季刊「生命誌」49〜52号の内容を1冊の本にまとめました。
はじめに
「関わる」。今年はこれをテーマに考えてきました。「生命とはなにか」と問われてもすぐに答えは出てきません。でも、"生きているってどういうことだろう"ということになれば、生きものと生きていないものとの違いをあれこれ考えることができます。実は小学校六年生の国語の教科書(光村図書)にそれを書きました。「生きものはつながりの中に」というタイトルで、犬とロボット犬の違いを比べたのです。時間的なつながりと空間的なつながり。生きものはこの中にあります。つながりがなければ存在しないのが生きものだと言ってもよいでしょう。「関わる」では、主として空間的なつながりを意識しました。しかし、細胞同士の話し合いという関わりを見ていけば、単細胞生物の世界から多細胞が生み出されていく生きものの歴史(進化)が見えてきます。ですから、生きものは時間と空間とをつなぐ存在であることを実感しながら、緩やかな気持ちで「関わる」を考えることにしました。
本書を読んでいただくと、分子間、細胞間、個体間、個体と環境などいずれも関わりを見て、関わりを語っていることがわかります。研究館での研究も、イチジクとコバチ、チョウと食草など関わりそのものです。
これが生きものの面白さですが、一方、これは生物ゆえの拘束とも言えます。人間も生きものであり、この拘束の中にあります。人間は自由を求め、この拘束から抜け出す努力をしました。そして科学技術文明は、空調された高層マンションで、コンピュータを中心とする機器を駆使した生活を可能にし、生物的拘束からの解放を実現したように見えます。しかしこれにはいくつもの落し穴があったのです。一つは、環境問題。人間は生きものから抜け出すことは不可能ということを見せつけています。更に、文明社会にも拘束があることが見えてきました。時計の示す時刻に従い、規則に縛られた生活は厳しいものです。近年はそれに競争とか評価などという言葉が加わり、息苦しさは増しています。自然の中でのんびりしたい。ふとそんなことを思います。ここで、生物的欲望はアナログで限りがあるけれど、ディジタルで数量化した欲望には限りがないという指摘(西垣)は重要です。評価にしても、日常の関わりの中で、よくやった、もっと頑張れ、これは君には不向きだよ、意外な才能があるね、と言ったり言われたりするのは当然ですが、数値化された途端にそれだけが一人歩きして息苦しくなるわけです。生命誌の視点は、生物的拘束の内容をよく調べて、矛盾を抱え込んだうえで38億年も続いてきたシステムに学ぶことを基本にしています。ヒトという生きものである人間として、文化・文明と自然とが響き合う世界を作りたいと願っています。
中村桂子
掲載記事
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