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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【節目の年】

尾崎克久

 この原稿を書いているのは2月上旬ですが、内容的に今年度最後の更新の方が適切ではないかと考えて、この日に割り込ませていただきました。毎回更新を楽しみにしている方には申し訳ありませんが、「またお前か」とおっしゃらずにおつきあいいただきたいと思います。

 今年は僕にとって大きな節目の年になります。奨励研究員(一般的にいうポスドク:数年程度に期間を限定された研究員)時代も含めると、BRHへの所属期間が5年になり、気がつくと自分より新しくメンバーに加わった人の方がずっと多くなりました。この機会に、この5年間を自分なりに振り返ってみたいと思います。

 始まりは6年前、2000年12月の日本分子生物学会のポスター会場になります。当時僕は農水省の研究機関にポスドクとして所属し、昆虫学研究室の出身でありながら「植物に重篤な病気を引き起こすカビに感染して、そのカビの病原性を低下させるウイルスの遺伝子をクローニングする」という少々ややこしいテーマの研究をしていました。農学的に重要かつ興味深い研究テーマであることは理解しつつも、できれば昆虫を材料として扱う研究をしたいと考えながら、学生時代の研究から未発表であった部分をその学会で発表していました。たくさんの方に発表を聞いていただきましたが、特別興味深く熱心にお話を聞いてくださる方がいました。あまりの熱心さと多くの的確な質問に嬉しくなり、それはもう一生懸命に説明をしました。ポスター以外にも用意してあった資料を全部引っ張り出して、学位論文の内容を一通り聞いていただけたので自分としては大満足な発表となりました。「なかなか面白い研究だ。」と言ってくださり、その場を立ち去っていきました。10分ほど経った頃にもう一度いらして、「今度アゲハチョウの味覚に関するプロジェクトを立ち上げるんだけど、もし興味があったら一緒にやってみないか?」とおっしゃいました。お話を伺うと、アゲハチョウの産卵行動に関わる味覚受容体を見つけ出し、それを手がかりに昆虫と植物の関係を解明するプロジェクトであるとのこと。その頃の僕は、漠然と将来は生物間の相互作用を司るメカニズムを解明する研究をしたいと考えていました。正に目標としていた内容であり、生涯をかけて取り組むにふさわしいテーマであると直感し、是非やらせてくださいと即答しました。それが当館の顧問、吉川 寛先生との出会いでした。一応分子生物学と名のつく分野に身をおく者なので、お名前は存じ上げておりましたがお顔を知らなかったので、名刺をいただいてとんでもなく驚いたのを、今でも鮮明に覚えています。

 分子生物学会での発表以前にいくつかのポスドクの募集に応募し、実は内定を頂いていたところもあった中、年が明けて2月に入り、BRHへ面接を受けに訪れました。現館長の中村桂子先生に、10分くらいでこれまでの研究の概要を話すように言われたのには、正直に言って戸惑いました。学生時代6年間の研究結果を、その短さにまとめるのは非常に難しいのです。話を終えた後、あまりまとまりの良い説明はできていなかったのではないかと反省し、少し落ち込んでいるところに、持参したお土産を館長秘書の方が出してくださいました。当時住んでいた岩手県の名物「ごますり団子」です。是非自分を採用してほしいという願いを込めた選定でしたが、この名前は当時の館長、岡田節人先生に大ウケしました。名前だけでなく味も非常に良いので、機会がありましたら是非ご賞味頂きたいお菓子です。

 無事に2001年4月から採用となり、いつかは取り組みたいと思い描いていた研究テーマへの挑戦が、早くも始まりることになりました。吉川先生を筆頭に、同い年のポスドクが二人と研究補助員というメンバーでした。僕が最初にいわれたことは、驚いたことに、研究テーマの範囲から外れない限り自由に研究を進めなさい、ということでした。今思うと、半人前の僕らに研究の遂行を任せるというのは、不安もストレスも莫大だったのではないかと心配しています。吉川先生が想定したものとは違った実験も多々あっただろうと思います。その分、身の引き締まる思いがこみ上げ、なんとしてもこの研究を軌道に乗せようと必死になりました。おそらく、完全に自分だけで取り組んでいたら、何の結果も得られなかったのではないかと思いますが、適宜必要なアドバイスを頂きましたので、軌道を間違えること無く研究が進行しました。

 着任前、脊椎動物から報告されている味覚受容体を手がかりにすれば、アゲハチョウの受容体を見つけるのもそんなに難しい話ではないだろうと考えていました。ところが、実際に研究がスタートすると、化学受容体の多様性の高さ故に既知の遺伝子は何の手がかりにもならないということを知りました。情報があふれる生物学の世界において、これほどに手がかりがない研究分野が在ったのかという、とても新鮮な驚きを感じました。少し考えれば、そんなに簡単にできるとこなら、とっくに誰かがやっていたはずだとわかるのでしょうが、これが若さというものか・・・。何にしても、BRHでの研究生活は驚くことだらけのスタートでした。

 手がかりがないのなら、ふ節で発現している遺伝子を全部捕まえてやれという勢いで、ナミアゲハの雌成虫ふ節のcDNAライブラリーを作成し、網羅的に解析をするという力技に打って出ました。どうやったら質の良いライブラリーを作れるか、限られた設備を用いて短期間で大量に塩基配列を決定するにはどうするか、など、毎日が実験に関する工夫の連続で、自分にとっては楽しい日々でしたが、見守る吉川先生は大変だったと思います。もし、狙い通りに質の良いライブラリーが完成したとしても、そこから味覚受容体が見つかるという保証は全くないのに、とても時間と労力のかかる作業です。
 年末にはなんとかライブラリーが出来上がったものの、これと言った成果がないまま年が明け、2002年の春には塩基配列のデータだけは大量に蓄積されていきました。この莫大な文字データからなんとしても味覚受容体遺伝子につながる情報を拾い出さねばと思い、必然的にコンピュータの力を借りることになりました。元々コンピュータには強い方で、いわゆるUNIX系のOS上でコマンドを操作することには抵抗がなかったのですが、Bioinformatics(バイオインフォマティクス:生物情報科学)の勉強を始めると全く知らないことだらけで、大学入試の何倍も必死に勉強することになりました。英語の論文を読んで、知らない単語に頻繁にぶつかって、辞書を引いて日本語に置き換えることができても、その日本語の意味が分からないという状況です。“隠れマルコフモデル”など聞いたこともない言葉の洪水に、押しつぶされそうな日々でした。遺伝子やタンパクの解析方法とその理論を学び、それらをどのように組み合わせたら味覚受容体遺伝子にたどり着けるのか自力で工夫しなくてはなりません。正解は誰も知らないことなので、真っ暗闇の中で手探りで進行するような心境でした。前例のない研究に挑戦するというのはこんなにも大変なものなのかと実感していました。しかも、原則2年というポスドク期間の半分、1年目がもうすぐ終わろうかという時期でした。工夫する楽しさもありましたが、不安やプレッシャーが大きく、自分にとってはこの5年間で最も苦しい時期でした。とはいえ、スタートから約一年、目立った成果がないまま、半人前のポスドクがしていることを見守る吉川先生の方が遥かに大変だったと想像します。その甲斐あってか、受容体遺伝子の候補の発見に至った時にはラボがお祭り騒ぎとなりました。早速、吉川先生が日本一おいしいと太鼓判を押す高槻市に所在するレストラン、「レ・コパン」でお祝いパーティが催されました。後になって考えると、同一の人物が実験作業(ウエットの研究)と解析作業(ドライの研究)の両方を組み合わせて取り組んだことが、この研究にとって最も重要なポイントの一つだったのではないかと思います。解析を行っていて、「こういうデータが欲しい」と思ったらすぐに実験に取りかかることができ、実験を行っていて、「こういう情報が欲しい」と思ったらすぐに解析に取りかかることができるという状況は、研究の効率を高めていたのではないかと考えています。

 cDNAライブラリーのデータの中から、気になる遺伝子群に気づいたのもこの頃でした。嗅覚の化合物結合タンパクに分類される遺伝子が、たくさん検出されていました。この遺伝子群は、揮発性の化合物は液体に溶けないので、それ自体でリンパ液中に存在する受容体のところへ到達することができないため、リンパ液表面に付着した嗅物質をリンパ液中の受容体まで運搬すると考えられています。匂いを感じる器官でのみ働いていると考えられていた遺伝子が、何故味覚器官であるふ節で働いているのかと疑問に感じていたのと時を同じくして、吉川先生がこのグループのいくつかは味覚器官でも働いている可能性を示唆する文献を発見しました。先入観を持つことの怖さを実感する出来事でした。この遺伝子群が嗅覚特異的と考えられていたのは、嗅覚組織で働いていることが確認されているからでしかなく、その機能などがしっかり解明されていた訳ではないのです。味覚の化合物を運搬する可能性を否定する証拠は何もありません。これを切っ掛けに、ナミアゲハの化合物結合タンパクについて詳しく調べてみると、中には感覚器官に限定して発現する可能性を示唆するものもあったのです。嗅覚と同様に、味覚でも化合物結合タンパクが必要なのではないかと推定しました。これにより、受容体だけを考えていたら昆虫と植物の関係を解明することはできない、産卵刺激物質を受容する「システム」として考えていく必要があるという方向に研究が向かうことになりました。当初の想定よりずっと複雑かつ壮大な研究テーマであることが明らかとなり、取り組みがいの大きさに胸が膨らむ思いがしました。現在では、化合物結合タンパクの解析によって、アゲハチョウの仲間の進化の過程でゲノムに起きたイベントの一部を推定することができるところまで研究が進行し、味覚受容体と同等以上に重要な研究対象になりました。

 ラボの歴史を自分なりの視点で振り返ってみると、要所での吉川先生の存在の大きさを実感します。ポスドクといえば一般的にはプロの研究者ですが、自分は良い意味で学生の延長の様な存在であったと思います。吉川先生はこれまでにたくさんの学生を指導してこられましたが、おそらく、5年もマンツーマンに近い形で指導を受けることができた研究者は他にはいないでしょう。今年度いっぱいで常勤の顧問を退かれますので、自分が大学院を修了して慣れ親しんだ地元を離れる時に似た寂しさを感じています。

 来年度は、新しくポスドクを迎え、学生も一人加わり、新体制での研究が始まります。今度は、プロジェクトのスタート当初よりは安心して見守っていただけるように、気持ちをさらに引き締めて取り組んでいきたいと思います。本来であれば、退館される前にそうであるべきでしたが、またお祭り騒ぎになるような成果を上げて、近い将来に大喜びしていただける様な論文にまとめたいと決意を新たにしています。

 この研究は、吉川先生のアイデアがなければ存在しなかったものですし、僕だけでは発展させていくには力不足なのが明らかですので、引き続き相談に乗っていただきたいと思っています。今後も僕たちの研究について御助言と軌道修正をしていただけましたら幸いです。吉川先生に使っていただく椅子をラボ内に確保しておきますので、よろしく御願いいたします。




[昆虫と植物の共進化ラボラボ 尾崎克久]

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