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Talk

年間テーマ「愛づる」

生物学のロマンとこころ

岡田節人JT生命誌研究館特別顧問・京都大学名誉教授
中村桂子JT生命誌研究館館長

二人共、自然を愛する気持ちと知への関心は強いが、科学人間ではないらしいことが わかった。生きものの研究は本来、いわゆる「科学」ではないのかもしれない。21世紀を生命科学ではなく、生命の時代として捉え、その中での知をつくりあげること。生命誌のテーマが明確になった。(中村桂子)

1. 虫愛づる日本と西洋

中村

日本語で自然を表現する時「花鳥風月」といいますね。この言葉には、自然を美しいものと受けとめて愛する気持ちが入っているとされていますが、愛するよりももう少し踏み込んだ気持ちを表す言葉として「愛づる」に目を向けてみようというのが今年のテーマです。

岡田

自然から人間がある気持ちを受け取る時の対象物が、花、鳥、風、月ということでしょう。生きものと物理現象のうまい組み合わせです。

中村

先生のお好きな虫は入っていませんが、鳥類が動物を代表しているのでしょうね。花を見て鳥の声を聴き、風を感じるというような受けとる側のことを考えて上手に選んでいますね。

岡田

ヨーロッパなら虫、例えばチョウは入るでしょう。『源氏物語』にはチョウはひとつも出てこないそうです。中国も、巨大な文化遺産のわりには昆虫を愛づることが少ない。

中村

チョウはチョウの姿で生きている時間が短いから、『胡蝶の夢』のように儚いものとされて、嫌われた面もあったのかもしれません。

岡田

動物、特に虫に対する関心は、西洋が強い。

中村

ただ、虫の声は日本人が愛するという。

岡田

日本の情緒の代表です。

中村

虫は音で評価し、姿形は花や鳥のような美しいものを好む。

岡田

もっとも、昔は虫のなかに蛇とかミミズみたいなのも入りますから。

中村

あまりにも多様で、嫌われものも含まれますね。先回、哲学の今道友信先生がきれいなものはよいけれど、そうでないものは好きになれないとおっしゃって。日本人は醜いものを避ける傾向があるようですが、西洋ではちょっとグロテスクなもの、奇異な動物を集めたりするところがあって、関心が違うのかもしれませんね。

岡田

西洋でも鳥の声は愛でますが、虫の声は聞きません。だいたい、西洋の庭には声を出す虫が少ないですから。無理もないことです。

中村

何を通して自然を感じるかは、そこに元来あった自然と、そこからできてきた文化と、双方の兼ね合いで違ってくるわけですね。

岡田

文化によって微妙に違います。日本では虫の声は非常に重要な要素です。

中村

ドラマでも、ある場面の意味を示すために虫の声を流す。何を鳴かせるかということで、その時の季節はもちろん、人間の感情まで表現したりしますね。

2. 海愛づるところ-海洋生物研究所

中村

そのように日常の中での自然との関わりがあった上で、生物学では、研究対象の選択が大事ですね。今は、「モデル生物」といって、実験に用いられる代表的な生物が何種類かあります。始まりは単細胞の大腸菌でしたが、今では多細胞生物で、センチュウ、ショウジョウバエ、マウス。植物ならシロイヌナズナとか。これはさまざまな研究室の結果を比較したり、まとめたりできるという利点がありますが。

岡田

実験的かつ因果的生物学の始まり以来、扱う生きものは限られてきました。

中村

特に分子生物学になってからは、それまでの博物学の時代はさまざまな…。

岡田

ほうぼう見ることが真理への道でした。

中村

そこから、ウニやイモリやショウジョウバエ…、実験動物が選ばれてきた理由は何だったのでしょう。

岡田

それは、成功した研究者の個人的環境に大いに影響されるのと違いますか。歴史を見ると、海の生きものが好き、海への関心、というところから実験用動物が選ばれたというのはあります。

中村

母なる海などと言われて、海には自然の原点があり、惹かれるものがありますからね。

岡田

海の生物を調べるためには、人間のほうが海へ動いていく。そしてそこに滞在するという一つの西洋文化のスタイルができる。

中村

あぁ、海洋研究所ですね。

岡田

これは19世紀にエスタブリッシュされた西洋文化の一翼でしょう。海に面した国に皆行きたかった。海の方が生物の多様性が多いということも、もちろんあるでしょう。後にたいていの大学は内陸部にできましたから、海のものを内陸へ運んで飼育することが困難ということもあった。

中村

だから現場へ行く。

岡田

すると楽しいことがある(笑)。特に教官方は海に行くと、本拠地の大学の雑用がなくなる。山へ行って生きものと接することは、われわれの楽しみのカテゴリーのなかでは、海ほどには大きくない。

中村

確かに基礎生物学としての山岳生物研究所というのはありません。海には、研究の楽しみとある種のリゾート的な楽しさがあり、それらが重なり合ったのが海洋生物研究所。これこそ文化ですね。ウッズホール(註1)やナポリ(註2)といったら、皆が、知的でありながら決してガチガチの科学というのではない、遊びの要素も含んだイメージを持つ。科学の中でそういう文化的イメージを一番持っているのは、もしかしたら海洋生物研究所かもしれない。先生にはおなじみのウッズホールは私も伺いましたが、夏は、大勢短期滞在の研究者が訪れて、研究会があったり、地域の人へのイブニングセミナーがあったり。科学と社会などと言わずに、自然に活動していました。愛づるということがわりあい明確になっている場所ですね。

岡田

いかに西洋人が、現地の生きものを愛でてきたかということの象徴の1つです。海洋生物研究所は、ヨーロッパに始まり、アメリカが輸入し、それを日本も輸入しました。世界各地で、近くに海のない大学でも海洋生物研究所を持つという伝統があります。

中村

確かに東京大学も京都大学も。多くの大学に海洋生物研究所がありますね。

岡田

京都大学では、臨海生物研究所は生物学の道場であると言って、学生はまず合宿に行かされます。

中村

夏の海で、ウニの発生とか。生物学入門として基本的なことを訓練されると同時に、自然の中で暮しながら研究するというあるスタイルになじむのでしょう。大事なことですね。

岡田

それで一生魅せられて生物学をやるという人が出てくる。そういうことが日本では非常に多かった。今でもあるでしょう。

中村

しかし、ちょっとその伝統が消えかかっていますね。いきなりモデル生物のDNA解析に入ってしまうような。

岡田

でしょうな。海へ行くということ自体が、もうロマンを失ってますから。昔、京都大学の白浜研究所へ行くには、鉄道は海南までしかないので、研究所の船が遠路迎えに来たということです。

中村

海洋研究所の利用がちょっと変わってきている在りようは象徴的かもしれない。現地へ赴き、現地の生物に触れ、現場で研究をやるという必要がないという。

岡田

別に何も海でやる必然のない研究、例えばホヤのDNAを調べたかったら、凍らせて持って帰ってきたらしまいのこと。昔はそんなことも海でやってたけどね(笑)。

中村

遺伝子ならどこででもできるとなってしまうと…。

岡田

そうなると、もう愛づるではないですよ。愛づるという感覚から科学をやる人間が出ないというよりも、愛づることが科学のもとになるというロマンが、世の中から消えたのでしょう。

中村

学問も社会も変わってきて、現地に泊り込んでゆったり研究するなどという時代じゃなくなって、何をやるにしても、大きな機械の側でなければできない。生きものの側よりも機械の側である方が大事かな。

岡田

1kgでも2kgでも、海からサンプルだけ取ってきて研究室でやるという、そういうスタイルができてからかなり長いことになりますな。

(註1)ウッズホール海洋研究所【Woods Hole Oceanographic Institution (WHOI) 】

1930年設立。ボストン近郊ウッズホールにある研究機関。研究分野は、海洋物理学、海洋化学が中心。地球システム全体における海の役割についての理解を深めることを目指して、気候変動における海洋の役割、沿岸海洋工学及び深海探査等にも力を入れている。 http://www.whoi.edu/
 

(註2)ナポリ臨海実験所【Stazione Zoologica di Napoli】

1872年、ドイツ人Anton Dohrnによってイタリアのナポリの海岸に設立された、海洋生物の研究を目的とする世界で最も古い国際的な研究所。当初は、ダーウィンの生物進化論を確証する目的で設立された。その後世界の各地に設けられる臨海実験所の規範となる。地中海の動植物に関する膨大な基礎的研究をはじめ、分類学、細胞学、発生学、生理学、生化学、生態学など、生物学の広い分野の研究を行う。実験所の歴史を物語る図書館には、19世紀からの専門書、古文書などが所蔵されている。

3. 生物学のロマン-深海の新生物発見

中村

生命誌は、もう一度生きものの側へ近寄りましょうという提案のつもりです。海といえば、近年、深く中へ入っていく研究が始まっていて、面白くなりそうですね。

岡田

かなり未開のものがあるということでしょうな。

中村

行かないとわからないし、まずは現場へ行かなければならないという意味で、全盛期の海洋生物研究に匹敵する新しい期待がありますね。21世紀は、19世紀の海洋研究に相当するものが深海にあるのかもしれません。生命誌の視点からも、深海がとても面白いと思って。

岡田

ゲノムのおかげで、進化生物学も、データがたくさんとれるから、皆がどんどんやって、もちろん新しい知見も多いですから、やるだけの価値があるのは間違いないですが、しかし何かその間、仰天させるようなことが起こりませんな。今から仰天するようなことが起こるとすれば、われわれが地球上にまだ見もしなかったような、少なくとも目ではなく綱のレベルで知らないような生物が、まだおるかということです。その道のオーソリティの話では、そんなこと絶対ないんやそうですが。

中村

綱レベルでの発見はないかもしれませんが、例えば、三葉虫がまだ生きているとか。三葉虫の化石の専門家が、最近の深海生物の研究を見ていると、三葉虫もいそうな気がすると書いていました。深海には、熱水が出ているとか、高圧だとか、太古の地球に近いと思われる環境があって、その付近にエビやタコなどがいることがわかってきましたから。それを見ると三葉虫もどこかにいるかもしれないと思う気持ち、わかる気がします。

岡田

度外れた、今まで想像もしなかったような新しい生物が見つかるとすれば、深海だけでしょう。それが採れないことには、思いがけない知的発見はない。

中村

そうですね。ただそれは、地上に生き残ったものだけで見ていた時の常識を超えているということで、やはりDNAをもっているでしょうし、恐らく古さを残している。

岡田

そういうものがいるというロマンを持てるかどうかです。どうもそれがないことには、生物学はマンネリになるね。ゲノムを調べつくすというのも画期的なことでしょうけれど、機械に頼る技術開発だけでなく、新しい生物が見つかるということ、それはやはり大変なことです。

中村

生物学の流れを見ると、身近な花やチョウを見ていた時代から、海洋生物研究所時代があり…。

岡田

アフリカや南米、東南アジアの熱帯雨林にロマンがあった時代も確かに通過してきました。まだそこにも問題はたくさん残っておりますが、奇想天外な新しい生物はまずおらんでしょう。

中村

熱帯雨林も生態系としてまだまだ面白いですが、特に生命誌の歴史的な目から見ますと、深海には特別の興味があります。21世紀は深海ですね。

岡田

これまで人間が手を出せなかったからね。しかし18世紀から、非常にたくさんの密林の生物を記載できたのは、生きものを愛づる人物がいたからこそです。あえて科学者とは言いません。ダーウィンが出るまでは、ウォーレスも商人でしたし、存在が隠れていたといってもよい。隠れていてもいい、今そういう人がいるかどうかです。

4. モデル化する生物学

岡田

告白すると、僕は海好きではない。愛づる関心が何もなかった。臨海生物研究所の実習も、部活の合宿的空気で好きでなかったし。海を愛づること全くなしに動物発生をやったのは、日本では僕くらいと違うかな。

中村

ウニから出発していないとするとどこから…。

岡田

関心は淡水にあったのです。両生類です。虫は愛でるだけでどっぷりで、研究は結構。生命誌研究館で60歳をとっくに越えてから、オサムシとかチョウとか、少しばかりかじらせていただきました。楽しいことでした。  真の現役時代は両生類、特にイモリ。これは研究対象として愛でました。実験する動物は、自分で採ってきていましたから。しかしそれは、研究方策からいうと最低の態度だと、長く非難された。遺伝学のバックグラウンドがないからモデルにならない。カンメラー(註3)の獲得形質の遺伝の実験が、そういう悪評の開祖になったわけですが。

中村

実験室の中で飼ってきた純系の動物での実験でなければ、学問的にレベルが低いというわけですか。

岡田

その辺の川や池にいるものを、自分で捕まえて飼うて、明日は実験に使われようとも、明らかに対象を愛でておるわけです。しかし、世はモデル生物を実験に使用しなければ通用しなくなりました。1960年代から、ブレンナー(註4)、日本では渡辺格(註5)らが、このプロパガンダを推進させました。

中村

分子生物学が出てきたということですね。

岡田

この方々は、物理学の考え方です。

中村

物理学を基とする分子生物学から、モデル動物という概念が出てきた。物理学はモデルの学問で、宇宙のモデルを作って考え、見えない力学もモデルで考えます。しかし生物学は、本来モデルではないはずだけれど。

岡田

遺伝学でメンデルが遺伝子の概念を出したので、それを追求するために実験しやすいモデルが必要になり、ショウジョウバエが登場した。以来、遺伝学はこの路線です。この考えが生物学全体にも影響を与えて、実は、発生学では僕の愛でていた有尾両生類が花形になりかけました。両生類といってもカエルと違います。何で有尾両生類か。あれはかっこがええ。サラマンダー(イモリ)、それからアクソロートル(axolotl)なんてかっこええやないですか。

中村

ウ-パールーパーって、一時期はやりましたね。

岡田

鰓がちゃんと出て、スマートです。今でも少数ではあるがペットとして愛でておる人もいる。有尾両生類は一時期、いわば発生学におけるモデル動物になりかけておった。

中村

ショウジョウバエをモデルとして確立したのはモルガンですが、それにあたるのは誰ですか。

岡田

こちらの旗頭はシュペーマン(註6)。ところが有尾両生類は生殖に長い間かかる。実験には実に能率が悪い。シュペーマンは採集者を5人程高給で雇って、1人が1日2匹採ってきたらやっと。それに実験室で卵を産ませる。せいぜい20個くらいしか産まない。これではモデル動物にはなりませんな。

中村

ショウジョウバエは、確かに能率的。一世代が短時間で、しかも眼が赤いとか白いとか、翅があるとかないとか、非常にわかりやすい形態が現れるのでモデル向きですね。

岡田

1984年の国際発生生物学会で、学会賞を受賞したジョン・ガードン(註7)曰く、あと4年後にわれわれはもう1回集まるが、発表の9割方は、ショウジョウバエとセンチュウとアフリカツメガエルの3種類に限られるようになるかもわからんと。

中村

なりました。

岡田

ジョン・ガードンはその時、しかしそれだけでよいのかと問いたかったわけです。3つの生物だけやっていたのでは、われわれは発生学の中身、重要な現象を必然的に見逃す。殊に、再生の問題。その後『The International Journal of Developmental Biology』(註8)に有尾両生類の発生研究への再評価についての特集が出ました。

中村

生きものを見ようという動きですね。

岡田

スーザン・ブライアン(註9)という、そのほうの大変立派な研究をしているご婦人が、モデル動物だけで研究して、発生における極めて重要な現象を結局は何も知らずにすんでいるのではないかということを書いた。中でもやっぱり再生が大事やと言うているうちに、一番神秘的なものと近かったその現象が、いっぺんにテクノロジーになった。再生医療。歴史の皮肉です。

中村

確かに。多様性の方でいうと、昨日研究館のセミナーで、カエルとハエとクモの発生の様子(註10)の発表があったのですが、卵から細胞が分裂して移動して、最後にはみんな頭ができ尻尾ができ、背中と腹、左右ができるのですが、その途中の細胞の動きがそれぞれ違うのです。

岡田

皆、紆余曲折の独特の動きをしますね。

中村

分子生物学から言えば、カエルもハエもクモも、Hox遺伝子という相同遺伝子をもっている。それなのに、1個の細胞が分裂し軸を作って個体となっていく様子を見ると、何でそこを変えるのかと聞きたくなるくらい、動物ごとに異なる動きをする。でも、それは変えたんじゃなくて、カエルにはカエルの理由があり、クモにはクモの歴史があり、それぞれのやり方でやっているというだけのことなんでしょうね。

今、ゲノムという全生物に通じる切り口を得るところまで来て、やっと個々の生きものに目を向けられるようになったのかもしれない。また生物学が始まったなと感じました。生きものの種類が違っても、背景には共通のHox遺伝子があるということを知りつつ、それぞれの生きものを一つひとつ丁寧に見ることは、とても面白い。

岡田

しかしまだしばらくは、世の中ではそういう研究は始まらんでしょうな。たいていの関心は研究の成果にあり、その応用に向けられていて、成果を高めるテクノロジーが主たる問題ですから。 地球上のHox遺伝子を持つ生きものが皆、この動物ではこれが発現し、この種類では何が発現するか…ということ、その集大成はしないといけません。同じ遺伝子が違うことをすることを、コンピュータがどう整理できるのかという問題もありますが、その為にまた膨大なデータが要りますから、必要である限りは研究への要請はあります。

中村

たくさんの解析データの意味を知るには、コンピュータの力を借りることが不可欠ですが、コンピュータが最後の答を出してくれるわけじゃありませんから。

岡田

だからこそ、われわれ人間が考える余地があるのでしょう。

中村

人間が答を出すには、やっぱりいろいろな生きものを見て、例えばクモの場合、ハエの場合と、現物を知っておかないと、コンピュータが出す答の意味を解釈できません。やっぱりもう1回生きものに戻していかなくちゃ

岡田

あれこれ生きものを見るべきです。生物学の歴史を見ると、成果があがった時がだいたい終わりです。ショウジョウバエでも、研究がシステム化され、どの染色体のどこにこの遺伝子があるということが、手続きとしてやれるようになり、初めて科学としての生物学が成立した。イモリにしても、われわれの時代に発生学の仲間で、「お前、何やっとるか」と聞くとね、「目やっとる」とか「鼻やっとる」とか(笑)。

中村

生物の名前は言わなくてもよい(笑)。

岡田

当時は全部イモリ。シュペーマンらのモデル化の影響の始まりでした。しかし、発生生物学は遺伝学と違って、モデル化と言いながら、やはり対象が美的相手でもありました。それに魅せられた人間が出てきていたわけですから。

中村

中村修先生が、発生の領域図をお作りになりましたけれど、ああいうお仕事は、美的相手でなければできないのでしょうね。モデル化してもその気持ちがあるかどうか。そこが大事ですね。

岡田

イモリの胚を使った実験そのものに魅せられた魂。実験そのものを美しく楽しむ。かつての生物学に存在したこうしたスピリットは、今や完全になくなったのと違いますか

(註3)カンメラー【Paul Kammerer】

1880年、ウィーン生まれ。1926年、オーストリー山中でピストル自殺。
<季刊『生命誌』26号 岡田節人の歴史放談2 黄昏のウィーンの生物学 ─ パウル・カンメラー>
<季刊『生命誌』27号黄昏のウィーンの生物学(承前)─ パウル・カンメラー>

異端の生物学者カンメラーの悲劇
1920年代、オーストラリアの生物学者パウル・カンメラーはサンショウウオやサンバガエルを使用した実験で獲得形質が遺伝すると主張した。すぐさまダーウィン学派は彼の実験を偽造だと攻撃した。『真昼の暗黒』『偶然の本質』などで有名な作家ケストラーが、遺伝学論争に敗れたカンメラーの悲劇とアカデミズムの独善性を糾弾した白眉のドキュメント。(解説 岡田節人)
『サンバガエルの謎―獲得形質は遺伝するか 』岩波現代文庫 より
 

(註4)シドニー・ブレンナー【Sydney Brenner】

1927年、南アフリカ連邦生まれ。1960年、フランスのジャコブらと共に、 mRNAを発見。セントラルドグマの実体解明。線虫の分子生物学を始めた。


(註5)渡辺格

1916年、島根県生まれ。分子生物学者。慶応義塾大学名誉教授。


(註6)ハンス・シュペーマン【Hans Spemann】

1869~1941。ドイツ。イモリの胚を用いて実験。誘導、オーガナイザーの発見により、1935年、ノーベル医学・生理学賞受賞。


(註7)ジョン・バートランド・ガードン【J. B. Gurdon】

ケンブリッジ大学細胞生物学教授 。両生類を用いて、細胞核や遺伝子を細胞内に注入することにより、生物の発生における遺伝子の働きを解明し、発生生物学、細胞工学、さらに生物学全般の進展に大きな影響を与えた。


(註8)『The International Journal of Developmental Biology』

http://www.ijdb.ehu.es/


(註9)スーザン・ブライアン【Susan V. Bryant】

カリフォルニア大学(The University of California Irvin)教授。発生・細胞生物学者。


(註10)カエルとハエとクモの発生の様子

脳の形はどうやってできるのかラボ(橋本主税研究室) 脊椎動物の頭部神経系はどのように部域化されるのか

ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろうラボ(小田広樹研究室)

5. 愛づる実験の魅力

岡田

僕の本に、「細胞を愛する」という章があります。そこで、大腸菌を愛する人がおるかと問うた。おるそうですな。

中村

かわいくなるんですよ。私も大腸菌で実験していましたからわかります。でもそれは、実験が思うように上手くいくと、何となくかわいくなるのであって、本来の愛づるではないでしょうね。いいことしてくれたから褒めてやろうみたいな感じで。

岡田

心、通じましたか?

中村

だんだん大事にする気持ちにはなって、いい加減に扱わなくなりました。大腸菌も生きているなという感じになりましたが、何でもない時に大腸菌をかわいがることはまずしない。ショウジョウバエも多分そうだと思うんです。だけどイモリやサンショウウオといった有尾両生類の研究者は、研究を抜きにして、やけに好むところがある。それを岡田先生も何度もおっしゃって、でも、例えば羽の美しい鳥なら、よく知らなくても「きれいね、かわいいわね」と思いますが、有尾両生類がそんなにパッと一目で惹かれるというほど美しいかというと…。

岡田

いや、あれはええかっこですよ。ヨーロッパのサラマンダーとか模様があってすごいよ。でもそれだけじゃない。実はね、育ち方が美しい。それはオタマジャクシがカエルになるのとは違う美しさがある。

中村

どうも鍵はそこですね。

岡田

そう。卵から胚になる時。

中村

なるほど。その辺まで観察してこそ好きになる。

岡田

そうそうそうそう。

中村

やはり、そのプロセスを見て好きになるんだ。そういうところがまさに今回のテーマです。卵からの育ちが美しい生きもの、イモリの他に何かいますか?

岡田

それはその気になれば何でも美しいよ。クモでも。トリも育ち方は美しい。しかし、実験することそのものが美しいという実験ができるのは、まぁ、イモリに限る。

中村

実験中に、そういうことを感じられるかどうかということですか。

岡田

そうそう。実験操作そのものを美術工芸をしているようなつもりでやれるかどうかが基準です。発生を見て有尾両生類を好きになった人間は、実験を愛しています。発生するイモリの卵の、特に外の皮をはいで、あのデリケートな、パンケーキどころの騒ぎじゃない、絹ごし豆腐のような繊細な胚を、自分の手で作った道具で切り分けて…。

中村

顕微鏡の下で、

岡田

殺さずに。

中村

その醍醐味。聞いているだけで愛しそうにやっている研究者の姿が浮かんできます。

岡田

それに打たれている人は非常に多かった。イモリの他、トリでもいい。ただし、トリ胚での実験操作はかなり習熟が必要です。カエルはちょっと汚い。ジジくさい(笑)。

中村

カエルをやっている人にはかわいそうな言い方じゃありません?

岡田

私の昔のボスのワディントン(註11)なんて、「何の材料で実験しているか?」「ゼノパス(アフリカツメガエル)です」「ああ、ゼノパスか」言うてどっか行ってしまう。話も聞かん。「イモリです」言うと喜んで寄ってくる。

中村

そこまでいったら、もう。

岡田

カエル好きな人もおられます。今や、モデル動物的、物理学的背景のもとに、モデル生物としてアフリカツメガエルを研究するという人をが多くなりましたが、ちょっと古い時代に、今日でいう分子発生学のパイオニアであったブラウンは、動物への関心とは何の関係もない男でしたが、毎日毎日、卵をすりつぶして核酸やタンパクを調べている間に、カエルをとても愛でるようになった。家中カエルの置物だらけ。同業のイゴル・デビットもカエル好きになりました。ゲーリング(註12)は、ショウジョウバエの胴体を自分にした絵を喜んでおります。自分の魂が、ハエに乗り移って飛んでいく感覚を楽しんでいるのでしょう。

中村

それはしかし、ドン・ブラウンはアフリカツメガエルで、ゲーリングはショウジョウバエでいい仕事をしたことと無縁じゃないでしょう。

岡田

まぁ、そうやね。しかし、くり返すけれど、イモリは本当に細胞の塊が美しい。一種の工作の美しさです。それはギルバートの『発生学と美学』に書いてありますが、私はまったく共感できます。

中村

そういう感覚が、やっぱり今の生物学から少し消えてますね。

岡田

対象を愛するという感覚がなかったら、そこまで愛することができなかったら、発生学なんてやったらいかんと、私の前の代の先生が言うたのは、今から思うと誤りではないのですが、少し権威的に主張し過ぎた

中村

対象への愛にのめり込んだらそれはサイエンスではなくなるし、その美しさを知らなかったらサイエンスじゃないし。そこのバランスですね。

岡田

われわれが今使っているサイエンスという言葉自体、現代風になり、愛づることと隔絶した行為だけをサイエンスと言うという、この不便さに問題があります。

(註11)ワディントン【Waddington C.H.】

1905~75。インドに生まれ、地質学を学んでケンブリッジ大学卒業後、発生学に興味を移して研究。
<季刊『生命誌』31号 岡田節人の歴史放談6 遺伝と発生をつないだ文化人 ─ C.H. ワディントン>
<季刊『生命誌』32号 岡田節人の歴史放談7 遺伝と発生と環境の関係を夢想する文化人 ─ C.H. ワディントン>


(註12)ゲーリング【Walter Jakob Gehring】

1939年、スイス生まれ。バーゼル大学教授、発生生物学者。 ショウジョウバエを使った生物の発生過程の研究により、ホメオボックスおよびその種間共通性を発見し、生物の形態形成の基本的な理解に画期的な視点をもたらした。

6. 幻の細胞物語

中村

イモリの個体を愛でながら研究をしていらしたけれど、学問がどんどん動き、分子生物学が出てきて、学問としてそれを取り入れることが必要だとお感じになった時に、率先して、個体から細胞のほうへお移りになりましたでしょ。少なくとも日本の発生生物学のお仲間では一番に。でも、細胞には、先ほど伺った卵の美しさ、繊細さはありませんね。

岡田

細胞の研究に移ったのは愛づるという感覚から離れなければいけないという認識からです。分子生物学が多細胞生物を対象にするようになり、多細胞生物とはなにかという基本を問えるようになったら、好き嫌いというより日本の学問としてやるしかない。

中村

しかし、学問として論理的に必要とした細胞を、最終的に愛づるようになった。そこが、1つ大事なところだと思うんです。

岡田

なぜ愛づるようになったか。それは失望と失敗ばかりを重ねたからです。

中村

イモリより細胞のほうが言うことをきかなかった。

岡田

思うようにならない。細胞は生かしておくだけでまず大変。しかも発生生物学としては、試験管のなかで育てて、何か特殊な形質が出てくるか否か、つまり分化させられるかどうかが実験の勝負です。当時、細胞を培養するということは、分化という特徴を消すことであるというのが定説でした。培養細胞からは特殊な形質はでないと言われておったんです。

中村

それを培養して分化させようとして、失敗ばかり。でも、信念をお持ちだったんですね。

岡田

それは信念がないと、あれだけ退屈な毎日を過ごすわけにはいきません。要するに毎日何してるか言うたら、培地を変えるだけ。それと、毎日細胞うかがいの観察をしているだけ。1日10時間以上は待機になる。しかし必ず観察しなければならない時間が来る。それで私の有名なマージャンの話になる(笑)。しかし、細胞ばかり毎日見てると、やっぱり相手の調子がわかってきます。

中村

今日は機嫌がいいかなとか。

岡田

風邪ひいてるなとか。そして、これはきれいというのを幸いに見つける。本当にきれいというのは細胞のつやが違う。

中村

つやが良いのは成功するんじゃありません?

岡田

します。ところがもういっぺん同じ条件を作るということが至難の業になってくるわけです。

中村

調子が良くてきれいなのは、研究も成功するという。大腸菌もかわいくなると言うのはそういうことです。

岡田

きれいでないものは一口で繊維芽細胞と呼ばれる、何のせんもないもの。普通はそればっかりです。ところが、時々そうでないものがパッと出てくるわけね。眼の細胞を扱っていましたが、黒い細胞が黒いままでおれるというのは、非常に大きいことでしょう。その黒いままのものが、色がなくなって透き通ったものになるのもまた意味があること。そうなるまで、ひたすら何もしないで待ってる(笑)。空いた時間マージャンしては培地を換える。様子はちゃんと見ておりますよ。最終の新幹線で帰っても様子は見に行く。それは愛しておるから。魅力ができておったんですよ、先方(細胞)も交信してくれたかもしれない。

中村

美しさは姿形だけじゃなくて、自分との関係ですね。

岡田

幻の細胞というのが1つあったことを、今でも思い出します。ニワトリらしい形がまだ全然ないディスクと呼ばれる時期の細胞を、培養する実験をしていました。すると、ある日忽然とものすごい美しい、細胞のコロニーが出現した。石垣のようにくっついて光輝くコロニーができ上がっておる。これは!と思って、もういっぺん作ろうとした。この細胞をもうちょっと大事にすればよかったね。それだけ取り出して、別に移すとか。しかしその時は、またいつでも出てくると思って…。

中村

2度と再び…、

岡田

幻の細胞は出現せず。あれはたぶんニワトリのES細胞(註13)だったのかもしれない。たぶん京大の研究室に1970年頃の細胞が凍っとる。その中に入っているはずですが、幻と消えました。 それからイモリのES細胞を作ろうとしたこともあった。イモリの卵を、イモリの親の肝臓の中に埋めて発生するかどうかという夢みたいな実験ですが、その頃ちょうど同様の実験をアフリカツメガエルでやったスイス人がいて、悪性の大きな腫瘍ができたという報告があった。私も、イモリの肝臓の中に卵を入れた。すると、大きなこぶが1つできて感激した。切片切って調べると、数多くの間充織といわれる細胞の塊と、それから軟骨の塊でした。2度と報告することもない幻の物語です。これはつまり、発生途中の胚の細胞を、発生の「場」から解き放して、細胞としてだけ時間を経過させるとどうなるか。胚の発生と場の関連を探ってみたかった。それで一番幼稚な実験をしたわけ。

中村

再現性なしですか。

岡田

美しかったから、記憶に残っているということで。特にニワトリの細胞は今でも思い出す。華々しくきれいでした。

(註13)ES細胞【Embryonic Stem Cell】

胚幹細胞。胚性幹細胞ともいう。卵の発生の初期段階に存在し、全能性(どんな器官にも分化する能力)をもつ。

7. 自然を見る目と感受性

中村

生物研究がモデルになり、物質になり、科学技術になり、研究成果とは経済的に役に立つ結果を出すことだと言われて、政治や経済の中にまるごと巻き込まれていますね。社会のありようとして見ても、子どもたちの将来を考えても、もっと生きものの基本に戻りたい。そこで「愛づる」というキーワードを持ち出して考えているのですが。

岡田

本来の生物研究はそうでしょう

中村

一見生産的に見えるけれど、実は長い目で見ると、そうではないことを、教育でも研究でも、一生懸命やっているんじゃないかという気がして仕方がない。

岡田

私なら5年で飽きます。

中村

世の中も飽きてくれればいいんですが、そうはならない。

岡田

このやり方でデータは出て、そういう形での研究成果はあがりますから。人間にとって成果をあげることは、格別な喜びであります。1日1回培地換えてるだけで、後はマージャンで待ち時間を過ごすというのは現代風には全く成果ないね(笑)。

中村

でも、培地換えを続けられたのは飽きなかったということですよね。

岡田

そうです。

中村

飽きないだけの何かがそこにあったということで、「愛づる」を言い換えると、もしかしたら「飽きない」かもしれないですね。自然との関わりについて考えると、虫やイモリへの関心と並んで、先生はご自身の出発点をゲーテだとおっしゃいますが。

岡田

その辺のところは単純です。私、生まれつき、世の中のいわゆる理科というものに、本来的に才能も関心も薄いということです。世の中はそう簡単に、「文」だ「理」だなどと分割できるものではないとは思っておりますよ。ただ、私は理科的なものに対する才能と興味を徹底的に欠いている。それなのに、その世界に何とかもぐりこんで2/3世紀ばかり生かしていただいて、それには恩を感じていますから、理科的なものはつまらんとは絶対言いません。けれども、誰かが私の頭を調べたら、ようこんな頭の悪い人間が自然科学の世界でやっておったなと驚くと思います。

それで、なぜゲーテかというと、理数のない社会に逃げたのです。最初は旧制高校ですな。そして社会人になってから再び、特にとりわけてある程度の業績が出てからも、逃げ込んでおります。

中村

それ、とてもよくわかります。今、理科好きの子どもを作りましょうというキャンペーンがあって、私にも「子どもの頃はどうでした?理科が好きでした?」って聞かれて、「本ばかり読んでました」と答えると、どうしていいかわからないみたいな顔をされるのです。だけど、先生がゲーテに入れ込みながら、イモリや細胞の研究を続けてこられたこと、今考えてみれば、それはそれである種の必然性をお感じになりますでしょう。偶然もあったかもしれませんが。

岡田

もちろんそう。人生総体を言うならば、よかったと思います。しかし、もういっぺん生まれて、同じようなサイエンスをやるかというと、金輪際やりません。結局は、非常に狭っこいイマジネーションの世界ですから。しかしただ1つ、自然を見る目とその感受性、これは子どもの時からずっとあったね。これは狭っこいなどとはいえないところでしょう。

中村

そこです。基本はそれだと思いますね。初めに話した海への思いも、ゲーテのイタリア紀行、メンデルスゾーンの交響曲イタリアなど、海をもつ南の国の自然を描く文学、音楽と共通するところがあるはずですね。

岡田

そういう自然に対する感受性は非常に重要な基礎ですが、それがまた今の世の中から消えております。僕にはそれだけはあったし、今も多少はあると思うてる。

中村

何が大切って、自然を見る目と感受性、それ以外にないというくらいなのに、自然の中で遊ぶとか、舞台芸術を楽しみましょうとか、そういうことに関心を持つお母さんは、一時期よりますます減っているそうです。

岡田

それは世も末ですな。

中村

塾に通ってあれこれ習うより、自然を見る目と感受性を育てている人のほうが後で伸びるというのは保証できるのですけれどね。

岡田

両方とも備えている人は本当にいいでしょうが、今は徹底的に片方だけですから。感受性はなかなかお母さんが教えるわけにもいかんし、教育のカテゴリーにも入らんし。

中村

まあ、そうですね。

岡田

僕がどうやってそれを養ったかというと、自分だけでなく、親がかりでした。

中村

先生の場合は、俳諧研究がご専門で、たくさんの洋鳥を飼っていらしたお父さまの影響がおありですけれど、そこまでいかなくても、一昔前の親はだいたいそうでしたよね。何かしら生きものと関わる何かを持っていた。

岡田

だいたいの子どもにも、それは必ずあるものです。子どもたちは、すぐ「遊ぼ」言うでしょう。遊びの中にそれらは入っておるはずです。それを、自然を学ぶための遊び方はどうやって勉強するかという本をお母さんが買うてきて、となるとやはりおかしなことになる。しかも自然への感受性は理科だけの出発ではない。大部分の人は皆そんな感受性があればこそ、人格そのものができ上がったものでね。それを文学に表現できるような格別な才能を持った人もいれば、絵もそうですし、音楽でやれる人間もおるというわけでしょう。

8. 自然を記述する文学

中村

私が、物理学に近い分子生物学を入り口にしながら、生命誌というところへ来たのは、私もやはり文とか理とかいう区別を全く持っていないからなのですが。

岡田

もうそういう対立的な言い方を、生命誌研究館館長の力で、世の中から一掃してくれませんか。

中村

真ん中に自然を置いた時には、文学も音楽も絵も、その周りに散らばっているものでして

岡田

そうそう、そういうことです。

中村

当たり前の感覚だと思うのですけれど。

岡田

子どもの理科離れ、えらいこっちゃと、感性というようなものまで教育しようとする、その辺がまたいらんことです。理科離れというところの理科に、本当の理科は入ってない。今の理科じゃ、全然。

中村

科学技術で経済を活性化するための人材づくりですからね。そもそも人材という言葉が嫌な言葉ですが、そういう意味での理科好きをつくろうという運動には抵抗感があります。例えば、現在の生命に対する態度は、科学技術が主で、しかも経済のための競争。くたびれたら自然の中で「癒し」、というように使われている「癒し」という言葉がとても嫌いです。響きも嫌な感じですし。

岡田

何か浅ましい。

中村

自然に対して、一方で先端科学技術、一方で癒しという組み合わせは、自然に対する態度としてとてもレベルが低いと思うのです。

岡田

そういう組み合わせの人間だけが望まれる日本となっておりますから。

中村

自然の周りに文学も科学もつながっているという姿でしょう。それを繋ぐ共通の言葉の1つが「愛づる」かなと思っています。

岡田

そう「愛づる」でよろしい。しかし、私は文明開化の人間ですから、何でも西洋のことをありがたがる生まれですので、そこから見ますと、西洋の自然に対する感受性と、自然を記述する力、それは見事です。異様です。例えば文学で、ヘルマン・ヘッセの『チョウ』(註14)。あまり深刻な書き方ではないけれども愛でております。それから私は花を愛でませんが、最近改めてプルースト(註15)を読んで、プルーストの花の愛で方なんてすごい。少なからずエロチックですが、プルースト自身が持っている同性愛傾向と心理的、かつ詩的精神の全てで完全に一体となっているらしい。『ソドムとゴモラ』の始まりの部分が、そういう目で見るとクライマックス。同性愛者を発見した時の驚き、一種の歓喜を書いている。たぶんファーブルの影響もあって、ハチが花粉を運ぶところをじーっと観察していたらしい。生命誌研究館のイチジクコバチの研究(註16)みたいなことです。その描写とつなげて、うちの門番とどこかの貴族との挨拶の態度が異様やったというのに気づくところがある。ホモセクシュアルです。すごいよ。マルハナバチの授粉と門番の挨拶、今僕が2分でしゃべったことが40ページほど書いてあるもの。よほどの観察力がないとできません。

中村

それだけ丁寧に書くから、厚くなるんですよね。

岡田

基本は、本来いかに性というのは定かでないかということを言いたかったんでしょう。今の私はそう受け取っている。それは非常にエロチックな話になります。私にはプルーストを本気に勉強する気持ちも能力もないが、再読、再々読はしてみます。

中村

西洋の人のそういう執拗なまでの描写の裏にあるものに思いをいたすことですね。

岡田

日本では5・7・5、ドイツではオルガン、フランスでは文学。しかし、プルーストで思い出した。京都、鴨川の桜がある年、いつになく強烈に満開になって、その時、ああすごいなと、きれいなと思う前に、なんちゅうスケベな花やと思った。サクラがね。これはスケベです。これ見よがしに、よりによって生殖器ばかりあれ程見せびらかせて。

中村

花はそもそも、サクラじゃなくてもそうでしょ。

岡田

プルーストがそれをまた詳しく書いてる。何とかの花の格好、その生殖器を恥ずかしげもなく人の前にさらす。何ちゅうことやと書いてある。何という素晴らしいこっちゃということです。その辺の生物論的講釈は、いつかぜひしてみたいという夢はある。これはクローンにつながる、文学的、生物学的な考察になるはずです。

中村

その花を人間が見て美しいと思う形になっているということが、また不思議ですよね。

岡田

それで私は満開を見て、美しいということより、何とどスケベなことやったかと、一番にピンと来ましたから。私もなかなかええセンスあるなと、その時、自信を持った。特にプルーストを読んでから。

中村

花の咲き方って毎年違いますね。

岡田

あの桜は、神戸の震災の前の年だったと思います。

中村

何か微妙なものを反映しているのかもしれませんね。

(註14)『蝶』

ヘルマン・ヘッセ 著、 フォルカー・ミヒェルス 編集 同時代ライブラリー 岩波書店

(註15)マルセル・プルースト【Marcel Proust】

1871~1922年。パリ近郊オートゥイユに生まれ。『ソドムとゴモラ』は、代表作『失われた時を求めて』の第4部。
 

(註16)生命誌研究館のイチジクコバチの研究

DNAから共進化を探るラボ(蘇智慧研究室)

9. フロラ型自然観

岡田

プルーストから学んだ言葉に、フロラ(註17)型生命(人間)観というのがあります。われわれは、ファウナ(註18)型のみで生きたり考えたりしているらしい。プルーストでは、同性愛が異性愛とごっちゃに入ってきますから、フロラ型とは人間にいかに受け入れ難いかということになるらしい。私はフロラ的センスから造形が美しいイモリの実験をやっていたのかもしれない。しかも本当に面白いのは、目になるものがときには口、ときには腸にもなれるというその柔軟性です。再生とはもちろんフロラ型現象です。私は改めてフロラ型に注目する。『植物のこころ』(註19)という本…。

中村

塚谷裕一さんの。

岡田

あれはフロラ型生物学です。

中村

日本の研究者の中で、ちょっと塚谷さんは珍しいタイプですね。私は彼のセンスが大好きです。自然を見るというところに戻れば、ヨーロッパでは文学者とわれわれが呼んでいる人が、フロラ型とファウナ型ということを考える。それは理科ですか、文科ですかというような話ではないセンスですね。

岡田

日本は二律背反にして、切り離して、どこか村へ押し込めんことには安定しない社会ですから。フロラ型という村を作ったとしたら、これ同性愛者の村ですから、社会倫理的に許されるかどうかわからんです。フロラ型生物学は、1回としてわれわれは学んだことがないのです。『植物のこころ』にはえらい感心したね。フロラ型の自然の見方と人生の見方。日本の愛でるは、きれいといって愛でる。スケベやと思って愛でてへん。そこがいかん。

(註17)フロラ

ある地域に生育する各種植物の全体。植物相。フローラ。 <『広辞苑』より>
 

(註18)ファウナ

ある地域に生育する各種動物の全体。昆虫相・軟体動物相など、ある一群のものだけを指すこともある。動物相。 <『広辞苑』より>


(註19)『植物のこころ』

塚谷裕一著。 岩波新書(新赤版)731

10. 生物学で読み解く5・7・5

中村

プルーストのように執拗にならずに、5・7・5型でいく生物学はやはり無理でしょうか。

岡田

5・7・5型だけでは駄目でしょうな。

中村

例えば「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」という芭蕉の句があります。これだけではわかりませんが、芭蕉にはその句を詠むに至る背景があるはずです。

岡田

そうです。プルーストに匹敵する花の描写があったかもしれない。背景がなければどうなるか。桑原武夫という大先生が面白がって話していた子供の作った現代俳句なるものに、「ふと見れば 月に雲がかかってる」(笑)それが近代俳句なんだそうで。芭蕉は絶対にそういう世界ではない。少なくとも、自然と人間の心との交流があります。自然への感性があります。

中村

「なずなの花」ですからね。大きなぼたんの花じゃくて。

岡田

なずなを選んだということ自体が、もう既に壮大なる広さの植物に対する感受性から来ていることは間違いないです。

中村

そう考えると、日本の自然観も、これからの生物学と共に生かしていけると思うのです。実はそういう大きな背景があることを、今まで調べてこなかったんじゃないか。 例えばゲーテは、『ファウスト』を書き、政治の世界にも入り、形態学を起こし、ということが残っています。文豪であり科学者でもあったという背景が知られています。ダヴィンチにしても、画家であり、工学者であり、自分のやったものを全部出していますから、受け取る側も全体像を捉えられる。だけど日本の場合、芭蕉にもそういう背景があったかもしれないのに、それは問わない。 今回のテーマである「愛づる」も、「虫愛づる姫君」という物語からきたものですが、これも平安時代の説話で、たまたま虫が好きな変わったお姫さまがいたのねと押し込めてしまってそれまでです。でも、今の時代に「愛づる」という言葉を引っ張りだしてみると、ゲーテやプルーストの感性に重なるものを持っているのではないかと思うのです。

岡田

あり得るでしょう。プルースト50枚、場面にして15分、それに対して5・7・5。日本独自のものといえば、それですから。

中村

5・7・5で表してしまうというところが、注目すべきところでしょう。ですから改めてその背景を考えるというのが大事なところで。

岡田

「ふと見れば 月に雲がかかってる」は駄目ですけれども(笑)。

中村

「なずな花咲く 垣根かな」には何かありそうな気がするんですよ。先生のお父さまが生きてらしたら、一言何かおっしゃったでしょうね。

岡田

自然を背景に、客観的に、解説的に、現在の自然の分類など科学的知識も入れて、ちょっとその辺、文学に科学の切り口を開いておくという必要はあったね。

中村

そうやって調べていくと、日本人の中の潜在的にある科学とつながるものが見つかるかもしれないと思って。これだけ豊かな自然の中にいるわけですから。感受性も育たないはずがないと思うのです。

岡田

5・7・5はその見本みたいなものであります。日本の長い小説には自然の描写はあまり出て来ない。

中村

西欧の小説には、面倒だと何ページか読み飛ばせるくらいの自然描写がでてきますよね。

岡田

多少、西欧の人々の方が感受性に富むということは事実でしょう。あり過ぎる感受性をどうやって満足させようかと、植民地主義が始まったのですから。

中村

コレクションして。

岡田

人にまで見せるという。それで文化を作ったわけですから。

中村

どっちがどっちというものではないと思いますが、何か両方のそういうところを学んで。

岡田

小さなことを見つけてきては鬼の首をとったように言うのが日本人ですが、勉強することはするね。感受性より完全に勉強ですよ、今は。

中村

理科は勉強にされちゃっているんですね。感受性につながらないと、「愛づる」にはならないのに。

岡田

そしたら、われわれはテクノロジーを愛でますと言いますか(笑)。バイオテクノロジーなるものを愛づることができるのかどうかという本来的な大矛盾が、ちょっとこの間から気になっている。さもなければ、テクノロジーがこのままで続くとしたら、なんともうら悲しい未来ですからね。

中村

テクノロジーは否定すべきものではありませんから。でも今のテクノロジーの位置づけはあまりにも低レベルにあります。ゲーテのような考え方、芭蕉の5・7・5に至る自然の捉え方、それを再評価しながら、これからのテクノロジーを考えるというのは一つのテーマですね。

岡田節人(おかだ・ときんど)

1927 年兵庫県伊丹市生まれ。京都大学理学部卒業。京都大学教授、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所所長、同機構長、国際生物科学連合副総裁等を歴任。1993年から2001年3月までJT生命誌研究館館長。現在、京都大学名誉教授、JT生命誌研究館特別顧問。

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