中村桂子のちょっと一言
館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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2002.6.15 

【人間について考えていた頃を思い出しながら -2】
 
中村桂子館長
 「科学技術と人間を対置して、倫理で科学技術をコントロールする」という答にどうしてもなじめなかった理由はいくつかあります。まず、科学技術は人間が人間らしく生きるための手段であり、しかもそれの基本にある科学という知は、数ある知の中でもとても魅力的なものです。つまり科学技術は人間にぴったりとくっついているもので、二つを対置するのは難しい。もう一つは、ある科学技術を魅力的だ、素晴らしい、使いたいと思う人があれば、それを抑えることは不可能だろうということです。つまりできることがあるのにそれをやらずにいることは人間にはできないのではないかということです。現在の例で話すなら、当時は小説であった「クローン人間」についても、今や現実味を帯びた報道があります。イタリアの医師がアラブのお金持に頼まれたなどと言う話がどこまで真実かは知る術もありませんが、20年前と違って、まったくあり得ないとは言えないのが今の状況です。もちろん日本では法律でそれを禁止していますし、国際的にもその方向で動いています。倫理的にも大いに問題ありと言われています。でも、どうしてもやりたいという人があれば法律も倫理もそれを止める力はないでしょう。とくに今は、科学技術のすべてが「新しい技術を誰よりも早く使い、それでお金儲けをする人が勝ち」という価値観の中で使われているのですから。  そこで、人間というテーマについては、青臭いかもしれないけれど、まず「生きものである人間」について知り、人間としてよく生きるために何をしたらよいかを考え、科学技術をそのための手段として位置づけるという基本に戻るしかないと思いました。そう考えると「生命科学」と呼ばれる研究を、本当に生きものを知ろう、生きものである人間をしっかり見ようという「知」にしていくほかありません。このような「知」を基本に置くと、「クローン人間を作るなんてバカバカしい」と思えるということも見えてきました。
 実は、ここまでで5年が経ってしまい、ボンヤリとはわかってきたけれどプロジェクトとしての報告書は書けない──何も書かないわけにはいきませんから書きはしましたがわけのわからないものでした。でも、ここまで来たのだから何とかしたい。一年間だけ延長をお願いして、翌年出した報告が「生命科学における科学と社会の接点を考える ─生命誌研究館(Biohistory Research Hall)の提案─」です。つまり、これですという答ではないけれど、このような「知」を作っていきたいという形の答です。以来10年間、方向はこれだなと思いながら暮らしてきました。ただ、最近「科学は科学技術のためにあり、科学技術はお金儲けのためにある」という雰囲気が当時よりも更に強くなっているのが気になります。なんで、そんなにあくせくして、人を蹴落としてまで競争に勝たなければいけないのだろう。「生命誌」から出てくる疑問です。
【中村桂子】


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