目次へ 季刊誌「生命誌」通 巻11号 
キメラ胚で脳に迫る:ニコル・ルドワラン
キメラ胚で脳に迫る
キメラ胚で脳に迫る:ニコル・ルドワラン
  脳ができていく仕組み
  鳴き声キメラの研究
  脳の進化について
さまざまな生命現象が次々と分子のレベルで解明されていくなかで、脳の研究も爆発的に進んでいる。私たちはどこまで高度に複雑化した脳の秘密に迫れるだろうか。 発生生物学の世界的権威であるフランスのルドワラン女史は、自ら開発したニワトリ・ウズラのキメラ胚づくりの技術を用いて脳の研究に取り組んでいる。そのユニークなアプローチが明かしてくれるものは……。
脳ができていく仕組み
フランス国立細胞・分子発生学研究所
ルドワラン女史が所長を務めるフランス国立細胞・分子発生学研究所は、ニワトリ・ウズラのキメラの研究で世界的に名高い。パリ郊外、ヴァンセンヌの森のはずれにある。
――― 複雑な脳のはたらきを理解するためには、脳が個体発生の過程でどのようにしてできるかを理解することが重要でしょう。近年、分子生物学の技術のおかげで、発生しつつある脳ではたらいていると思われる遺伝子がいくつも見つかっています。しかし、個々の遺伝子の具体的なはたらきについては未知のことも多く、まだまだ脳がどのようにしてできるかが分子レベルでわかってきたとは言えないように思います。そのなかで、ルドワランさんはどのようなアプローチを取っておられますか?
ルドワラン ――私も脳の発生にずっと興味をもって研究してきました。私たちは、ウズラ胚の組織をニワトリ胚に移植してキメラ胚をつくる技術(『生命誌』9号参照)が得意なので、それを用いて脳の発生のいろいろな側面を研究しています。ウズラ胚の組織をニワトリ胚に移植し、初期の胚の細胞がどのように動いて脳のいろいろな部分が形成されていくのかをたどるのです。とくに小脳などでは、細胞の移動が活発に起こるので、初期の胚のどの部分が後に何になるのかの詳細が明らかになりました。

――― 発生途中の脳で発現している遺伝子としては、動物の体の各部分を決めるはたらきで有名なホメオボックス遺伝子群が有名ですが、それに注目して最近実験をされていると聞きました。
ルドワラン ―― ホメオボックス遺伝子は、発生途中の後脳と呼ばれる部分で、興味深いパターンで発現しています。そこで、遺伝子の発現を指標として、個々の領域の運命がどこまで決定されているかを調べています。たとえば、ある特定のホメオボックス遺伝子が発現されている領域の組織を、その遺伝子が発現されていない領域に移籍してやります。もし、移植された組織の運命がまだ決定されていなければ、その場所にふさわしいように遺伝子の発現は変化するでしょう。逆に、移植された組織の運命が決定されておれば、遺伝子の発現は変化しないでしょう。

――― 組織の運命がいつ決まるかを調べるのは、個体発生の研究では欠かせないことですね。
ルドワラン ―― 実験の結果は面白いことに、組織を後ろから前に移植した場合には、遺伝子の発現は変化せず、前から後ろに移植すると、移植された組織は、その場所にふさわしいように遺伝子の発現を変化させるということがわかりました。このことは、後脳の各部分は、後ろから次第に決まっていくということを示しています。
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鳴き声キメラの研究
キメラヒヨコ
ウズラの組織をニワトリの胚に移植してできたキメラヒヨコ。羽の黒い部分がウズラ由来。この技術が脳の研究にも生かされている。
(写真:絹谷政江/愛媛大学医学部)
――― ルドワランさんは、以前、ニワトリとウズラのキメラ作成の技術を使って、脳のどの部分が鳥の鳴き声にかかわっているかを研究されていましたね。移植の技術を用いてこそできるユニークなアプローチで、じつに面白いと思ったのですが、最近も続けておられますか?
ルドワラン ――鳴き声キメラの実験は、私のところで研究していたバラバンという人が別 のところで続けており、最近とても興味深い結果を出しています。 ウズラは、鳴き声を出すと同時に頭を振りますが、ニワトリは頭は振らず、また鳴き声もウズラとは違っています。彼は、移植実験によって、鳴き声を決める領域は中脳にあり、頭を振る動きは脳幹にあるということを見つけました。ウズラの鳴き声と頭の動きはつねに同時に起こるのですが、それが、脳の別々の部分に支配されているということがわかったのは、とても面白いと思います。

――― 移植の技術を使って、最近では「てんかん」の研究もやっておられると聞きました。
ルドワラン ―― ニワトリには、昔から遺伝的にてんかんを起こしやすい系統が知られていました。ニワトリたちは、卵からかえるとすぐに発作を頻繁に起こしてしまいます。この異常が、脳の中のどの部分に原因があって起こるのかを、移植実験によって調べました。人間のてんかんの研究にもある程度役に立ったと思っています。
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脳の進化について
ルドワラン女史
生命誌研究館の青山裕彦研究員に、研究内容の説明を聞くルドワラン女史。青山研究員は、かつて女史が所長を務める研究所に留学していた。
――― 近年、さまざまな動物で遺伝子発現のパターンを比較することで、脳をはじめとする各組織がどのように進化してきたかを知ろうとする研究が盛んになってきました。それについて意見を聞かせてください。
ルドワラン ―― 脊椎動物では、発生の初期に神経管の背中側の部分から「神経冠細胞」という一群の細胞が出現します。私は、どの部分の神経冠細胞が、体のどの部分に移動して何になるかをキメラ胚作成の技術を用いて完全に明らかにしました。それまでわかっていなかった抹消神経や、副腎のホルモン産生細胞などが、いずれも神経冠細胞由来であることがわかったのです。

――― その研究は、発生生物学の教科書には必ず載っている有名なものですね。
ルドワラン ―― 同じような実験を頭の部分について行った結果、脊椎動物の頭にある構造は、脳や感覚器官と一部の組織を除いてすべて神経管の先端部から出現する神経冠細胞由来であることが明らかになりました。骨も軟骨もみなそうです。胴体の部分では、それらの細胞は「体節」という部分からできるので、私たちの発見はとても驚きでした。ところが、神経冠細胞は脊椎動物にはあってもそれ以外の無脊椎動物にはありません。つまり、極端に言えば、脊椎動物に頭があるのは、神経冠細胞が進化の過程で出現したからだということになります。

――― なるほど。先生の研究のおかげで、初めて脊椎動物と無脊椎動物の頭部がどのように違うかの詳細が明らかになったわけですね。しかし、神経冠細胞由来でない、脳の部分では、最近無脊椎動物であるショウジョウバエと脊椎動物で同じような遺伝子が出現するという報告が相次いでいます。
ルドワラン ―― 確かにそのとおり。しかし、体づくりの大まかな仕組みは、ホメオボックス遺伝子をはじめ多くの機構が動物に共通であるということがわかっています。ですから、たとえ頭部全体ができる仕組みの詳細は異なっていても、一部に共通の仕組みが見つかっても不思議ではないと思います。いずれにせよ、脳をはじめ体の構造の進化について議論するには、それぞれの生き物で形づくりの機構をもっと詳しく調べることが重要となるでしょう。

(聞き手:本誌 加藤和人)
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Nicole Le Douarin
フランス国立細胞・分子発生学研究所所長/コレージュ・ド・フランス教授
ルドワラン女史は、京都で行われた国際会議での招待講演のあと、忙しい日程を割いて大阪・高槻市の生命誌研究所を訪れてくれた。インタビューのほとんどは、女史が高槻から京都へ帰る途中、電車の中で行ったものである。

Interview

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