進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

2017年9月15日

言語と社会性 III

西川伸一

問題の重要性から、言語と社会性についての話が少し長くなってしまったが、最終回は、「社会で共有する言語にアクセスできずに育った個人はどうなるのか?」という問題を考えよう。

プサメティコス王の禁じられた実験

「言語は習わなくとも人間の脳機能として本来備わっている」という命題を確かめる方法が一つある。生まれたばかりの何人かの子供を、社会から隔離し他人との言語によるコミュニケーションが全くない状態で育ててみて、子供達だけが何らかの言語をコミュニケーションに使うようになるか調べることだ。どんな形であれ、もし彼らが共通のコミュニケーション手段を開発できれば、言語は習わなくても人間さえ集まれば自然に発生すると結論できる。しかしこの実験は理論的に可能でも、もちろん禁じられた実験だ。

ところがギリシャの歴史家ヘロドトスは、そんな禁じられた実験をした王様の話を書いている。それがエジプト第26王朝のファラオ(王)プサメティコス1世(紀元前664-610年)で、プサメティコスの禁じられた実験として知られている。プサメティコス1世は地球上に最初に誕生した言語は何か知る目的で、生まれたばかりの双子を誰も住まない島で言葉を全く使わずに成長させ、最初に何語を話すかじっと待った。そして2年目、ついに子供達が最初に発した単語が「bekos(フリギア語でパン)」だったので、最初の言語はフリギア語だと結論したという話だ。この話は、人間は習わなくとも言語を話すことができると古くから考えられていたことを示すエピソードだが、歴史家ヘロドトスの記述とはいえ、本当にあった話かどうかはわからない。


図1ミルクを作るプサメティコス1世のレリーフ(出典:Wikipedia)

この話を言語の二重構造性の観点から考えると、社会で共有する言語に全くアクセスできなくとも私たちの脳の延長として存在している言語を介して他人とコミュニケーションを図る本能により、社会で共有できる新しい言語を自然発生させ得ることを意味する。従って、プサメティコスの実験を「社会で共有される言語に全くアクセスできずに発達すること」と読み替えると、わざわざ人間を隔離する禁じられた実験は必要なく、世界を見渡せば同じような実験は現実に進んでいる。その一つは、幼児期に社会から完全に隔離された子供(野生児:Feral child)の言語発達で、もう一つは生まれつき完全に聴力が失われ、既存の言語から隔離されたろうあ者たちの言語だ。

野生児

図2インドで発見された野生児Kamala。最終的には2本足で立ち、普通の食事をするようになったが、単語は50語を覚えるのがやっとだったとされている。(出典:Wikipedia)

古くから動物に育てられた野生児の話は数多く知られている。もっとも有名なのは1920年インドで発見された狼に育てられたと称するKamalaとAmalaで(図2)及び図3右端の本に詳しく記載されている。発見後9年たってようやく50語を話すようになったことが記載され、社会から隔離され言語が全く存在しない条件で育てられると、人間社会に戻っても言葉を学習するのが難しいことを示している。

さらに最近では1972年にインドで発見された、やはり狼に育てられたと称するShemdeoについての研究が報告されており、1985年に亡くなるまで、一言も人間の言葉を話さなかったことが記載されている。

生後間も無く社会から隔離された(?)ケースをまとめると、最初は4足歩行で生肉を食べ、もちろん言葉を話すことはなく、人間に対しても強い警戒心を持つ。ただ時間が経ち、人間への警戒心がとけると、2足歩行や食事などは一般人と同じ様に振る舞えるまで回復するが、言語だけはほとんど回復しないことが共通だ。これらの話は一般の関心も高く、図3に例示するように、ノンフィクションとして繰り返し出版されている。


図3:動物に育てられた子供についての本は数多く出版されている。他にも、親のネグレクトで社会から隔離された育ったGenieについてのノンフィクションも読むことができる。(出典:Amazon.co.jp)

ただこれらの例は本当に狼によって育てられたのか、発見されるまでの状況について確たる証拠がないことや、科学的、心理学的な研究がしっかり行われていないことが多く、そのまま結論を鵜呑みにするのは危険だと思う。

これに対し、幼児期から極端なネグレクトをうけて社会から隔離され育ち、13歳で発見された子供Genie(図3右写真)については詳しい科学的調査が行われ、研究論文も多く発表されている。Genieの場合は、13歳まで全く言語から隔離されていたにもかかわらず、発見後の訓練で言語能力はおどろくべき発達をとげたことが記載されている。

野生児の観察から、人間の言葉の学習には重要な時期があり、その時期をすぎると言語を覚えることは人間でも難しいと結論された。事実、鳥がさえずる能力を獲得するためには決まった時期に鳴き声を学習する必要があることは、古くからよく知られた事実だ。しかし、Genieの例は、少なくとも人間に関しては、言語習得に絶対的な時期的制限はないことを示唆している。

ただGenieの例からだけで、幼児期の学習が言語習得に必要ないと結論していいかは疑問だ。すなわちGenieが既存の言語からどの程度隔離されていたかについては、関係者の証言から想像する以外に方法がないことだ。いくら周りから謝絶された小部屋に隔離されていたとはいえ、部屋の外では様々な言葉が聞こえたはずだ。また、動物に育てられた子供と違い、ネグレクトの場合は、無言のまま行われたとしても、食事は人間により提供されたたはずで、当然父親や母親など世話をする人間との限られたコンタクトはあったはずだ。もし動物に育てられた野生児の言語が回復せず、言語を通したコミュニケーションから隔離されたネグレクトの子供の言語は回復するとすれば、希薄であってもこのような人間社会とのコンタクトが特定の時期にあったかどうかが言語の発達可能性を決めている可能性もある。

ろうあ者とSign Language(手話)

既存の言語を介するコミュニケーションは全くなくても、社会の中で他人と関わることで言語が自然に話せるようになることを示す例が知られている。ろうあ者と健常人、あるいは、ろうあ者の間に自然発生する手話だ。現在日本で多くのろうあ者に使われている日本手話(日本語対応手話とは異なる)も、日本語とは無関係にろうあ者のコミュニケーション手段として自然発生してきたものだ。ただ、最初から成り立ちを完全に追いかけることができる手話は多くない。

成り立ちが追跡できる手話は、Village sign language(村落手話:家庭内のHome signも含む)とdeaf community sign language(ろうあ社会手話)に大きく分けることができる。

Village sign language(VSL)は、家族や集落の中で(遺伝的に聴力障害が多い家族や集落である場合が多い)、ろうあ者とコミュニケーションを図るために自然発生してきた手話で、その誕生には必ず健常者が関わっている。中でもよく研究されているのが、4人のろうあの子供を持ったベドウィンの家族内に1930年ごろ誕生し、その後世代を重ねて、4000人の村落のすべてのろうあ者(130人)が共有するようになった手話、Al-Sayyid bedouin sign languagee(ASBL)だ。

ASBLだけでなく、他の自然発生手話からわかることは、発生した手話の文法構造は、家族内の健常人が話している言語の構文構造と必ずしも一致しない点だ。また、VSBLをはじめ様々な自然発生手話同士構文を比べても、特に手話に共通にみられる構文構造は見られない。それぞれのVSLは、それぞれ独自の構造を持っている。このことから、VSLが小さな集団から独自に発生し、発達してきた言語であることがわかる。

現在ABSLを利用している異なる世代のろうあ者が使っている単語や構文ルールが比べられ、最初ほとんど1−2語の構文というより発語から始まったABSLが、世代を重ねるとともに、様々なインプットを統合することで複雑化したことが明らかになっている。最初家族内で使い始めたシンボル化された単語が何で、構文がどんなものだったかについては、調べて見たが残念ながら記載はない。しかし現在では言語と呼ぶにふさわしい十分なボキャブラリーと文法構造を持ったABSLへと発展しているのを見ると、偶然に始まったにしても「シンボル化された単語を他の個体と共有する」スタートが切れれば、参加者が増えるに従って言語が自然に高い機能を持った複雑な言語へと発達することがよくわかる。

しかしABSLが既存の言語の影響を受けずに自然発生したと結論するのはまだ早い。言語を話す健常人は、一つのセンテンスが、各単語を決まった順番に並べること(構文)でできていることを知っており、構文ルールがコミュニケーションに必須であることはよくわかっている。さらにシンボル化された様々な単語を創作する段階でも、健常人の持つ単語の成り立ちや性質についての理解が、手話の成立過程でインプットされた可能性は否定できない。また、健常者も話しながら自然に身振りを使うのが普通で、これが手話発生に影響しないとは言えない。このように、健常者が母国語として使っている言語の構文と異なるというだけでは、VSLを既存の言語から独立した、独自に自然発生した言語であるということは難しい。

ニカラグアの手話

この懸念を完全に払拭し、一定の数のメンバーからなる集団内でコミュニケーションが必要になると、健常者の参加無しに、ろうあ者のみの力で言語を誕生させられることを示したのが、ニカラグア手話だ。

1977年聾唖学校が設立されるまで、ニカラグアのろうあ者の養育は各家庭に任されており、全く手話は存在しなかった。実際、こうして成長した現在65歳以上のニカラグアのろうあ者は全く手話を使うことができない。その後1977年になって、30人規模の聾唖学校が設立され、1979年サンディニスタ政権誕生後は各地からろうあの子供が集められ生徒数が急速に増加、1983年には400人が特別学校で教育を受けるようになった。

この最初に集められた30人の集団から、最初のニカラグア手話が誕生し、これを基礎にして、学校に集まった生徒に受け継がれ、また多くの参加者からの新しいアイデアを取り込んで発展し、現在では子供から大人までニカラグアの多くのろうあ者に使用される言語に発展した。重要なことは、この言語発生過程のほとんどが追跡できることで、最初の発生に関わった第一世代および、その後のボキャブラリーや構文の発展に寄与した後の世代のほとんどが生きており、その時の様子を検証できる点だ。

詳細は省くが、以上の経過から、

  1. 1)ろうあ者が単独で健常者の中で生活する限り体系的な手話は生まれる確率が低いこと、
  2. 2)しかし一定の数のろうあ者が集まると、それ以前には存在しなかった体系的な手話が発生すること、
  3. 3)おそらく最初は1−2語からなる叫びのような発話とほとんど区別できない構造を持った言語でも、異なる個体で使われるシンボルの意味が共有されると(すなわち社会共有部分が発生すると)、あとは使用するメンバーの増加に応じて、進化を遂げ体系的な言語になること、

を示している。


図4: 見ると払うの文法的変化を体の向きを変えることで加えている例。このような新しいルールは一旦発生すると、瞬く間に全体で共有されるようになる。(Senghas and Coppola, Children creating language, Psychological Science, 12:323, 2001に掲載されている図。出典:Wikipedia)

例えば図4は Ann Senghasの論文から転載した写真だが、手のサインは「見る」と「払う」を意味している。最初体の中央でだけで提示されていたこのサインは、第二世代になると体の中心だけでなく、左右に振ることで、様々な文法的変化を表すようになっている。しかも、一旦発生して便利だとわかると、瞬く間に同じ言語を使う集団全体に広がることも確認されている。一旦生まれると、言語は急速に進化する!!!

もちろん完全に聴覚を失ったろうあ者の中で自然発生したと言っても、発生に関わった子供達は当然文明の洗礼をうけており、人類最初の言語発生を反映していると結論するのは早いだろう。最初の言語が発生する時にはおそらく、集団で共有できるシンボルを生み出すのには長い時間がかかったかもしれない。しかし、人間は集まると、相手とのコミュニケーションを模索する中で、他の個体と共有できる単語と構文を発生させること、そしてどんなに小さなスタートでも、一旦社会で共有できる言語が生まれると、それ自身が異なる個体からのアイデアを統合して体系的言語へと進化できることを、ニカラグア手話ははっきりと示しているのではないだろうか。

次回は、これまでの議論をもう一度整理し直したいと考えている。

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