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宮田 隆の進化の話

最新の研究やそれに関わる人々の話を交えて、生きものの進化に迫ります。

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【真核生物誕生の謎】

2005年11月15日

宮田 隆顧問
 最近、ミトコンドリアの共生に関する新しい仮説、水素仮説が提唱され、話題になっている。さらに、ミトコンドリアを持たない、現存する最古の真核生物と考えられているランブル鞭毛虫にミトコンドリアの相同小器官、ミトソームが発見された。こうした発見によって、真核生物の初期進化の理解がいま大いに深まっている。

真核生物の複雑な細胞内構造
細胞内共生による進化
ミトコンドリアの由来
細胞内共生はどのようにして生じたか
ランブル鞭毛虫は細胞内共生以前の生きた化石か?
ランブル鞭毛虫に見つかったミトコンドリアの相同小器官:ミトソーム
ミトコンドリアファミリー

真核生物の複雑な細胞内構造
 よく知られているように、真核生物の細胞は、原核生物、すなわち、真正細菌と古細菌の細胞に比べて複雑な構造をしている。細胞内には発達した内膜系があり、核をはじめとしてさまざまな小器官が存在している。とりわけ核の存在は特徴的で、核を持たない原核細胞と核を持つ真核細胞の違いは今日の地球上に認められる唯一最大の進化的不連続であると、1937年エドアール・シャトンは指摘している。こうした複雑な真核細胞はどのように進化したのかということについては、現在のところほとんど理解されていない。
 こうした複雑な構造を持つ真核細胞への進化にとって細胞壁の消失が重要なイベントであったと指摘する人がいる。1974年度ノーベル医学・生理学賞受賞者クリスチャン・ド・デュープはその一人である。原核生物の多くは細胞壁を持っていて、それは構造の支持と傷害の保護に重要な役割を果たしている。真核生物の祖先は進化の過程でその細胞壁を捨てたのだが、その理由は幾つか考えられる。真核生物の祖先が生きていた太古の時代には、まだ死骸を分解するバクテリアが生存していなかったので、生物の増殖に伴って、特定の有機物が減少していくことが考えられる。たまたま真核生物の祖先が利用していた有機物の量が、彼らが生存していた場所で著しく減少したため、効率よく有機物を細胞内に取り込むために細胞壁を失ったのではないかというのがその理由の一つである。細胞壁を失った真核生物の祖先は、細胞壁からの制約が消えたため、細胞を大きくすることが可能になった。効率よく有機物を摂取するために細胞表面の細胞膜はひだ折れして表面積を増やしていった。さらに、ひだ状の膜から、外界の物質や細菌を取り囲んで細胞内に取り込む機能が生じた。また、DNAを囲んだ細胞膜はち切れて核を形成し、複雑な内膜系を発達させた。これらに平行して、真核生物の祖先はアクチンやチューブリンといった細胞骨格系の分子を新たに発明して、運動に伴う細胞の変形に対して復元力を持たせた。こうして真核細胞の祖先は捕食性(従属栄養)の食細胞へと進化していったというのがド・デュープの真核生物誕生の物語である。現在の白血球が原核細胞を捉える様子がモデルにあったようで、真核細胞の祖先は周囲の細菌を捕食し、餌としていたのではないかというのが彼の考えである。
 現在の可能な知識を駆使して真核細胞の進化のストーリーを語ることは可能だが、現状ではまだ十分説得力のある説にはなっていない。ただ一つ、細胞内にあってエネルギー代謝に関わるミトコンドリアと葉緑体の成立に関しては、独立して生活していた真正細菌のグループが進化の過程で水平的に真核細胞に取り込まれ、小器官化したとする細胞内共生説が一般に支持されている。
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細胞内共生による進化
 遺伝情報は親から子へと伝達されるので、進化の原動力になる突然変異も親から子へと垂直的に受け渡される。そのため進化は祖先から子孫へ向かって展開する。生物の進化を樹にたとえて系統樹で表現すると分かりやすいのはこの理由による。全生物が共通に持つ転写や翻訳に関わる遺伝子の多くは、地球上の全生物の祖先の時代から一貫して祖先から子孫へと垂直的に受け渡されてきた。一方、非常に古い時代には、代謝に関わる多くの遺伝子は、かなりな頻度で異なる系統間を、異なる超生物界の間でさえも、水平的に移動していたことが明らかになっている(本シリーズ、「生物最古の枝分かれ:問題点と重複遺伝子による解決」を参照)。
 しかし、細胞内共生説では、個々の遺伝子ではなく、生物丸ごとの水平移動が起きていたことを主張する。こうなると生物の進化的系統関係はもはや“樹”で表現することが不可能になり、ネットワークで表現せざるを得なくなる。細胞内共生説の提唱者、リン・マーギュリスは、進化の過程で複数の原核生物の系統が融合して新しい系統、真核生物が誕生したと考えた。垂直的な進化しか知らなかった1967年当時(この年に彼女は論文を発表しているのだが)、マーギュリスの考えはあまりにも突飛であったため、14の学術雑誌で論文の掲載を拒否されているらしい。
 しかしながらこの突飛なアイディアはマーギュリスが最初ではなかった。すでに19世紀後半には、葉緑体が周囲の細胞とは独立に分裂することを顕微鏡で観察し、共生的な考えが打ち出されていた、とマーギュリスの有名な本“細胞の共生進化”に記載されている。彼女によると、おそらく最初の共生説の提唱者はドイツの植物学者A.F.W.シンパーで、1883年のことのようである。シンパーの考えを受けて1905年、コンスタンティン・セルゲーヴィッチ・メレシコフスキーはオルガネラの共生的起源の考えを強力に推し進めた。残念ながらこうした水平遺伝をベースにしたオルガネラの細胞内共生説は一般に受け入れられることなく、異端の説として葬り去られた。
 シンパー=メレシコフスキーの説は主に顕微鏡的観察に基づくものであったのに比べ、およそ60年後に発表されたマーギュリスの説では電子顕微鏡による詳細な細胞内構造をはじめとして、幾つかの重要な知見が利用可能な状況にあった。それにもかかわらず、14回の論文掲載拒否に象徴されるように、この考えは1960年代後半においてもいぜん異端の考えであった。ましてやシンパー=メレシコフスキーの時代では論外であったことだろう。
 こうしたことは共生説に限ったことではない。発表後50年経って再発見されたメンデル遺伝学をはじめとして、例を探すのにそれほど苦労はしない。分子進化学の分野で探せば、1901年のジョージ・ナトールによる分子系統学の創始が好例であろう。ナトールは、ヒトは新世界ザルより旧世界ザルに近い、というダーウィンの考えを免疫学的手法でテストすることを思いついた。彼の方法は、調べようとする動物の血清をウサギに注射し、抗体を作らせて、抗原と抗体の反応の強さを見るもので、種間でタンパク質におけるアミノ酸配列の違いを見るのと本質的に同等の方法になっている。この研究は、1960年代にグッドマン、サリッチ、ウィルソンらによって行われた同種の研究に60年も先行して行われている。ナトールはこの研究で、ダーウィンが言うように、ヒトは新世界ザルより旧世界ザルに近いことを確認している。ナトールの研究は、当時の研究の水準からするとあまりにも革新的であったため、一般に受け入れられることなく、長い間忘れ去られていた。
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ミトコンドリアの由来
 古代の日本には中国や朝鮮から専門職を持った多くの帰化人が渡来し、日本の各地に住み着いた。いまでもその子孫は日本人として日本の各地に暮らしているが、彼らが帰化人の子孫であるかどうかは一見しただけでは分からないであろう。しかし、たんねんに系図を辿ってゆけば、どの国から渡来した人の子孫であるかは分かるに違いない。 
 ミトコンドリアや葉緑体は今では真核細胞内の重要な細胞内小器官と化しているが、もともとは由来の異なる真正細菌が真核生物の祖先細胞に共生したことで進化したのなら、帰化人の由来を尋ねたと基本的に同じ手法で、彼らの由来が分かるに違いない。ミトコンドリアや葉緑体には、核のDNAとは独立に自前のDNAがあるが、共生後、それらのDNA上の遺伝子の多くは核のDNAへ移ったか、あるいは失われてしまっている。そのためミトコンドリアのDNAは極端に小さくなっている。
 ミトコンドリアや葉緑体の遺伝子のもともとの由来が真正細菌なら、現在ミトコンドリアや葉緑体のDNAに残っている遺伝子であれ、核のDNAへ移ってしまった遺伝子であれ、これらの遺伝子と同じ遺伝子を真正細菌、古細菌、真核生物の核DNAから取り出し、系統樹を作って過去に遡っていくと、どの真正細菌のグループから由来したかが分かるはずである。最近の分子系統解析によると、ミトコンドリアはプロテオバクテリアのグループに、葉緑体はシアノバクテリアのグループにそれぞれ由来することがはっきりしている。1970年代にはマーガレット・デイホフはこうした分子系統解析を精力的に行い、リン・マルグリスの細胞内共生説を支持する証拠を得ることに成功している。
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細胞内共生はどのようにして生じたか
 細胞内共生が起きたしくみについては、今のところ大きく分けて2つの考え方がある。一つは伝統的な考えで、サイズが大きくなって食細胞化した真核生物の祖先細胞がプロテオバクテリアを飲み込んで共生が成立したとする、いわゆる「弱肉強食」的考えである。もう一つは、ウィリアム・マーティンとミクロス・ミュラーが1998年に提唱した考えで、水素仮説と呼ばれている。これは、古細菌の一つ、メタン菌と真正細菌であるプロテオバクテリアの「対等合併」が基礎になって成立した共生である。
 捕食性(従属栄養)の食細胞へと進化した真核細胞の祖先は、現在の白血球が原核細胞を捉えるように、周囲の細菌を捕食し、餌としていた。その過程でたまたまプロテオバクテリアやシアノバクテリアを飲み込み、彼らがそのまま細胞内に居座ってミトコンドリアや葉緑体になったというのが前者の考えだ。ミトコンドリアも葉緑体もそれぞれ独自の原核生物のものによく似たDNAをもち、2重の膜に覆われている。内側の膜は共生体自身の膜で、外側の膜は、白血球が原核細胞を飲み込むように、真核細胞が外の原核生物を膜で包んで細胞内に取り込んだもので、宿主細胞の外側の膜に相当する。共生体が持つ独自のDNAと2重膜は共生説の強い証拠になっている。
 共生が起きた当時の環境は、餌となる有機物の減少と、シアノバクテリアの繁栄に伴う大気中の酸素濃度の増加が起きていたと考えられている。こうした環境変化に対応を迫られていた嫌気的環境で生きていた真核生物の祖先にとって、酸素を使ってエネルギー源となるATPを合成する好気性細菌との共生は一挙両得であった。しかし、飲み込まれた側からみると、自分が必要とする以上にエネルギーを合成し、かつ、それを宿主のために外へ出さねばならないだ。これは、彼らにとって何の役にも立たないどころか、隷属に等しい。こうした立場にいかなる選択的適応があるというのか?この批判はもっともである。
 マーティンとミュラーの水素仮説では、合併するメタン菌とプロテオバクテリアの双方に合併が互恵的に働く点に特徴がある。メタン菌は水素と二酸化炭素を燃料とし、有機分子を生成して細胞外に廃棄物として放出する。一方プロテオバクテリアは、酸素の存在下では好気的呼吸が出来るが、酸素が乏しい環境では発酵によって生き続け、水素と二酸化酸素と酢酸塩を細胞外に放出する。メタン菌の排出する有機分子は燃料としてプロテオバクテリアに取り込まれ、プロテオバクテリアが排出する水素と二酸化酸素はメタン菌の燃料となる。すなわち、それぞれの廃棄物が他者の燃料となる。共生関係は両者にとって生存に有利な条件となる。
 大気中の水素の濃度が低下すると、メタン菌はますますプロテオバクテリアへの依存度を強め、効率よくプロテオバクテリアから水素を得るために細胞壁を失い、ついにはプロテオバクテリアを細胞内に取り込んでいく。その後は細胞骨格のタンパク質を発明して細胞を支えるというド・デュープの進化のストーリーがあてはまる。すなわち、水素仮説では共生は古い時代に成立し、その後真核細胞が進化することになる。この説のもう一つの売りは、メタン菌とプロテオバクテリアの共生が現時点でも見られるということにあろう。つまり凡例があるというわけである。
 この説にも問題がないわけではない。転写・翻訳系に関与する遺伝子の多くは全ての生物に共通に存在するが、こうした遺伝子から推定された全生物の系統樹は、真核生物にもっとも近縁な古細菌はメタン菌が属するユーリアーキオータのグループではなく、クレンアーキオータのグループであることを示唆している(本シリーズ、「生物最古の枝分かれ:問題点と重複遺伝子による解決」を参照)。この点に関して、今後検討を加える必要があろう。
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ランブル鞭毛虫は細胞内共生以前の生きた化石か?
 1990年代の一時期に、ランブル鞭毛虫と呼ばれる単細胞の真核生物が進化学者の間で大いに話題になった。そのわけは、この生物はミトコンドリア、葉緑体、ペルオキシソームなど細胞内共生で獲得したと考えられている典型的なオルガネラがなく、細胞内の輸送や分泌に関与するゴルジ体などは痕跡程度に存在するだけで、いたってシンプルな細胞内構造を持っているからである。その上、ミッチェル・ソジンらが分子のデータから、現在知られている真核生物の中でもっとも古い時期にその他の真核生物から枝分かれした生物だったことを示したからである。つまり、ランブル鞭毛虫は細胞内共生が起こる以前から生存し続けている原始真核生物(こうした生物のことをトーマス・カバリエースミスはアーケゾアと呼んだ)の生きた化石ではないか?というのである。
 この魅力的な仮説に対して、身も蓋もない対立仮説がある。ランブル鞭毛虫は脊椎動物の消化管のような酸素の乏しい環境で増殖する寄生性の生物で、生存に必要なものの多くは宿主の細胞から手に入るため、無駄を省いた単純な形態へと適応的に変化したのだという考えである。すなわち、もともと存在していたミトコンドリアなどの細胞内小器官が寄生の結果消失したというという考えである。
 アーケゾア説(前説)が正しいか、それとも二次的欠失説(後説)が正しいのか?一般にミトコンドリアのDNAは、遺伝子の欠失とともに、遺伝子を核のDNAに移すことによって極端に小型化している。従って、ある遺伝子から作られるタンパク質が現在もミトコンドリアで何らかの目的で利用されているならば、その遺伝子は核のDNAに存在しているに違いない。そういう遺伝子の例として、シャペロンの一種cpn60やバリンtRNA合成酵素ValRSが知られている。これらの分子はミトコンドリアで働くので、ランブル鞭毛虫にも同じ遺伝子があれば、二次的欠失説の可能性が大きくなる。フォードドリトルらはランブル鞭毛虫にcpn60遺伝子の存在を確認した。また、長谷川らもValRSの存在を確認している。2つのグループはそれぞれの遺伝子に、ミトコンドリアを持つ生物から取られた同じ遺伝子を比較し、これらの生物の系統樹を推定した。その結果、ランブル鞭毛虫は真核生物の系統中、最古の時代に枝分かれした系統で、且つ真正細菌のプロテオバクテリアのグループに由来することが明らかになった。つまり、ランブル鞭毛虫のcpn60やバリンRS遺伝子はミトコンドリア由来であることが分かった。このことから、ランブル鞭毛虫はアーケゾアではなく、もともとミトコンドリアを持っていたが、後に進化の過程で失ったということが示唆される。
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ランブル鞭毛虫に見つかったミトコンドリアの相同小器官:ミトソーム
 ところでミトコンドリアのないランブル鞭毛虫が核DNAに移したミトコンドリア用の遺伝子、シャペロンcpn60遺伝子やバリンtRNA合成酵素(ValRS)遺伝子をなぜ失わずに保存しているのか?もともと核DNAに存在していたValRSはミトコンドリアの共生後失われ、代わってミトコンドリアDNAから移ってきたValRSを細胞質とミトコンドリアの両方で兼用することになった。すなわち、細胞質タイプのValRS遺伝子はミトコンドリアタイプの遺伝子で乗っ取られてしまったことになる。そのためミトコンドリアそのものがなくなってもValRS遺伝子が存続し続けているのは納得できる。
 ではシャペロンcpn60遺伝子はどうだろうか?ミトコンドリアで使うタンパク質は、もともとは自前のDNAにコードされていた遺伝子で作られていたのだが、細胞内共生が確立した後、多くの遺伝子は宿主の核DNAに移動してしまったため、ミトコンドリアで必要なタンパク質はまず細胞質で作られ、その後ミトコンドリアに運ばれる必要が生じてきた。その際、ミトコンドリアの膜を通して分子を運ぶ、シャペロンというエスコート役のタンパク質の介在が不可欠となる。cpn60遺伝子はそうしたエスコート役のタンパク質なのだ。その遺伝子がミトコンドリアを持たないランブル鞭毛虫に存在するということは、ミトコンドリアそのものではないにせよ、ミトコンドリアの一部を残した小器官がランブル鞭毛虫にあるのかも知れない。確かに古くからランブル鞭毛虫はミトコンドリアをはじめとして典型的な細胞内小器官がないと言われてきたが、完全に消失したわけではなく、部分的に機能を残した残存小器官の存在が示唆されていた。
 事実、2003年ジョージ・トバーらは、ランブル鞭毛虫がミトコンドリアの相同小器官と考えられるミトソームを持っていることを明らかにし、話題になっている。生物のエネルギー源であるATPは電子伝達系を介してミトコンドリアで生産されるが、鉄?−硫黄クラスターと呼ばれる補助因子が電子伝達機能の活性中心である。鉄?−硫黄クラスターの合成は常にミトコンドリアで始まる。ところでランブル鞭毛虫にはミトコンドリアがないのに、鉄?−硫黄クラスターが存在することが知られている。では鉄?−硫黄クラスターはどこで生成されているのであろうか?これがトバーらの疑問であった。
 鉄?−硫黄クラスターの生合成に関与する、ミトコンドリアで働く遺伝子IscSとIscUがランブル鞭毛虫に存在することがすでに知られていたが、これらの特異的抗体から、彼らはランブル鞭毛虫に二重膜を持つミトコンドリア残存小器官ミトソームを発見した。通常の真核生物のミトコンドリアとは違ってランブル鞭毛虫のミトソームはATPを合成しない。むしろランブル鞭毛虫ではミトソームは鉄?−硫黄クラスターの組み立て工場として働く。そこで作られた鉄?−硫黄クラスターを使って細胞質でATPを合成するのである。
 ミトソームの進化的位置を考える上で重要な情報がミトコンドリアの遺伝子IscUを使った系統樹から得られる。すなわち、ランブル鞭毛虫のミトソームと他の生物のミトコンドリアはプロテオバクテリアに起源を持つ共通の祖先から枝分かれしたことが分かる。ランブル鞭毛虫はミトコンドリアを失ったのではなく、ミトコンドリアの相同小器官を持っていたのだ。ただそれは、おそらく寄生の結果、自身のDNAすら失って、ミトソームという残存小器官にまで変化してしまっていたのだ。
 ランブル鞭毛虫のミトソームと関連して寄生性の原生生物トリコモナスは興味深い。この単細胞真核生物も嫌気性で、ミトコンドリアの代わりにヒドロゲノソームという、嫌気的条件下でATPの合成を行う別の細胞内小器官を持っている。ヒドロゲノソームにはミトソームと同様に、自身のDNAがない。興味深いことに、トリコモナスにはミトコンドリアがないのに、ミトコンドリアの起源となったプロテオバクテリアに由来すると思われる遺伝子が見つかっており、それらから作られるタンパク質はヒドロゲノソームで働く。これは、ミトコンドリアとヒドロゲノソームが同一起源に由来する細胞内小器官であることを示唆する。ヒドロゲノソームの発見者ミクロス・ミュラーは大胆にも、ヒドロゲノソームもミトコンドリアのように共生によって進化したエネルギー生成小器官ではないかと予想した。
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ミトコンドリアファミリー
 ここまでくると、ミトソーム、ヒドロゲノソーム、ミトコンドリアの間の関係が知りたくなるのは当然である。2001年にミュラーらによって予備的研究がなされている。彼らは、前出の鉄?−硫黄クラスターの生合成に関与する遺伝子IscSを三者から単離することに成功した。さらにこの分子から三者の系統関係を推定したところ、三者はプロテオバクテリア起源の共通の祖先から枝分かれしたことが分かった。つまり三者は、系統ごとに形態的変化やDNAの消失を伴いながら多様化したミトコンドリアの相同小器官である可能性があるということである。
 この結果を受けて、パベル・ドレザールらはつい最近(2005年)、鉄−硫黄クラスターの生合成に関与する幾つかのタンパク質がどのようにそれぞれの小器官に輸送されるのかを調べた。一般に細胞質からミトコンドリアへタンパク質を輸送するには、シグナルペプチドと呼ばれる特別なアミノ酸の配列からなるペプチドが要求される。彼らはランブル鞭毛虫のIscSタンパク質にミトソームへの局在を可能にしている配列を見つけた。さらにランブル鞭毛虫の遺伝子をトリコモナスに導入したところ、ヒドロゲノソームに局在し、ランブル鞭毛虫で見つけたシグナル配列がヒドロゲノソームへの局在の鍵になっていることをつかんだ。こうしてミトソーム、ヒドロゲノソーム、ミトコンドリアの三者はタンパク質輸送のための同じシステムを保有していることが明らかになり、先の系統解析も含めると、三者は同じ祖先に由来する相同の小器官であることがますます確からしくなってきた。
 細胞の構造が単純であるからといって、いつも原始的であるということを意味しない。ランブル鞭毛虫のような寄生性の生物にとっては、生きていく上で必要な食物は宿主から十分に与えられるので、最低限の生存装置を残して、それ以外の装置を欠失させることで身軽になり、余分になったエネルギーを子孫を増やすことに割り当てて、単純な形態へと変貌していったのであろう。この戦略は、必然的にDNAの複製回数の増大、すなわち突然変異率の大幅な上昇へと導く。分子レベルで見ると分子進化速度が極端に高くなることを意味する。一部の系統の分子進化速度が極端に高くなっている場合は、分子で生物の系統樹を推定する際に致命的な問題を引き起こす可能性がある。すなわち、その系統を実際よりも古い時期に分岐したしたように推定してしまう傾向がある。ランブル鞭毛虫が他の真核生物の系統からもっとも古い時期に枝分かれしたというソジン以来の伝統的推定は、いまだに人為的エラーである可能性を完全に否定できていない。それにしても、ソジン、カバリエースミスに始まるアーケゾア探しのロマンは完全に振り出しに戻ってしまった。
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[宮田 隆]

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