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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【なんでもDNAにつなげないで】

2000.7.15 

 それにしても“遺伝”とか“遺伝子”という言葉をどう受けとめるのかという問題はなかなか面倒です。
 実は、DNA研究が明らかにしたことをそのまま受け止めると、恐らく多くの方が抱いているであろう宿命的、決定論的なイメージとは違う「遺伝」が浮び上ってくるのですが、なかなかそこまで伝えるのは難しいところがあります。とくに近年の動物行動学では遺伝がクローズアップされており、そこでは遺伝とDNAとを結びつけて受け止める人がふえているような気がします。たとえば、アオガラというトリの観察結果についてのこんな文があります。「モテる雄は、遺伝的性質がよい、つまり体が大きく翌年の繁殖期までの生存率が高い。優秀でない夫に嫁いだ雌は、より良い遺伝的資質をわが子に導入するために不倫に走る」これを読んで、結婚も不倫も遺伝子が決めるんだと思う方があるのではないでしょうか。そこに落とし穴があります。まず、この文章にはどこにも「遺伝子」という言葉は使ってありません。でも、最近では多くの方は「遺伝」を「遺伝子」、更には「DNA」と読みかえてしまいます。つまり、結婚も不倫もDNAという物質できまる。そんなことありっこないと思いながらも、科学が言っているのだからそうなのだろうかと考えてしまうようです。
 この辺を注意して下さい。アオガラの場合、体が大きい方が選ばれたということは観察されていますが、それがどの程度遺伝的資質であるかは、はっきりしていません。ましてや体が大きいことを決める遺伝子というものがあるわけではないのはあたりまえです。更に人間の場合、遺伝的資質がよいという時の“よい”は、単に体が大きいなどという単純なことではないでしょう。何をよいとするのか。こんな風に考えていくと、遺伝という言葉にふりまわわれていることのバカバカしさが見えてくると思うのですけれど。

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