進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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WritingとReading

2018年6月15日

これまでWritingという技術が誕生するまでの歴史を、表意文字と 表音文字が今も混在して、文字が進化した数千年の歴史をそのまま残しているWritingの生きた化石、日本語を参照しながら紹介してきた。もう一度強調したいのは、Writingが、音韻を基盤とするS言語(speech language:話し言葉を基盤とする言語)成立過程で形成された高次脳回路に、視覚を基盤とする新しいシンボルシステムが付け加わる形で統合して生まれた能力で、絵を描いて経験を表現することとは全く異なるという点だ。このため、中国発のWritingを用いる一部の言語を例外として、エジプトやメソポタミアのwritingは、カナのような子音と母音が組み合わさったシラブルを表現するsyllabogramを経て、子音と母音が完全に別れた完全な表音文字(アルファベット)によるWritingへと一直線に進化して行く。この過程については、これから解説するつもりでいるが、ただあまり先を急がずここで少し一息入れて、Writingにまつわる基礎的な問題をいくつか考えてみたい。

まず最初は、Writing/Readingの脳ネットワークについて考えてみたい。これを理解することで、なぜほとんどの言語でWritingがアルファベットに置き換わっていくかをある程度理解することができる。

これまで述べてきたように、言語を可能にする脳構造は、まず集団でゴールを共有して協力する社会を可能にする脳回路と、シンボルを用いたコミュニケーションを可能にする脳回路を基盤に生まれた原始言語の脳回路に始まる。その後この原始言語回路は、聴覚(音節)を媒体にするシンボル体系、そして視覚(文字)を媒体にするシンボル体系を順番に統合して、ほぼ全ての経験を表現して他の個体に伝達することができる無限の能力を獲得した。実際にはそれでもまだ完全ではなく、バーチャルメディアを媒体にした新しいシンボル体系を統合する過程が現在進行している。何れにせよ、最初の大きなステップは音節を媒体にしたシンボル体系が統合されたS言語の誕生と言っていい。そこでまず、S言語を可能にしている脳ネットワークを考えてみよう。

耳から聞いた音を言語として認識するシステムと、脳内で生まれた表象を喉頭、口腔、舌などをコントロールして発声する能力を基礎に、音韻を用いる複雑な音節を作ってシンボルとして使えるようになったのが、S言語と言えるが、この脳回路を図1のようにまとめることができる。


図1:S言語の脳回路。説明は本文参照。

この図を説明すると次のようになる。まず誰かが発する音を耳で聞く。突然人間の声が聞こえることもあるが、ほとんどの場合聞こえる以前から状況が判断され、聞こえて来るのが言語かどうか判断する準備が行われる。この過程で、言語とは別の社会性や、コミュニケーションを必要とする状況を判断する高次な意味体系が動員され、言語のコアネットワークにつながる。その後、聞こえてくる音節は、脳内に形成された語彙記憶だけでなく、すでに聞いたセンテンスや状況(他のインプット)から想像できるメッセージの意味と持続的に参照され、最終的に解読される。

このように聞こえた音節の塊は、多くの表象と参照されることで、メッセージの内容が解読されて行くが、この時うまく理解ができないと、以前紹介したような脳波上のN400が発生する(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2018/post_000006.html)。すなわち、把握された音節は、語彙の記憶だけでなく、常にメッセージ全体が持つ意味と参照され、解読されていく。この時重要な役割をもつのが、様々な脳内の表象を一時的に集めて参照するために必要な、短期の記憶に基づく統合を行う領域で、この図では音韻用作業記憶ネットワークと表現した。分かりやすくするため長ったらしい名前をつけたが、脳科学の人は、phonological buffer(音韻バッファー)と呼んでいる。

同じphonological bufferはもちろん、発語にも作業記憶ネットワークを提供する。発語の場合、経験したこと、記憶にあることなどまず伝えるメッセージが表象される必要がある。これも、最初からメッセージの詳細が全て決まっているわけではない。大まかに脳内で把握されている表象が、phonological bufferにインプットされ、音韻の流れとして表象されると、それに基づいて発語に関わる運動神経がコントロールされることで、文章が語られる。こうして生成される音韻は、また聴覚を通してメッセージの表象にフィードバックされ、思った内容が伝えられるよう、訂正が行われる。発生に関わる運動神経も、他の筋肉をコントロールするシステムと比べると、圧倒的に精緻なコントロールが行える複雑なものだ。徐々に進化してきたものだと思うが、声楽を聞くたびに大変なシステムだと感心する。

このようにS言語成立過程は、それ以前の言語のコア構造に対応する音韻のシステムを構築して、新しい言語の脳構造を作る過程としてみることができる。同じように、Writingの成立もそれ以前に完成した言語システムと無関係に成立することはなく、それまでに完成した言語構造の上に視覚認識を基盤にした新たなシンボルシステムを構築する過程と言える。言い換えると、既に成立していたS言語を可能にする言語の脳構造に寄生している。従って、WritingがそれまでのS言語と独立して成立することはない。逆に、S言語とほぼ同時期に見られたショーべやアルタミラの精巧な壁画は、言語のコア構造とはほぼ独立して存在していたと考えられ、その意味でWritingの起源にはなり得ないことも納得できるはずだ。

Writingが、S言語では難しい長期間の記録を可能にする為に発達したと考えると、自分の所有物を覚えておくために使われたトークンは、S言語と視覚認識を通した新しいシンボルとを連合させることに成功し、言語の脳構造の拡大に大きく寄与したと考えられる。この意味で、トークンはそれが表現するアイテムに直接対応するシンボルに一見思えるかもしれないが、実際には音節で表されるS言語の単語に対応するシンボルが誕生したと考えた方がいい。すなわち、WritingはS言語の拡大として、S言語の音節シンボルと常に対応をつけながら発展したと考えられる。その結果、図1に示した言語の脳構造は、図2に示すさらに複雑な構造へと発展してきた。


図2:話し言葉とWritingが統合された脳の言語構造。この図はDöhla and Heim : Frontiers in Psychology 6: doi: 10.3389/fpsyg.2015.02045 を参考にして筆者が作成している。ただ、語彙記憶については変更している。

以前、言語を支配について発語を支配するブローカ野と言語の理解を支配するウェルニッケ野が関わると言う、極めて単純化した図式を紹介したと思うが(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000012.html)、このように言語に関わる脳内ネットワークの条件を考えてくると、決してこんな単純な話でないことがわかる。事実、図に示した脳回路は、精一杯単純化した回路で、実際はこれの何千倍も複雑な回路が働いていると考えられる。このことは失語の患者さんの脳障害を高い精度で特定し、また機能的MRIや脳内各領域の結合がわかる拡散テンソル法などのイメージング(図3)による分析により確認されている。

図3言語により活性化される脳を機能的MRIと拡散テンソル法で分析したVimeocomにアップロードされたNordicNeuroLabによるビデオ

考えてみれば、発語に関わる複雑な運動調節を小脳の関与なしに行うことは出来ないし、作業記憶を海馬の助けなしに維持することは出来ない。事実、海馬の障害は、進行性の失語では最も可能性の高い原因になっている。

要約すると、言語は脳回路がネットワークとして組織化されて可能になる機能で、聞く、話す、読む、書くなど行動は異なっても、同じ脳回路がオーバーラップして関わっている。例えば書きながら読むと、外国語の単語も憶えやすいという経験は、異なる言語機能にも共通の脳回路が関わっている事を示す良い例だ。また、失語症で傷害される部位と症状を対応させる研究からも、同じ回路を異なる機能がオーバーラップして使っていることがよく分かる。現在失語症は、言葉を話すのが流ちょうかどうか、言葉の理解が出来ているかどうか、そして他人の言葉を復唱できるかどうかの3種類の症状の有無で8種類の類型に分類している。例えば「流ちょうに話すのだが、内容に論理性がなく、ほかの人の言葉を理解しておらず、他人の言葉を復唱も出来ない」と、ウェルニッケ失語と診断され、「他人の話を理解できるのだが、言葉がたどたどしく、復唱ができない」場合はブローカ失語と診断される。こうして分類されたそれぞれのタイプの失語では、音韻によるS原語とともにWrintingも同様に侵されることが多いが、これも共通の回路を示す良い例だ。

しかし、それぞれの機能に比較的特異的に関わる回路も存在する。この結果、上の8分類だけでなく、それぞれの機能に特化した症状も現れる場合がある。 その典型が、失読症(dyslexia)や失書症(agraphia)で、きわめて多彩な症例がこれまで報告されている。

そこで最後に三井記念病院から1997年にNeurologyに報告された日本人Writin特異的障害を持った2人の例を紹介して終わろう(図4)。


図4 1997年に三井記念病院からNeurologyに発表された、仮名や漢字のwritingが選択的に傷害された患者さんの報国。

第一の症例は76歳の女性で、専門医を訪れたときは、軽い非流調性失語と、計算が出来ないという症状があるが、理解や復唱、聞いたり読んだりするのはほぼ正常だった。ところが、文字、特に漢字を書くのが強く傷害され、漢字特異的な失書症と診断された。異常の原因は脳梗塞で、中前頭回とそれに隣接する中心前回に傷害が見られた。

第2例目は69歳男性で、流ちょう型の失語と診断できるが、理解や、復唱には異常は認めていない。流暢に話が出来き、聞く理解も正常であるにも関わらず、仮名を書く能力が強く低下している一方、漢字の読み書きは比較的保たれていた。第一例と同じで、計算能力の低下が見られる。原因は同じく脳梗塞で中前頭回が傷害されていた。


図5 図3の論文から傷害箇所を筆者が判断し図で示した。

病変もオーバーラップしているのに、少しずれると、仮名と漢字が別々に障害されるのを見ると、失語を脳回路から理解することの難しさがよく分かる。裏返せば、何度も繰り返してきたように言語の脳回路の複雑性を示している。

以上今回の話はつぎのようにまとめられるだろう。
言語の脳回路は、原始的構造を拡張しながら現在の形に到達した。則ち、原始言語構造にS言語を可能にするネットワークが加わり、そこに新たにWritingを可能にしたネットワークが統合されている。このことは、後から統合されたネットワークは、それ以前のネットワークの制約があるため、全く独立しては存在し得ないことを意味している。この結果、例えばWritingに関わる失読や失書にはS言語の失語も多かれ少なかれ合併する事になる。

しかし一般的に失読症と言うときは、ほかの症状が合併しない、例えばダビンチやアインシュタインなど天才が含まれる状態を指すことが多い。次回は、この純粋な失読症について見て行く予定だ。

[ 西川 伸一 ]

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