多様性が出ている。この多様性は、かつての博物学的な多様さとは違う、ある種の「体系化された多様さ」と言えると思うのですが、これは当たっていますか。
中村
まさにおっしゃる通りです。
(註1)ニュートン【Isaac Newton】 (1642~1727)
イギリスの物理学者・天文学者・数学者。力学体系を建設し、万有引力の原理を導入した。また、微積分法を発明し、光のスペクトル分析などの実績がある。1687年「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」を著す。近代科学の建設者。
(註2)万有引力 【universal graviation】
質量を有するすべての物体間に作用する引力。二つの物体の間に働く万有引力は、両物体の質量の積に比例し、距離の平方に逆比例する。ニュートンが導入し、これによって天体の運行を説明した。
(註3)カオス【chaos】
初期条件によって以後の運動が一意に定まる系においても、初期条件のわずかな差が長時間後に大きな違いを生じ、実際上結果が予測できない現象。流体の運動や生態系の変動などに見られる。
(註4)ガリレオ【Galileo Galilei】 (1564~1642)
イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。近代科学の父。力学上の諸法則の発見、太陽黒点の発見、望遠鏡による天体の研究など、功績が多い。アリストテレスの自然哲学を否定し、分析と統合との経験的・実証的方法を用いる近代科学の方法論の端緒を開く。
(註5)エントロピー【entropy】
クラウジスが命名した熱力学上の概念。熱平衡にある系で、準静的に加えられた熱量をその系の絶対温度で割った値をエントロピーの増加分と定義する。可逆変化ならばエントロピーは一定、不可逆変化では必ず増大する(熱力学第二法則)。統計力学的意味づけはボルツマンによって与えられ、エントロピーが大きい状態は乱雑さの度合いが大きいことを示す。拡張されて情報理論などでも用いられる。
2. 多様さを扱う方法論
小平
制御できない多様さを盲目的に記述する百科全書の時代、植物の分類学など多様なものを系統立てて整理した時代。それは覚えやすく、次世代に伝えやすくするための整理の対象でしかなかったような気がするんです。現在、多様さに対する価値観はまったく違う。特に生物学で際立っていますが、多様であることはよいこと、多様さは力なんだという積極的な捉え方があるでしょう。学問が進展する方向と時代の価値観とのつながりを意識することは大切です。昔は、多様であることは否定的に評価された。
中村
なるほど。それはとても重要な指摘ですね。人間の気持の中に整理したい、まとめたい、その方がわかりやすいという気持がありますね。物理学を基本とした科学はその方向がとても強かったし、社会の価値観も一つの方向へとなっていましたね。文明国があり、すべての国を啓発しその文明にもっていこうと。
小平
simple is beautiful and better だと。
中村
それが科学の考え方で、科学はシンプルなものを扱う方法論はとても進歩させてきました。でも生きものは本来多様に意味があるのだし、小平さんおっしゃったように文化や文明も多様に価値を認める方向に来ていますから、多様に意味をもたせる「知」を考えるべきなんですよね。ここで「誌」になると思っているのですけれど。
小平
「科学」という日本語は、変な言葉でしょう。欧米でいうサイエンスは、ラテン語の「知る(scientia)」という語源が示すように日本の「科学」とはだいぶ違う。僕の解釈は、「科学」とは科目化できる学問を指す。中には科目化がゆるい人文学などの学問もあるが「科目化」とは、次世代への伝承を目的に集積した知識を体系化すること。科目化により科学技術が育てば軍事・医療・経済と国家経営の役に立つ。産業革命以降の近代国家は科目化をさらに戦略化し、大学や研究所に科学を伝えるという科目を作ってきた。
中村
どんどん細かくしていって。
小平
社会の中に、意図がそっと埋め込まれるという流れで来ている。サイエンスを科目化するにはシンプルな共通法則があったほうが扱いやすい。また科目化され限定された学問は、知識としての貯蔵もしやすく、学生にも教えやすい。特に19世紀から20世紀の日本はそれでずっとやって来てしまった。
中村
本当にそうですね。
小平
ところが地球環境の問題などは、国家戦略として進めなければならない複雑な課題で一つの方法論だけでは解けない。シンプルをよしとする価値観では、今の時代の大きな問題に真正面から向かうことができない。
中村
その通りです。ただ今気になっているのは、そこで古い科目を捨ててその代わりに環境学科、人間学科などを作っていること。古い科目の方は方法論が確立しているのでまだよいけれど、環境学科となったら方法論はないわけで、そこへ古い科学の方法論をもち込んで答えを出そうとしても無理でしょう。基本から考え直し、それを扱う方法論を考えるところから始めなければならないのに。
3. 「語る」:数式で書けない法則性を
中村
それで「語る」というところに戻るのです。先ほど、ゲノムは大切だと言いました。ただ、科学の中で考えると遺伝子が基本要素でゲノムはその集まりにすぎないのです。遺伝子と特定の生命現象の関係を理解しようとする一番単純な理解は1遺伝子:1現象という形。ある現象があるならば対応する遺伝子を探していけば、愛の遺伝子から何まで探せるみたいに・・・。
小平
よくそういう話聞きますよ(笑)
中村
そうではないことはわかってきました。1つの遺伝子は多くの現象と関わりあい、1つの現象には100も1000もの遺伝子が関わっている。いろいろな現象を遺伝子との関わりで明らかにしつつある中、免疫についても、神経系についても理解は進んでいます。そこで免疫学の教科書には、かなり複雑なことが解明されてきたという事実が書かれていますがそこに、法則や式はありません。
小平
確かに、そこは物理学と違いますね。
中村
教科書を見ると全部「語り」と「図解」です。「こんな遺伝子があって、それがこう働いたらこういう細胞になりました。そうして生まれた免疫の基本的な細胞が、いろいろな細胞に分化してと・・・」
小平
ああ、なるほど。
中村
ちょうど劇の脚本のように。その「語り」は、ゲノムという有限の実体と免疫現象との具体的な関わりを示しています。数式では表せないがそこにはある約束事はあるわけです。
小平
生物の約束事は、物理の約束事に比べてあいまいさをもっていますね。
中村
そうなんです。語られている文章の中で、ある遺伝子の名前がある細胞の名前と必ず一緒に出てくるならば、おそらく実際の体の中でもそれは深い関わりがあるだろうということは想像できますね。そういう形で「データと知識と生命現象」を結びつけるという研究が始まっています。そこには何らかの約束事があるに違いないのでそのように関係を整理していく。数式にはならないけれど、「文法」を探して、それに基づいてもう一度すべての関係を整理しなおす仕事を一つの学問としてつくりあげたいという模索です。
小平
それは非常におもしろいですね。
4. 生物学から「語る科学」へ
小平
ある詩人と話した時にやはり言葉の問題が出て、文法を間違えなければ全部が意味のある文章になるか、そんなことはないという話になりました。詩人が言葉を出す時、文法は正しいがある種の幅がある。そこに面白味があるわけですね。
中村
なるほど。生きものと似てますね。
小平
僕がある言葉を考えの中から取り出して発した時、聞き手の中村さんは、今度は自分の側の、何かまわりについている・・・。
中村
コンテクストが必要ですよね。ある文脈の中で小平さんは語る。私は自分の文脈の中に入れる。詩人の言葉は違う文脈で受け取られても構わないし、そこに面白さがあるわけです。一方、科学の話をしている場合は、二人が共通の文脈で語らないと話し合いになりません。「語る科学」の場合、単なる物語り、ましてや詩とは違うのは、それが生きものという実体のありようとつながっており、それを理解するものになっていなければならないことです。それは天文学でもそうではないでしょうか。
小平
なるほど。実は僕はそこまでは考えてなくて、たとえば免疫現象で、外から入る情報によって中での反応が違うということがあるでしょう。そういう意味での文脈だったんです。体の細胞が活動する時、ある約束事に従って次の発展段階に進むわけだけれど、その時、きっちりと決まった関係なのか、約束事はあるが幅をもった関係として発展するのか。幅があるならそれは歴史的なできごとになる。
中村
その通りです。現象の方がそうなっているわけだから、理解のしかたも幅をもったものになりますよね。物理学の数と量の表現より幅はあるが、文学的な表現が許す幅よりは狭い。詩人ならばある意味では何を言ってもいい。でも免疫を「語る」なら、「約束事」があって、それを共有すればみんなが理解できる。
小平
生命現象だけでなく、その理解を整理し知的体系とする時にこれまでの物理学的な単純化とは違う別の切り口があるだろうということですね。
中村
生物学の教科書はすでにそのように「語られ」ていて、みんなそれで勉強してきた。ではなぜ改めて「語る」と言うのか。現代の生物学では、たとえばゲノムプロジェクトで30億の文字が読み取られる。その中にタンパク質をつくる3万個ほどの遺伝子が散らばって、その間にはタンパク質をつくらないが働いているに違いない部分がもっとある。これでわかったことは、私たちはここに出てきた情報のたくさんの関係を整理できなければ生きものを理解できないということ。ここで扱う情報量は、まさに天文学的な(笑)数字で1人の人間の頭で理解できる量ではありません。幸いコンピュータがあるのでそれを処理して整理する方法はあるはずだと思うのです。
小平
最近の生命科学の論文を見ると、遺伝子やタンパク質など生命現象にとってどれも大事なものなんでしょうけれど、たくさん記号が出てきて、近い領域の人はわかるでしょうが全体像は把握できないだろうなと感じますね。
中村
そこです。それをなんとか整理して把握できる形にしなければ。ついこの間まで生物学者たちはお互い語り合えた。ところが今はもう私など「お手上げです、わかりません」になっています。でもそれでは面白くない。生きものは面白いに違いないし、明らかにされている事実も大事なことに違いないのに。 みんなで山ほどの情報を積み上げても、全体が理解できなければそれは学問だと言えません。生物学が「生きものとは何か」に答えるための学問なら、整理して、全体を「語れる」ものにしなければならない。新しい学問「語る科学」を、生物学から始めようと思っています。
5. 空間に時間を見る天文学
中村
生物学では、ゲノムから「整理を始めなさい」という要請が浮かんでくるのですが、今の時代、他の学問分野でも大変な量の部分的な理解をかかえた状況は同じでしょう。天文学ではいかがですか。 (小平) 生物を全体的に理解するには時間軸が大事でしょうね。星の世界も本当の理解には時間軸が入ってくる。天体では、生物の遺伝型から表現型への展開にあたる過程が複雑ではあるけれど、一つひとつの段階はかなり物理的です。
宇宙の初めの頃は、大変物質密度が高く、一つひとつの系も閉じていない。時間をさかのぼるほど系の相互作用は強く、部分を取り出して理解することが難しいとわかっています。現在は宇宙が膨張して系の相互作用もそれほど強くないので、銀河系だけを取り出した議論もされてますけどね。天体物理学者は、力の法則とビッグバン(註6)の最初の値さえ与えられれば、そこから現在の宇宙のすべてを引き出せると考えて研究しているんですよ。でもその長い時間を考えれば、偶然性が左右してまったく違う系に進化する劇的な変化や、生命のようなあいまいさもあるわけでしょう。そういう宇宙像が描ける。ただこういう天文学の理解のしかたは、生命の場合と同じで新しいから理解されにくい。すぐに何の役に立つのかになってしまう。でも、人が生きていく時に必要な世界観・宇宙観をもつための価値の根拠としてもつ力を考えたらとても大事な学問だと思うんですよ。僕は全体を原理に還元せずに、「宇宙誌」として捉えて、この多様さはそこから出てきたのだと言うことのできる理解が必要なのだと思います。今、地球のような惑星が他にあるかもしれない、当然、生命がいるかもしれないという時代ですから。そういう意味では「生命誌」と同じく「宇宙誌」だと思っています。時間軸を入れた時、「語る」になるっていうことですね。
中村
そういう宇宙観を組み立てる手段の一つとして「すばる」(註7)をお作りになったのでしょう。あの頃、本当にご苦労なさって・・・。
小平
大分、応援してくれた。
中村
痩せこけて、何でそんな苦労して作るのと聞いたら「宇宙の果てが見たいんだ」とおっしゃったでしょう。
小平
ええ。今、一 所懸命みんなで見ています。
中村
ちょっと変な言い方ですが「生命誌」にとってのゲノムが「宇宙誌」にとっての「すばる」なんだって思いました。ゲノムの中に歴史が書いてある。つまり時間があるんですね。宇宙の遠くが見えるということは昔が見えることでしょう。だから空間を見ることで時間を見ている。
小平
光が飛んで来るのに時間がかかるから、遠いところは始まりです。
中村
たとえば、137億年かかるところにあるものが、宇宙の始まりを教えてくれると考えてよいのですか。
小平
それは、宇宙のどこにいる観測者も座標変換など必要な操作さえやれば、みんな同じ宇宙が見えなくてはならないというアインシュタイン(註8)の宇宙原理(註9)を踏まえてのことで。
中村
では本当は違うのかもしれないの。
小平
それだけ離れたところが、ここと同じ進化を遂げた保証はないでしょう。いろんな方向を見ても同じように見えるから多分そうだと思うけれど。実は時間と空間の円錐の中だけというか、その表面しか見えないわけです。遠くを見た時、実はそこの昔しか見えないわけだから、それだけ離れたところが今はどうなっているのか。それはわからない。
中村
もしかしたらアインシュタインの言うようにみな同じではないかもしれない。
小平
我々が暮らしているここの137億年前が、今137億光年向こうとして観測している「時」と同じ状態だった保証はない。アインシュタインの宇宙研究などを基本に、結局、科学になりやすいからそうしているのです。生物の進化論でも、ダーウィンの進化論(註10)などを下敷きにすべてを理解しますね。非常に大きな下敷きに今みんな乗っていると思うのです。「すばる」ができて、ごく微かな天体を観測すると、それが大変に大きな相対速度をもって遠ざかっているという事実は否定できない。でも、そこからどんな宇宙の歴史を組み立てるのかは必ずしも決まらないわけで、現在のところ今の科学の方法でやっているわけだけれどそれが本当かどうか。
最近は、ビックバンの火の玉のなごり火といわれる宇宙背景放射(註11)の精密な分布を観測して、その揺らぎの状態から宇宙は137億年前に誕生したことがわかりました。また人間の体をつくっているような普通の物質は宇宙の全体の約2%を占めるにすぎず、ダークマター(暗黒物質(註12))などを含めると20%ほど。残りの70%はダークエネルギー(宇宙定数(註13))だという。ではダークマターとは何か、ダークエネルギーとは何か。モデルを設定すれば一応理解できるということで本当にはわからない。生命科学もそうでしょうけど、本当にこの場所で140億年さかのぼることは誰にもできない。遠くに見えるのはそこの昔の状態。それをここの140億年前と同一視して組み立てることができるのは物理学的単純化のなせる技です。アフリカに5億年前の化石があったから日本列島もそれと同じだったとは言わないでしょう。
中村
なるほど。わかりやすい。
小平
「宇宙誌」という捉え方をすると、今、天体物理学が完成させつつあるかに見える宇宙像は、非常に大きな物理学的単純化によって背後から支えられていたことに気づく。
中村
遠いところ、古いところ、さまざまな場所を観測した情報がどんどん増えてくると、それに基づいて物理的単純化によらない別の宇宙像が描けるのかもしれないということですね。生きもの研究の状況とまったく同じです。
小平
天動説(註14)の時代の天文学は、ある星が描く円軌道がさらに別の円軌道に関わってと、周天円(註15)などを手がかりに複雑な運動の重ね合わせで天体の関係を組み立てたけれど、全体をうまく説明しきれなかった。ところが地動説(註16)に移したらケプラーの法則(註17)できれいに説明できたでしょう。そして今、たくさんのパラメータ(助変数)が入ってごちゃごちゃしてきたので、また何か新しい視点で整理できないかと今の物理学者も同じことを期待しています。
中村
何動説になるのかしら(笑)。今は地動説の延長上に立って、太陽系だけでなく、銀河系、全宇宙をより広く見ているにすぎない。その視点を変えることで次の宇宙観をつかめるかもしれないというわけですね。面白そう。
小平
今の宇宙論は、まず地球からの観測を絶対的な基準として、宇宙のどこからでも同じように観測できるべきだという考えに立っていますが、その理解は一つの立場にすぎない。新しい観測からそこに多様なパラメータが入ってきた時、それらを「博物学的な多様さ」と理解して整理せず、物理的な把握の視点を一つ変えることから、それらを「体系化された多様さ」と理解できるようにしたいんです。中村さんのおっしゃるように全体を「語る」ことができるような立場があるのかもしれませんね。
中村
神様みたいに宇宙を外から見るとか。
小平
僕はそんなところまで考えきれない(笑)。そもそもビックバンの理論は単純できれいなものだった。そこへ入ってきたパラメータを観測に合うようにと今いじっていて、本当ならもっときれいに説明できないものかという気持ちはみんながもっていると思います。まだ今のところごちゃごちゃしたところでなんとか説明しようとみんな一所懸命やっているわけです。
(註6) ビッグバン【big bang】
宇宙のはじめに起こったと考えられる大爆発。またそれによる宇宙開闢論。大爆発による高温・高密度の状態から膨張して今日の宇宙ができたとする。膨張宇宙、宇宙黒体放射、元素の存在比などが証拠とされる。G.Gamowの提唱。命名はF.Hoyleによる。
(註7) すばる
「すばる」望遠鏡。ハワイ島マウナケア山頂(海抜4205メートル)に日本の国立天文台が設置した可視光と赤外線用の口径8.2メートルの反射望遠鏡。単一鏡としては世界最大。小平桂一氏が国立天文台教授・台長時代に「すばる」計画の総括責任者として日本で前例のない一大プロジェクトを成功に導いた。構想から完成まで約20年に亙る経緯は著書「宇宙の果てまで」(文芸春秋)に詳しい。
(註8) アインシュタイン 【Albert Einstein】 (1879~1955)
理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論・特殊相対性理論・一般相対性理論などの首唱者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。プリンストン高等研究所にあって相対性理論の一般化を研究。ノーベル賞。
(註9) 宇宙原理 【cosmological principle】
我々は特別な場所に居るのではなく、適切な座標変換などをすれば宇宙はすべての観測者にとって居場所に関係なく同じように見えるという考え方。
(註10) 進化論【evolution theory】
生物のそれぞれの種は、神によって個々に創造されたものでなく、極めて簡単な原始生物から進化してきたものであるという説。1859年、ダーウィンが体系づけたことによって広く社会の注目をひき、以降、文化一般に多大の影響を与えた。
(註11) 宇宙背景放射
宇宙のどの方角からも一様にやってくる電磁波。絶対温度約三度の黒体放射に相当する。初期の段階に宇宙を満たしていた放射の名残りとされる。宇宙黒体輻射。
(註12) 暗黒物質
銀河内や銀河間に大量に存在しながら、光や電波を発していないのでその正体がまだわからない物質。天体に重力を及ぼしていることからその存在はわかっている。
(註13) 宇宙定数
アインシュタインが一般相対性理論を宇宙に適用した際、宇宙を制止させるために導入した普遍的な斥力を表す定数。
(註14) 天動説【Ptolemaic theory】
地球が宇宙の中心に制止し、日月星辰はその周囲をめぐるという古代の宇宙構造説。近代天文学の発達しなかった時代に広く信じられた。地球中心説。プトレマイオスによって完成され、その著「アルマゲスト」(120年)に集大成された。
(註15) 周天円【epicycle】
一つの円の円周上を定速度で回転する点を考え、次にその動く点を中心とする動く円を考えてこれを周天円という。そして初めの円を導円という。天動説で惑星の運行を説明するために考えられた。
(註16) 地動説 【heliocentric theory】
太陽は宇宙の中心に静止し、地球は太陽のまわりを回転するという説。太陽中心説。アリスタルコスまたコペルニクスによって唱えられ、天動説を打ち破って旧来の宇宙観・世界観に大転換を与えた。
(註17) ケプラーの法則 【Kepler'laws】
ドイツの天文学者ケプラー(1571~1630)が、惑星運動について発見した三法則。(一)惑星は太陽を焦点の一つとする楕円軌道を描く。(二)太陽から惑星に至る直線は等時間に等面積を描く(面積速度の法則)。(三)惑星の公転周期の二乗は太陽からの平均距離の三乗に比例する(調和法則)。
6. 時間という価値を含めて「語る」
中村
生物学も同じようにたくさんのデータがごちゃごちゃして、整理するのに新しい視点を入れる時が来ていると感じているので同じですね。
小平
そこで、先ほどの「言葉」にかえるんだけれど、物理学の基本には論理学があるでしょ。論理学では、ある概念を規定して、A概念とB概念の関係を規定していく。さらに論理学の数的な側面をになうのは数学です。これらがもっと生命現象を捉えきれるような論理を含む新しい数学的論理学(註18)が生まれてくる可能性はあるような気もするんです。これまでの論理学のようにピシャッとやるのでない、蓋然性(註19)をともなう論理。ファジー理論(註20)など、最近はそういうのがありますよね。
中村
論理学では無矛盾性が大事だった。でも生きものって矛盾の塊なんですよ。
小平
生命は基本的に矛盾を許すから発展があるわけでしょう。
中村
生命現象から矛盾を全部外した時に落ち着くところは「死」。矛盾こそが「生きている」というダイナミズムを生みだしているとしか言いようがない。
小平
弁証法のアウフヘーベン(註21)に近いことを実態としてくり返している。だからある断面で切ったら生命は必ず矛盾を含む。
中村
そうそう。これまでのサイエンスは無矛盾で来ましたけれど、それだと生物学でなく死物学になってしまう。試験管の中で反応を見ている限りは死物学でもいいのです。ある側面だけの現象を化学反応として見る時は矛盾なんかあっては困る。生物学実験はずっとそれでやってきた。それが溜って、溜って、で「どうしてこうなっているの?」と思った瞬間、一気に矛盾を抱え込む。
小平
最近聞いた話では、生命現象の動的な変化を追える技術ができて、これまでは時間的に停止させたものだけを見て研究してきたけれど、これからはある状態から次に移っていく展開の過程を追跡できるようになったという。それで実験的な追跡が進めば、矛盾を含む現象が本当に認識されるかなと思っているのですが。
中村
時間を追うことができるのはとても大事ですがそれだけでは無理で、考え方の問題が残ると思います。
小平
物理でも量子力学(関連記事:生命誌 BRH cards 40号「生命-多様化するという普遍性:金子邦彦×中村桂子」)など、ある幅をもっていてどこへいくのか確定できない展開をする系という理解がありますが。たとえば細胞分裂の時のDNAのミスコピーはまったく確率的に起きて予測できないと思うか、ミスコピーはこんな理由で起きると全部を物理的に説明しきれるようになるか。
中村
前者だと思うんです。たまたまミスコピーとおっしゃったから、言葉尻をつかまえるということではないんですけれど、私はそこに現在の科学の見方が入っていると思うんですよ。短い時間で見た時にはミスコピーと評価しなければなりません。私の体の中ではDNAは正確にコピーしてくれていると期待しているのにそうでないことが起きるとがんや老化につながるので。ところが長い時間で見た時には、まったく同じことだけやっていたら変化していかない。だからときどき違うものをつくって変化することの方が生きものにとっては本質かもしれません。私たちがミスコピーと呼ぶものが過去になければ、今の私たちはここにいないことになるでしょう。
小平
それは目的論だと物理学者は言う。たとえば、どうして地球上に生命が進化しているかというと、天文学的には月があることが大きな議論になります。月が地球にくっついたのは偶然か必然かと考えると、こんな大きい相棒がいる惑星は太陽系では外惑星の冥王星ぐらいです。我々はもう地球に生きていて、その人類が一所懸命それを調べると、月がくっついたのはあたかも・・・。
中村
地球上の生命が進化するために月がくっついたように思えると(笑)。
小平
宇宙論でもビックバンの速度が違えば太陽系は生まれなかったと。だから過去へさかのぼるにせよ未来へ進むにせよ、時系列を理由にしてはならないと物理学者は決めています。しかし、それはすべての価値観を排除することになる。
中村
そこが、「語る」と言う時との違いです。価値を入れなければ生きものは語れません。先ほどのコピーで言えばミスと見るのも、変化の原動力と見るのも価値観あってのこと。データなら価値なしですが知識にする時には価値が入りますでしょう。ちょっと話は飛びますけれど、でも今のことと関係がある・・・。この間、南極で日食がありましたね。
小平
皆既日食、昨年の11月頃でしたか。
中村
日食を見た時に、お月様と太陽がちょうど重なるのが本当に不思議で・・・。
小平
ちょっと軌道面が違えば重ならないのに、重なることから人類が得た天文学上の進歩は大変なものです。日食から太陽についての研究、月食から地球と月と太陽の位置関係もわかった。そう考えると不思議です。
中村
もし月がもっと大きかったら・・・。
小平
初めは月がもっと地球に近かったんですよ。初め速かった地球の自転もだんだん遅くなって今が24時間。月の起源論から言うと、月が近かった頃は地球にかかる力が強く潮の干満も大きい。潮汐が大陸にぶつかる摩擦も大きく月への反作用も大きかった。ところがその摩擦量の変化には大陸分布の様子も関わっているし、海がないと地球と月との相互作用はずっと弱くなる。これら天体間の歴史的な変化と地上の生命進化とは密接に関わりあっていて、ここ200万年、人類が宇宙をながめだした頃には地球から見てちょうど太陽と月が同じ大きさで重なっている。あと何億年か後では地上の生きものはあんなにきれいな金環食は見られない。
中村
距離は全然違うのにこちらから見たら重なるなんてと、本当に不思議に思いました。
小平
「宇宙誌」「生命誌」という見方をすると、そこにある種の価値を見たくなりますね。物理学で説明すると、たまたまそうというだけのことですけれど。
(註18) 数学的論理学 【symbolic logic】
推論を構成する文を数学の記号に類する記号によって表現し、推論の規則を記号操作の規則として定式化する論理学。現代に一般に行われる論理学で、数理論理学・記号論理学などともいう。
(註19) 蓋然性【probability】
ある事が実際に起るか否かの確実さの度合い。
(註20) ファジー理論【fuzzy theory】
計算の基礎となる値や、値と値の関係に曖昧性があることを前提とした理論体系。値とその値をとる確からしさとを対にして考える。
(註21) アウフヘーベン【Aufheben】
止揚。ヘーゲルの用語。弁証法的発展では、事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の統合的発展。
7. ミクロの「足る」しくみ
小平
自然科学は、ただ技術に応用して便利になる、人間の外的機能を拡張するだけのものではないでしょう。自然科学の理解がどういった価値を生みだし、価値に基づいてどう自らを位置づけることができるか。全体を制御していける「知恵」としての「知」でなければならないはずですよね。
中村
それで最初に戻るわけです。今は科学技術文明で、価値は「便利さ」。医療でも全体像は考えず局部だけ見てこれ治しましょうと。生きものを捉える眼で見れば、部分の解決と同時に全体の破綻が進むことも少なくないのです。本当にそうなってしまわないように、今、部分を通して全体を「語る」ことで、たくさん出てきた一つひとつをなんとか全体を見るものにまとめあげていかなくてはならないと思っているのです。
小平
人間は、他の生物と比べて道具を使えるところに特徴があるわけだからそれを使う。その中で、今は科学技術をいかにして軍事・医療・経済に生かすかということが大事になっています。でも基本的に、生きもの一般が同じ機能をもっていますね。まず、自分たちの集団が生きのびられるように外から守る。病気や害にさらされて滅びないようにする。また餌が十分取れるかということでは、魚なども集団を作ったりして・・・。
中村
それぞれの種が自分の能力をフルに生かして懸命ですね。
小平
ただ人間は、科学技術、つまり外的装置を使ってその機能をますます発展できている。とはいえ、蜂があんな巣を作ったり、アリの巣一つ見ても今の科学技術ではそんな、いつ雨が降るかしらないところにあんなものを・・・。
中村
そうね(笑)。
小平
一体どうやって作るんだというぐらいの彼らなりの知恵と体系をもっています。アリが、あるところで満足しているのか、僕にはわかりませんが、他の生きものはそれなりにおさまっているのに人間だけがまだどんどんやっています。これはまだ数百万年しかたっていないからですか。あと1億年たてば、他の生きものと同じようにある飽和に達して、お互い踏み台にする競争のための競争でなく、共存するための競争に転化するのかな。
中村
どうでしょう。一つには、まだ脳の働きがよくわかっていませんね。一番近い仲間、チンパンジーとヒトとではゲノムで見ると数%しか違わないのに、表現型で見ると彼らと我々との違いはたくさんあって最も大きな差が脳の構造に 現われている。ですから今のご質問は、生物学としての答えはまだない・・・。というか答えはないのかもしれない。
一つ、時代の価値観のことを考えたいのです。今の社会は拡大・大量という価値観をよりどころとしますが、生物のしくみではいつもフィードバックをかけている。分子生物学の始まりにジャコブ(註22)とモノー(註23)が明らかにしたバクテリアが糖を作るしくみ。これは、分子生物学の始まりと言ってもよい多くの人に影響を与えた実験でですが、最後の生産物である糖が自分を作るためにはたらく一連の遺伝子のうちの一番始めのところを調節する。
もう要らないところまで増えると、遺伝子の生産物が自分を作っている一番上流までさかのぼって、自分で止めるのです。生きもののしくみは、このネガティブフィードバックでやっている。ところが社会のしくみは、拡大こそが進歩でありよいことだとする価値観でやってきた。人口も、今60億、次は100億となると、地球とのバランスでさすがにちょっとまずいと思い始めますが、それは最近のこと。今、私たちは生きものから全体をうまく動かすしくみを学び、社会にもこのしくみを適用しなければ全体としての存続が危ういのではないかと思うのです。ただ・・・。
小平
わかっても、破壊してしまうかもしれない。
中村
その危険性ありですね。でも、私たちの歴史、日本の言葉の中にも「足る」というものがあるわけで。私たちは近代の価値観で育ったのでついこれが人間だと思ってしまうけれど、生きものである人間としてはネガティブフィードバックのかかった状況を作るほうが、全体としての満足感が得られるのかもしれない。それはまだやられていないと思うのです。「足りる」というしくみから考えてみるのはいかがですかということも生物学からの提案ですね。
(註22) ジャコブ【Francois Jacob】 (1920~ )
フランスの分子遺伝学者。タンパク質合成の制御機構を研究し、J.Monodとともにオペロン説を提唱。1965年にノーベル生理医学賞を受賞。 著「生命の論理」。
(註23) モノー【Jacques Monod】 (1910~1976)
フランスの分子生物学者。創成期の分子生物学の世界的指導者として活躍。F.Jacobとともにオペロン説を提唱。タンパク質分子の立体構造の変化に伴う化学反応制御の機構、すなわちアロステリック効果の理論を提唱し、分子生物学全般に大きな影響を与えた、1965年にノーベル生理医学賞を受賞。著「偶然と必然」。
8. マクロからの語りかけ
小平
中村さんは、生きもののミクロなしくみからネガティブフィードバックという基本的な概念、そして「足りる」という価値観に辿り着いた。先ほど、月と地球の関係から生命進化にもふれましたが、今度は、さらにマクロな視点から地球を語っていくと、地上の生命進化の初め頃には小天体の落下がたくさんあって地球の環境が一気に変わり、それまで栄えていた種が途絶えて新しい種が一気に出てきた。その時期の新しい種は、ちょうど近代の人間のように食糧のあるところへ進出して数を増やして活動の場を広げていく。そんな進化の時期があった。ところが今は、地球も40億年たってだいぶ落ち着いて、大陸の移動や地殻の変動も弱くなり、落下する隕石も小振りになった。そうなると地上の生命進化も以前のように大規模に拡大できる時期がない。限られた資源と空間の中でネガティブフィードバックのしくみをよくきかせた種が存続できる時期だといえる。
中村
恐竜も隕石で絶滅したという説がありますけれど、今の宇宙の状況はもう落ち着いていてあまり大きな隕石は・・・。
小平
太陽系で惑星が回っているところはお掃除されて、特に地球の近くは大きな月がついて二人がかりできれいにしてきた。それで月もあんなにアバタになりました。遠くのまだごちゃごちゃしているところでお互いに近づき過ぎたりして、地球軌道に落ちて来る隕石が時たまぶつかる程度です。月も遠ざかり潮汐も弱くなるし地球環境はとても変化が少なくなっています。
中村
落ち着いた状況になっているということ。
小平
しかしもっとマクロなところから見ると、太陽系は2億年ほどの周期で天の川銀河系の中を周回していますが、銀河系の腕のようなところを通過すると太陽系の大環境が大きく変わる。近くで若い星が生まれたり、暗黒星雲(註24)があったり、超新星(註25)が爆発しますから、今の地球が享受しているような静かな太陽系の環境は数百万年にわたって崩される可能性はあるわけ。
中村
それはいつ頃・・・。
小平
それは今抜けて少しのところだから、天の川銀河系が2本腕だとすれば、また1~2億年ほどで反対側の腕がきます。
中村
その点でも落ち着いているんですね。
小平
太陽系全体は、太陽が一所懸命はたらいて、太陽風や磁場を吹き出してつくるヘリオスフェア(太陽磁気圏)に包まれている。太陽の活動にも強い弱いがありますが、太陽系はこの大きな泡に守られて銀河系の中を秒速約20キロメートルで進んでいます。今は外の状況も腕と腕の間の静かなところだから安定しているけれど、腕が来ると外からギューッと強く押されて、宇宙線(註26)が飛び込んで来るなど地球を含む大環境が大きく変わる。約1~2億年ごとに数百万年ほどの変化の時期を経験するということがわかっています。
中村
人間って今、とても恵まれたところにいるんだなあとしみじみ・・・。
小平
数億年前の厳しい時に埋没した石炭や石油を掘りおこしてね。恵まれていたから人間みたいなものができたのかもしれないけれど(笑)。
中村
その恩恵を意識せずにちょっと生意気になっていると思いません?
小平
宇宙のマクロな環境と、生命のミクロな一連のしくみ。それら全体を見るとやはり非常に不思議な気がしますね。
中村
子どもにね、もし1億年前だったらたくさん放射能が降って地球は大変なことになっていたかもしれないよとか、お月様がもうちょっと小さかったらとか、それくらいの大きなスケールで恵まれていることを「語る」といいんじゃないかな。私は今、そう思い始めました。
小平
最近いわれる理科離れでも、もっと豊かになりたいでしょう、お金が欲しいでしょう、というのでは子どもは動きません。「理科を志す心」には大きなスケールからのもっと違った語りかけがあるはずです。
中村
今日、宇宙と生命について、それぞれの今を話し合ってみて改めて「ふしぎ」という気持がたくさん湧きましたね。この「ふしぎさ」を感じ取る方向へ向けたら子どもの反応は大きいと思いますね。
小平
ただ、その時に科学は中立的でなければならないという科学者の像がある。かつて、湯川秀樹(註27)さんが平和について語った頃には、科学と平和という価値の間には明確な境が引かれていた。科学とは価値の議論でなく理解するだけだと言って。今でもその境はあると思う。価値とは理解に基づいて何かを作ることなのであって、科学から本当に深い意味のある価値を見出してもいいでしょう。これからは価値とつながる「科学する心」が大切だと思うんだけど。
中村
科学を科学技術につながるものとしてだけ考えるのではなく、宇宙・地球・自然・生命・人間をつなぐ大きなスケールで「語る」ことですね。
小平
最近の科学は科学技術であまりにも見近なところに眼がいきすぎて。知を生みだす山林を豊かにする、根っこへの語りかけが大切なのに。山で生まれた水が最後に出てくる蛇口をいかに立派にするかみたいな話が多いから。
中村
宇宙と生命の壮大な物語りとその中にいる人間について考えることが基本なのに、科学教育の狙いは、科学技術、ひいては経済でアメリカに負けないことというところにあるわけで。これは、子どもたちを惹きつけませんし、日本の将来、人類の未来にとっても好ましいことではないと思うのです。まず、宇宙や生命の魅力をもっともっと語りましょう。
(註24) 暗黒星雲【dark nebula】
天の川の所々にある暗黒の部分。ガスや塵が大量に存在し、背後の星の光をさえぎっている。
(註25) 超新星【supernova】
大質量星の進化の最終段階における大規模な爆発現象。
(註26) 宇宙線【cosmic rays】
宇宙空間に存在する高エネルギーの放射線、およびそれらが地球大気に入射してできる放射線。
(註27) 湯川秀樹 (1907~1981)
理論物理学者。中間子の存在を予言し、素粒子論展開の契機を作った。核兵器を絶対悪と見なし、パグウォッシュ会議・科学者京都会議・世界連邦運動などを通じ平和運動に貢献。ノーベル賞・文化勲章。
対談を終えて
中村桂子
ある時“宇宙も「宇宙誌」として考えたいと思うんだ”と言われた。「生命誌」という言葉にこめた意味がよく理解してもらえなかった頃で、百万の見方を得た気がした。宇宙と生物の世界は基本に違うものがありながら壮大な歴史で重なる。科学を踏まえた歴史性から私の中に必然的に生まれた「語る」を検討してもらうよいお相手だ。
小平桂一
小平桂一(こだいら・けいいち)
1937年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒、同大学院修士課程、ドイツ・キール大学博士課程修了。同大学客員研究員、カリフォルニア工科大学客員研究員、東京大学理学部助教授、東京天文台教授を経て、国立天文台教授・台長時代に「すばる」 計画の総括責任者を勤める。現在、総合研究大学院大学長。